契約立会いで凍りついた一言:「これって詐欺じゃないですか?」
あれは忘れもしない、とある火曜日の午後。地方の小さな会議室で、いつもどおりの契約立会いを行っていた時のことです。登場人物は売主と買主、それぞれの親族、そして私。和やかとは言わないまでも、普通の空気でした。しかし、買主の姪にあたる方が突然放った一言——「これって詐欺じゃないですか?」で、空気は一変しました。その場にいた全員が一瞬固まりました。私も例外ではありません。今でも、その声のトーンや、場の凍りついた空気感を鮮明に思い出せます。
事件の発端:空気が一変した瞬間
その立会いは、不動産の売買契約。特に珍しい類のものではありませんでした。売主は高齢の男性、買主はその親族である若い女性。しかし、同席していたもう一人の女性が、契約書の説明中に急に発言したのです。あまりにも唐突で、その場にいた誰もが返す言葉を失いました。
何気ない説明の途中での突然の発言
「では、こちらに署名をお願いいたします」といつも通りに促した直後、「ちょっと待ってください」と声がかかりました。何かご不明な点が?と聞き返すと、その方は契約書を指差しながら、「これって詐欺じゃないですか?」と静かに言ったのです。怒鳴ったわけでもなく、冷静なその語調が、逆に怖かった。
周囲の反応と沈黙——その場の空気が止まる
誰も言葉を発さない。沈黙が数秒、いや体感では1分にも感じられる時間が流れました。売主は不快そうに顔をしかめ、買主は急にうつむいてしまい、私の心拍数だけがやたらと速くなっていくのを感じていました。こんなとき、司法書士ってどう動けば正解なんでしょうね。
「司法書士って、誰の味方なの?」と聞かれて
事態をなんとか落ち着かせようと、「私は中立の立場ですので…」と説明を試みましたが、返ってきた言葉は、「じゃあ誰の味方でもないってことですか?」というもの。まったくもってその通りです。だとしても、やはり心は揺れます。
中立って言葉が一番通じにくい場面
「私はどちらの肩を持つこともできません」という説明は理屈としては正しいけれど、この場の空気には通じません。感情が高まっているとき、人は“誰かの味方”を欲しがるものです。特に弱い立場の側からすれば、第三者が味方でないというだけで、心が折れてしまう。
当事者同士の力関係に飲まれそうになる感覚
今回のように、形式上は合意している契約でも、微妙な力関係が背後にあると、私の立場は難しくなります。たとえ意思確認が取れていたとしても、本当に心からの合意なのか、どこかに無言の圧力があったのではないか——そんな疑念が脳裏をよぎるのです。
そもそも、この案件に違和感はあった
思い返せば、最初に相談を受けたときから、何か引っかかる感覚はありました。依頼者の口数が異様に少なく、説明しても反応が薄かった。こういうときの「違和感」を、もっと大事にするべきだったのかもしれません。
依頼時点での不自然さ——「なんとなく変」な空気
「あれ?なんか変だな…」と思うことってありますよね。明確な証拠や理由はないけれど、経験からくる勘のようなもの。でもそれって、忙しい日常の中では流されてしまいがちです。今回も、「まあ大丈夫だろう」と思ってしまった自分がいました。
経験で感じ取る“赤信号”の見極めとは
こうした違和感をどう判断し、どの時点で「断る」という決断を下せるのか。正直、今でも正解はわかりません。感覚を信じすぎれば過剰反応になるし、無視すれば今回のように後悔が残る。判断基準がもっと欲しい、というのが本音です。
司法書士としての立場と限界
私たちは法に則って中立的に職務を果たす義務があります。でも実際の現場では、それだけじゃ説明のつかない感情のぶつかり合いも起こります。そこに巻き込まれないようにしながら、でも無関心でもいられない——そんな矛盾した立場に悩まされます。
契約の自由と本人意思確認のジレンマ
