“余裕がなさそうに見える”って言われた日
司法書士として日々仕事に追われていると、自分では気づかないうちに疲れが顔や態度に出てしまうことがあります。ある日、ふとした会話の中で「余裕がなさそうに見えますね」と言われました。その言葉はまるで胸を突かれるようで、図星だったからこそ返す言葉も見つからず、ただ苦笑いを浮かべるしかありませんでした。忙しさを言い訳にして、いつの間にか人に与える印象すら気にしなくなっていたことに、その一言が気づかせてくれたのです。
言われて初めて気づく「見た目の余裕のなさ」
人から指摘されるまで、自分に余裕がなさそうな雰囲気が漂っているなんて思いもしませんでした。むしろ「なんとか頑張ってる」と思っていた自分にとってはショックです。でも冷静になって考えてみると、連日の睡眠不足、食事もコンビニ弁当で済ませ、笑顔も忘れていたかもしれません。まるで“余裕のない生活”そのものが、表情や立ち居振る舞いに染みついていたのだと気づきました。
鏡に映る自分の顔が想像よりずっと疲れていた
その日の夜、何気なく洗面所の鏡を見たとき、自分の顔が思っていた以上に疲れていることに気づきました。クマの浮いた目元、しぼんだ頬、そして妙に険しい眉間のシワ。「これは…余裕なさそうに見えるわ」と自分でも納得。まるで数年分の疲れが顔に刻まれているようでした。昔はもっと表情も柔らかく、声にも明るさがあったのに、今の自分にはその影すら残っていない。こんな状態じゃ、そりゃ女性にもモテないわけです。
無意識のしかめっ面と肩のこわばり
気づけば、机に向かっているときも、歩いているときも、常に眉間にシワを寄せていました。そして肩も妙に力が入っている。これじゃあまるで戦闘態勢。周囲から見れば「近寄りがたい」どころか、「何か怒ってるのかな?」と思われても仕方ない。実際、事務員さんに「先生、今日ちょっと怖いです…」と遠慮がちに言われたこともあります。本人は気づかないけれど、そういう“余裕のなさ”って空気から伝わってしまうんですね。
司法書士という仕事が削っていく「内なる余裕」
この仕事は、とにかく“待ってくれない”仕事です。期限、調整、確認事項…ひとつでもミスがあれば信用問題になります。責任感を持って取り組むほど、自然と「余裕を持つ」ことが難しくなる。特に田舎の個人事務所だと、全部一人で抱える感覚があり、気が休まる暇がありません。ちょっとのんびりしていると「何か忘れてるんじゃないか」と不安になる始末。いつの間にか“安心”や“のんびり”が贅沢になってしまったのです。
期限、プレッシャー、そして孤独
期限に追われるのは仕方がない。でも一番きついのは、相談できる相手がいないこと。大きな事務所のようにチームで動けるわけじゃなく、基本は自分ひとり。判断を誤れば、自分だけでなく依頼人にも迷惑がかかる。そのプレッシャーの中で、誰にも弱音を吐けないのはつらい。たまに事務員さんにぼそっと愚痴ると「先生、大丈夫ですか?」と心配そうな目で見られる。そんな自分がさらに情けなく感じて、黙ってしまうのです。
誰にも相談できない専門職ゆえの静かなストレス
士業という立場上、「プロである自分は、常に冷静であるべきだ」と思い込んでいました。でもそれは、自分の感情やストレスを押し殺すことと表裏一体。たとえば、難しい登記案件で悩んでいるとき、誰かに「これどう思う?」と軽く聞けたらどれほど救われるか。でも現実は、孤独にPC画面をにらみ続ける毎日。静かなストレスがじわじわと心をむしばみ、「余裕がない」という状態に拍車をかけている気がします。
モテない理由も「余裕がなさそう」から来てるのかも
昔から、恋愛にはあまり縁がなかったほうです。でも年を重ねてから、「余裕がなさそう」「楽しそうに見えない」と言われることが増えました。確かに、デートに誘われたとしても「この仕事が終わったら」と後回し。休日も急ぎの書類作成に追われて、連絡もそっけなくなる。そりゃ、好かれるわけがないですよね。愛想よく、柔らかく話す余裕がある人がモテるのは当然で、それができない今の自分は“選ばれない”のも仕方ないのかもしれません。
見た目・雰囲気・言葉選び…全部が疲弊している
あるとき、久しぶりに同級生と飲みに行ったんです。そしたら「お前、昔はもうちょっと柔らかかったよな」と笑われました。何も変わっていないつもりだったのに、周囲からは“変わった人”になっていた。見た目も雰囲気も、そして口にする言葉も全部が疲れと焦りに染まっていたんでしょう。恋愛は人間関係すら億劫になる今、どこかで「余裕がなさそう」と思われる自分に納得してしまう瞬間もあるのです。
「一緒にいて癒されない」って言われたことがある
過去に付き合っていた女性に、別れ際こう言われました。「あなたと一緒にいても、なんだか休まらない」。その言葉が、いまだに胸に残っています。優しさで接していたつもりでも、きっと言葉の端々に余裕のなさや苛立ちがにじんでいたんでしょう。自分を追い込む癖が、他人をも居心地悪くしてしまう。人に甘えることが苦手な性格が、逆に相手に“冷たさ”として伝わっていたのかもしれません。
それでも「余裕がなさそう」と言われて良かったこと
その言葉がなければ、自分の状態にここまで真剣に向き合うことはなかったかもしれません。忙しさを理由に、余裕のなさを当たり前にしていた。けれど「見た目に出てますよ」と指摘されたことで、ようやくブレーキを踏めた。他人の言葉でしか気づけなかった自分に情けなさも感じますが、逆に言えば「ちゃんと見てくれてる人がいた」と思えたのも事実。孤独な仕事でも、誰かが気にしてくれている。その実感だけでも少し、心が軽くなりました。
自分を立ち止まって見つめ直すきっかけになった
「余裕がなさそう」という言葉に、最初は落ち込みました。でもそれは、自分の生活や働き方を見直すきっかけになったのです。夜ふかしを減らし、週に一度は必ず“仕事をしない日”をつくるようにしました。そうすると少しずつ、体も心も変化してくるんですね。ふと気づけば、以前よりも人と向き合う余裕ができていて、それがまた仕事の質にも良い影響を与えてくれるようになりました。
誰かの一言が、孤独な自営業者を救うこともある
仕事に追われていると、どんどん自分の感情が麻痺していきます。そんなとき、誰かがふと投げかけてくれる言葉が、救いになることもあるんです。あの一言がなければ、今もきっと眉間にシワを寄せたまま、ただ業務をこなしていたでしょう。だからこそ今、少しずつでも周囲の声に耳を傾け、自分の状態を客観的に見る努力をしています。それができれば、余裕のある自分にも、また少し近づける気がしています。