笑顔が作れなかった日の朝に思ったこと
朝、洗面所で顔を洗おうとしたとき、ふと鏡の自分と目が合った。その顔がやけに無表情で、いや、正確に言うと何も映っていないように見えた。笑おうとしても、口元が動かない。そんな日がある。それがこの日の始まりだった。司法書士としての責任、経営者としての重圧、そして誰にも見せられない孤独感。その全部が、顔に出てしまっていた。
鏡の中の自分に違和感を覚えた
20代のころ、笑顔なんていくらでも作れた。むしろ、頼まれてもいないのに笑顔を振りまいていたように思う。だけど最近、笑顔を作るのに力がいる。筋肉じゃなく、心の奥のエネルギーが必要だ。鏡の中の自分を見て「老けたな」じゃなくて「壊れてるかも」と思った日。自分を労わる暇もない日常に、少しずつ蝕まれていたのかもしれない。
笑おうとすると頬がひきつる理由
頬がひきつるときは、だいたい無理しているときだ。電話で依頼者に愛想よく対応しようとした瞬間、口元がピクリとも動かなかった。身体が「今、無理すんな」と言ってるのに、心が「ちゃんと対応しろ」と命じる。そのギャップが顔に出る。笑顔が、感情からではなく義務から生まれようとしているからだろう。
疲れが表情に出てしまう年齢
40代も半ばに差し掛かると、隠しているつもりの感情が、無意識に顔に出るようになる。昔は徹夜しても翌日笑ってた。でも今は、睡眠が1時間足りないだけで、表情が固まる。疲れって、声や言葉じゃなく、まず表情に現れるもんなんだと、この年になって知った。
朝の挨拶がただの儀式になる瞬間
事務員が「おはようございます」と声をかけてくれた。いつもと同じトーン、いつもと同じタイミング。でもその朝、自分の口から「おはよう」と返せなかった。返す気力がなかったというより、声にする準備が間に合わなかったという感じ。言葉すら、エネルギーを消耗するんだと知った日だった。
事務員の「おはようございます」に返せなかった日
普段は言葉が少なくても通じ合える事務員。でも、その日は明らかに気まずかった。「返してくれなかったな」と彼女は気づいていたと思う。でも何も言わずにコーヒーを入れてくれた。そういう気遣いに対しても、感謝を表せない自分が情けなくて、余計に笑顔が遠ざかった。
気づかれないふりをしてくれる優しさに救われた
「今日、先生ちょっとしんどそうですね」なんて言わない。言わないけど、書類の山を一人でさばいてくれていた。気づいてないふりをしてくれる優しさって、ありがたい。自分だったら気づいても空気読まずに声かけてたかもしれない。人に恵まれてるなと思いながら、それすら笑って伝えられない自分がいた。
笑えない日は誰にでもあると言い聞かせる
そんな日は誰にでもある――と自分に言い聞かせながらも、実際にはそんな日が続くと「自分だけじゃないか」と思い込んでしまう。プロとして、依頼者の前ではいつも通りを装う。でも裏では、こうして「笑えない自分」に引きずられている。大人になっても、不安定になる瞬間はある。
「今日機嫌悪いですか?」という一言が突き刺さる
依頼者からの何気ない一言。「先生、今日ちょっと機嫌悪いですか?」そのつもりはないけど、表情に出ていたのだろう。心配からの声かけかもしれない。でも、自分にとっては「ちゃんと笑えてないですよ」と言われたような気がして、胸に刺さった。感情を整えるって、案外難しい。
プロとしての自覚と人間としての弱さ
司法書士として、感情に左右されずに業務をこなすことは当然。でも人間としての弱さを感じるときもある。自覚があるぶん、余計に責めてしまう。あの日も「ちゃんとしろよ俺」と何度も心の中で唱えた。笑顔はサービスの一部であり、信頼の入り口だとわかっていながら、それを出せない自分がいた。
完璧じゃない自分との折り合いのつけ方
結局、完璧なんて求めても無理なんだと気づく。無表情の日があっても、怒っているわけじゃない。ただ、少しだけ休みたいだけ。それを周囲にちゃんと説明する勇気があれば、もう少し自分を追い詰めずに済むのかもしれない。
笑顔の価値を見失わないために
笑顔を失うと、すべてがモノクロになる。依頼者との会話も、事務員とのやりとりも、日常の買い物すら。だからこそ、笑顔が戻ったときに「ありがたいな」と思える。無理して作る笑顔じゃなくて、自然と出てくる笑顔。それを取り戻せるように、自分にやさしくなる努力も必要だ。
誰かの笑顔に救われたことを思い出す
ふとした瞬間、依頼者が笑ってくれた。「ありがとうございます、助かりました」と言ってもらえたとき、こちらもようやく笑えた気がした。自分から出せないときは、誰かの笑顔をもらえばいい。無理やりひねり出すより、そっちのほうがずっと自然だ。
事務員がくれたチョコレートの意味
その日の夕方、事務所の机に小さなチョコレートが置いてあった。「おつかれさまです」のメモ付き。こういうとき、言葉じゃなくてモノで伝えてくれる気遣いに救われる。わざとらしくなく、静かに支えてくれる。そんな事務員がいるから、たとえ笑えなくても、踏ん張れる。
優しさに反応できない自分を許すことから
本当は、すぐに「ありがとう」と言って笑いたかった。でも、その瞬間、口が動かなかった。だからせめて心の中で「ごめん、助かった」とつぶやいた。優しさにちゃんと反応できなかった自分を、少しずつでも許していこうと思った。笑顔が戻る日は、きっとまた来る。