誰かにだいじょうぶって言ってほしかった夜
忙しさの中でふと立ち止まった瞬間
地方の小さな司法書士事務所。朝から晩まで書類、電話、登記、相談、そしてまた書類。終わりが見えないルーチンに追われる日々の中で、ふと時計を見上げたとき、なんとも言えない虚しさに包まれる瞬間がある。事務員も定時で帰り、事務所にひとりだけ取り残される夜。残業というより「残されている」と感じる。誰のせいでもないけれど、誰かに「よく頑張ってるね」って言ってもらえたら、どれだけ気が楽になるだろうと思う。
夜の静けさが心の声を大きくする
夜になって事務所の明かりだけがぽつんと灯っていると、不思議と日中よりも心の声が大きく響く。「なんで俺、こんなに必死なんだろうな」って思ったりする。まるで観客のいない球場で一人素振りしてるような気分になる。誰にも見られていない努力って、時々ものすごく虚しく感じる。でも、誰かに評価されたいという気持ちが間違っているとも思えない。
依頼も締切も忘れてしまいたい
たまに思う。「全部投げ出したらどうなるんだろう」と。でも、当然そんなことできるわけもない。相談者は待っているし、登記の期限も迫ってくる。司法書士という仕事は、誰かの「人生の節目」に関わるからこそ、こちらの感情を挟んではいけない。でも、そんな風に理性で押さえ込んでばかりいると、心が痩せていくのがわかる。
誰かの一言で救われる夜もある
この前、珍しく元依頼者から「先生のおかげで落ち着きました」と電話が来た。あの時の登記だ。たった一言。でも、それがどれだけ心を軽くしてくれたことか。ほんの数秒のやり取りで、数日分の疲れが少しだけ和らいだ。人間って、やっぱり言葉で支えられてるんだなと思った。
優しさを向けるばかりで枯れていく
司法書士って、基本的に誰かの悩みを受け止める立場。でも、それって案外しんどい。とくに、こちらが弱っているときはなおさら。優しさを向け続けていると、なんだか自分の心が乾いていくような感覚になる。なのに、自分が誰かに優しくされることには慣れていない。
愚痴すら飲み込む毎日のループ
事務員の前では愚痴らないようにしている。たった一人の戦力に気を遣ってばかりで、自分のしんどさなんて言う余裕もない。かといって、友人に話すほど仲の良い人もいない。夜にスマホを開いては閉じる。「こんなこと話せる相手、いないな」と思うたび、また一人ループに戻る。
「頑張ってますね」の一言が遠い
気づけば、誰かに褒められた記憶なんてもう何年もない。たぶん最後は司法書士試験に合格したときくらい。社会に出てからは、頑張って当たり前、やれて当然。そんな空気の中で、ちょっとでも「しんどい」と言おうものなら「じゃあ辞めれば?」なんて言われかねない。
司法書士って誰に褒められるんだろう
上司もいない。同僚もいない。部下には気を遣う。クライアントからは感謝されることもあるけど、それは“感謝”であって“承認”じゃない。じゃあ誰が司法書士を見てくれてるんだろう。誰かに「よくやってるね」って、ただそれだけを言ってもらえるだけで救われる気がする。
元野球部でも心は折れる
中学高校とずっと野球をやってた。炎天下の中でも、泥だらけになって練習した。根性にはちょっと自信がある。でも、それでも、心って折れるんだなと思った。精神的な疲れって、筋肉痛みたいに休めば回復するってものじゃない。じわじわと、確実に蝕んでくる。
根性論じゃ片づけられない疲れ
「根性が足りないんじゃないの?」って言う人がいる。でも、実際は違う。根性で乗り越えられる疲れと、そうじゃない疲れがある。今のは後者。誰かの言葉や、ほんのちょっとの温もりがなければ、回復できない類の疲れ。だからこそ、無理に自分を奮い立たせるのをやめた。
エラーしても試合は止まらない
野球ならエラーすれば一瞬試合が止まる。でも司法書士の仕事は止まらない。次から次へと案件はやってくる。だから一つのミスに引きずられる暇もない。だけどその分、ミスを引きずったまま進んでいくしかなくなる。心の傷はそのまま、次の案件へと引き継がれていく。
精神論では乗り越えられない現実
結局、精神論って使い物にならないことがある。「気合いでなんとかなる」なんて時代はとうに過ぎてる。必要なのは、誰かの「大丈夫」という肯定。それがあるだけで、また明日もやろうと思える。だからこそ、今日は自分にもそう言ってやろうと思う。「お前、大丈夫だよ」って。
明日もまた誰かのために働くから
誰かの不安を支えたり、必要な登記を淡々とこなす毎日。それでも、たまには心が折れそうになることもある。そんな夜に、ふと誰かに「だいじょうぶ」と言ってもらえたら、それだけで持ち直せる気がする。司法書士としての責任感も、やりがいもある。でも人間として、弱さを受け止めてくれる誰かがいること。それが一番大きな支えになるのだと思う。