契約というのは、本人の自由意思に基づいて行われるべきものです。しかし、“本人の意思”がどこまで本物か、見極めるのは簡単ではありません。表情や声のトーン、話すときの間。そこから汲み取るのも限界があります。
本人が納得してるように見えても安心できない
「はい、大丈夫です」と言われても、その言葉にどこか違和感があることがあります。でも言葉だけを信じるしかないのが現実。それが後々「ちゃんと確認したんですか?」と言われることになるので、本当に怖いです。
意思能力と周囲の圧力の見えにくさ
判断能力があるかどうか、周囲からの影響があったかどうか。これを一時間弱の面談で見極めろというのは無理がある気もします。でもそれが私たちの仕事。責任の重さに押しつぶされそうになる瞬間もあります。
「立会人」としての責任の重さ
たった一つの署名や押印。それを見届けるだけの仕事、と思われがちですが、その裏にある責任は決して軽くありません。どんな気持ちでその紙に印を押しているのか、本人の未来にどう影響するのか、いつも考えてしまいます。
押印した瞬間に襲う不安と後悔
契約書に押印されたその瞬間、安心よりもむしろ、不安が押し寄せてくることもあります。「本当にこれでよかったのか…?」という自問。終わった直後に、しばらく動けなくなることも珍しくありません。
結局、自分のサインが“正当化”に使われる
「司法書士さんが立ち会ったから大丈夫」という言葉が後から出てくると、いたたまれない気持ちになります。自分の存在が“お墨付き”のように使われてしまう——そうなると、何のために中立でいたのかわからなくなります。
今後に向けてできること
こうした出来事を経て、自分の立場を見つめ直す機会が増えました。後悔ばかりですが、それを少しでも次に活かすために、日々小さな工夫を積み重ねています。
リスクの芽を見逃さないための事前確認
まずは初回の面談から気を抜かないこと。小さな表情の変化や、話し方の微妙な違和感をスルーしないよう心がけています。また、可能な限り第三者がいるときの対応では、誰が主導しているのかを注意深く観察するようになりました。
登場人物を一人ひとり観察する習慣
特定の人だけが話していて、他の人が口を出さないような場面では、念のために全員に確認の言葉をかけます。「○○さんもご納得されていますか?」と、名指しで聞くことも増えました。それでも「はい」としか返ってこないのですが…。
同席者との距離感に違和感があるときの対処
肩書ではなく、距離感や発言権で上下関係が見えることがあります。そうしたときは、立会い自体を延期する提案をすることも。過剰かもしれませんが、「あのとき止めておけば…」という後悔だけは避けたいのです。
もう一歩踏み込んで断る勇気を持てるか
最終的には、自分の中で「これは無理」と判断したときに、ちゃんと断る勇気を持つこと。それがまだ完全にはできません。お金も関係も失うかもしれない。でも、自分を守ることも大事。そう思うようになりました。
断ることで失う信頼もあるが、守れるものもある
「あの司法書士は融通が利かない」と思われることもあります。でも、それで救われる誰かがいるなら、それでいいんじゃないかとも思います。信頼とは、必ずしも“お願いを聞くこと”だけで得られるものではないと信じたいです。
「保身じゃないか」と自問する夜もある
時には、「自分が傷つきたくなくて断っただけじゃないか」と、自問自答することもあります。でもそれでもいい。後悔を繰り返さないためには、自分の感情ともきちんと向き合うしかないんですよね。
それでも、やっぱりこの仕事を続けている理由
嫌なことも怖いことも多いけれど、やっぱり人が安心して契約を結び、「これで良かったです」と笑ってくれたときの気持ちが忘れられないんです。その瞬間だけで、もう少しだけ頑張ってみようと思えてしまう。困ったもんですね。
すぐそばで誰かが救われる瞬間がある
一見、ただの契約書に見える紙の裏には、人生の分岐点が詰まっていることがあります。そんな大切な瞬間に関われるこの仕事。やっぱり、やめられません。