事務所に流れる異様な静けさ
朝、いつものように事務所のドアを開けた瞬間、空気が違うと感じた。パソコンの起動音も、書類をめくる音も、何も聞こえてこない。彼女はいつも僕より先に来て、メールを確認しながらお茶を飲んでいる。そんな日常の光景が、その日はなかった。僕の足音だけが、やけに響いていた。違和感というのは、言葉にはならないけど、肌で感じるものだ。誰かの不調を察知するときって、大げさな表現じゃなく、空気の密度すら変わるような気がする。
朝の気配がいつもと違う
カバンを机の上に置いても、返事がない。挨拶をしても、背中越しにわずかな反応しかない。「あれ、どうした?」と声をかけると、かすかに顔がこちらを向く。でも、顔色が明らかに悪い。手元を見ると、指が小刻みに震えていた。寒いのか、緊張しているのか、判断がつかなかった。でもそれは、何かを我慢しているサインだった。僕はあえて深く聞かず、「とりあえず座ってて」とだけ言った。
挨拶の声が聞こえない朝
普段は明るく「おはようございます」と言ってくれる彼女が、その日は口を開くのもつらそうだった。こういうとき、気の利いた言葉なんて出てこない。たぶん僕は気が利かないタイプだ。だから「水いる?」とか「エアコンつけようか?」みたいな、間の抜けたセリフしか言えなかった。でも、そうでもしないと、こっちの動揺をごまかせなかった。
「もしかして…」の直感
あの時、心の中で「今日は無理させちゃいけない」と思った。でもそれと同時に、「でも仕事どうしよう」とも思ってしまった。事務所は二人しかいない。彼女がいないと電話にも出られないし、書類の準備も遅れる。彼女を気遣う気持ちと、業務の現実が同時に頭をよぎる。自分の中の利己的な部分が顔を出すのが、情けなかった。
頼りにしていた事務員さんの異変
彼女は無理に笑おうとしていた。体調が悪いのに、笑顔で「大丈夫です」と言ってくる。その姿を見て、思わず「いや、無理しないでくれ」と言いかけて言葉を飲み込んだ。僕が弱音を吐けない立場であるように、彼女も仕事場で迷惑をかけまいとしていたんだろう。だけど、それが本当につらそうで、こっちまで胸が苦しくなった。
いつもは明るい彼女が
彼女はお昼を食べることもなく、椅子に座ったままだった。顔色はどんどん悪くなり、ついには貧血のようにうつむいてしまった。これはもう限界だと判断して、僕は強引に「今日は帰って」と言った。事務所の仕事が滞ることより、彼女が倒れるほうが怖かった。帰り際、彼女が「すみません」と言った時、なぜか僕は怒りたくなった。謝るのはおかしいだろ、と。
震える手に気づいた瞬間
震えていたのは、体だけじゃなかった。彼女の心も、不安で震えていたんだと思う。僕だって毎日ぎりぎりでやってる。だけど、誰かの不調に直面すると、「自分ばかりが大変なんじゃない」って気づかされる。人って、他人のつらさを見ないと、自分の限界にも気づけないものなのかもしれない。
支える側の限界がくる時
僕は経営者で、しかも一人司法書士。誰かの体調を気にかける立場でありながら、自分の限界なんていつも後回しだ。だけど、支える側も人間だ。僕もまた、知らず知らずのうちに疲れを溜めていることに気づいた。あの日の静かな朝は、彼女だけでなく、僕自身の「限界信号」でもあったんだと思う。
優しさと責任の板挟み
「休んでいいよ」と言えば、仕事が回らない。でも「無理してね」とも言えない。優しさと責任の狭間で、毎日言葉を選びながら生きている。何でもない一言が誰かを傷つけるし、沈黙が逆に相手を追い詰めることもある。中途半端な優しさは、無責任にもなり得る。難しいよ、人と関わるって。
休んでほしいのに休ませられない現実
二人だけの事務所では、一人が抜けたら機能が止まる。それは重々承知している。でも、それを理由に「無理をしてくれ」とは言えない。だから僕は、できるだけ自分の負担を増やして、彼女の負担を減らそうとする。でもそれって、結局どちらかが壊れるだけじゃないかと思うと、怖くなる。
人がいない事務所のプレッシャー
電話が鳴りっぱなしの日、窓口に誰もいない日、そんな日はプレッシャーで頭が真っ白になる。元野球部でメンタルは強い方だと思ってたけど、年々そうでもなくなってきた。事務所を回す責任が、肩にのしかかって、呼吸が浅くなる瞬間がある。気づいたら、ため息ばかりついている。
誰かの不調が自分を映す
彼女の不調は、僕自身の状態を映す鏡でもあった。忙しさの中で、「お互い限界なんじゃないか」と言い出せなかっただけ。もしかしたら、もっと前からサインはあったのかもしれない。だけど、僕はそれに気づかないふりをしていた。忙しいって便利な言葉で、自分にも他人にも嘘をついてた。
無理してるのは自分だけじゃない
いつも「俺ばっかり頑張ってる」って思ってた。だけど彼女の姿を見て、それが思い上がりだったと気づいた。みんな、無理してる。笑ってるから大丈夫とか、黙ってるから平気とか、そんなのただの幻想だった。僕は、彼女のような存在に支えられていたことを、ようやく思い知った。
心と体がすり減っていく音
書類の音、キーボードの音、電話の音。それらに混じって、聞こえない音がある。心と体が擦り減っていく音。聞こえないけれど、感じるべきだった。僕たちはどこまで無理をしていいのか、その線引きがわからなくなる時がある。だからこそ、人の小さな異変を見逃さないようにしたい。
見て見ぬふりの代償
見て見ぬふりをするのは、楽だ。でも、その代償は大きい。誰かが倒れてからでは遅い。大切なのは、倒れる前に気づくことだ。そのためには、少し立ち止まって、目の前の人をちゃんと見る勇気が必要なんだと思う。あの朝の彼女の震えは、僕の心に今も残っている。