家族信託ってそんなに流行ってるのか
最近「家族信託」という言葉を見聞きする機会がやたらと増えた気がする。少し前までは遺言書や成年後見が中心だったが、今やセミナーの案内も本もチラシも「家族信託」のオンパレード。まるでこれを知らないと専門家失格ですよとでも言いたげな空気だ。だが、本当にそんなに必要な制度なのか?私のような地方の司法書士の実感としては、その流行り具合にやや温度差を感じている。正直なところ、「また新しい制度か、勉強しなきゃ…」と頭を抱えているのが本音だ。
最近やたらと聞くようになった言葉
とにかくメディアが煽る。「これからの相続対策は家族信託!」と力強く書かれていると、つい自分も乗り遅れているのではないかと焦ってしまう。先日も市の広報誌に「家族信託無料セミナー開催」と大きく載っていた。これを見た依頼者が「先生、家族信託ってやった方がいいんですよね?」と聞いてくる。こちらも知識が中途半端な状態だと、うまく答えられずに冷や汗をかく。まるで波が来たサーファーのように、乗らないと転ぶ、みたいな妙なプレッシャーがある。
テレビでも雑誌でもとにかく家族信託推し
ある朝、テレビをつけるとワイドショーで特集が組まれていた。「家族信託で安心老後を」と司会者がにこやかに紹介するが、あの簡潔な説明で本当に理解できる人がどれだけいるだろうか。雑誌でも特集が組まれ、まるでみんなが当然のようにやっているような空気を醸し出す。けれども、その裏で制度の運用や実務がどれだけ複雑で手間がかかるか、伝えているメディアはほとんど見ない。実際の契約書を見れば、気が遠くなる人も多いはずだ。
本当にみんなが理解して契約しているのか
ある依頼者が「信託ってなんかかっこいいですよね」と言った。正直、そこに少し違和感を覚えた。かっこよさでやるものではない。中身を理解せずに、ただ「流行ってるから」や「勧められたから」で契約してしまうと、後から家族同士でトラブルになる可能性がある。契約者自身が認知症になった後、受託者がその役割に疲弊することもある。そういう現実的な部分を、もっと広く伝えるべきじゃないだろうか。少なくとも「流行ってるからやる」という考え方は危うい。
実際の現場ではどうなのか
少なくとも私の地元では、家族信託の相談はそこまで頻繁ではない。実際、登記件数としても劇的に増えているわけではない。むしろ「相続放棄」「遺産分割協議」など、地味だけれど切実な相談の方が多い。家族信託という制度の先進性に憧れつつも、実際にはその必要性や効果をきちんと理解したうえで導入できているケースは少ないと感じている。
登記件数はそこまで増えていない現実
法務局での信託登記件数を見ても、ここ数年で爆発的に伸びたわけではない。むしろ都心部を除けば、微増といった程度だ。周囲の司法書士仲間に聞いても、「年に1件あるかないか」という話も珍しくない。にもかかわらず、なぜこれほどまでに注目されているのか。きっと「未来への備え」という響きが受けているのだろう。けれども実際には、備えられるだけの余裕がある家庭の方が少ない。
信託の相談より相続放棄の方が多い
「うち、借金しかないんで放棄したいんです」という相談の方が圧倒的に多い。信託で財産を管理する以前に、そもそも財産がない家庭も多いのだ。自分の老後に家族を巻き込むより、最低限の手続きをしっかり整える方が現実的という人たちが、地方には多い。家族信託の“ブーム”は、どこか都市部の話に感じてしまうのだ。
司法書士としての戸惑い
こうして日々の業務に追われながら、流行に取り残されていくような焦りも感じている。SNSでは同業の若い司法書士たちが「家族信託の事例を10件こなしました」と堂々と発信しているのを見ると、心がざわつく。自分も何かしないと…そんな風に焦る気持ちが募っていく。だが現実には、一人事務所で目の前の案件を片付けるので精一杯だ。
流行に乗らなきゃ置いていかれるのかという焦り
新しい制度が注目されるたびに、「それに対応できるようにならなきゃ」という義務感がわいてくる。けれども、事務員一人の小さな事務所で新しい制度に一から対応するには限界がある。講習会に行く時間もないし、資料を読んでも専門用語ばかりで頭に入ってこない。気づけば、また一つ流行に乗り遅れたという後悔ばかりが募っていく。
営業しろというプレッシャーがじわじわくる
家族信託のセミナーを開いて、新しい顧客を獲得しましょう!といった案内が届くたびに、胸が苦しくなる。確かに営業は大事だ。でも、現実は事務処理に追われて日々ギリギリ。新しい制度を学んで、さらに営業までやれというのかと思うと、つい溜息が出る。自分のような不器用で、目の前の仕事にしか集中できない人間は、もう時代遅れなのかと感じてしまう。
でもこっちは一人事務所なんですよと叫びたい
大きな事務所ならチームで動ける。若いスタッフが勉強して、発信もできる。でもこちらは違う。電話も対応して、書類も作って、現場にも行って、全部一人で回す日々。そんな中で新しい制度に取り組む余裕なんてあるわけがない。もっと現実的なサポートや情報提供がないと、置いていかれる司法書士がますます増えていく気がしてならない。
ひとりの司法書士として思うこと
家族信託という制度そのものを否定したいわけではない。むしろ、うまく使えば非常に有効な手段だと思う。でも、誰にでも当てはまるわけではないし、今のような「信託しなきゃ損」といった風潮には、少し違和感を覚える。もっと「誰のための制度か」という原点に立ち返って考える必要があるのではないか。
相談者の本音にもっと目を向けたい
ある高齢の相談者が「娘に迷惑かけたくないんです」と言った。その一言に全てが詰まっていた。制度の正しさや合理性よりも、家族の中でどうしたいかが一番大事なのだ。それをすくい取れずに、ただ制度をすすめるだけでは専門家として不誠実ではないかと、自問するようになった。書類を整える前に、まずはその人の気持ちを理解したい。そう思うようになったのは、少し歳を取ったからかもしれない。
制度よりも誰がどうしたいかを大事にしたい
制度に当てはめて答えを出すよりも、その人の生活や考えに合った提案をしたい。「家族信託じゃなくても、遺言と任意代理契約で充分ですよ」と伝えることも増えてきた。信託が“今っぽい”からといって、必ずしもベストではない。自分の判断が時代遅れなのかと悩むこともあるけれど、それでも依頼者の顔を見て決めるというスタンスは変えたくない。
信託よりも遺言で済むならその方が現実的
信託契約書は分厚く、関係者も多く、運用も複雑になることがある。遺言で済むケースも多い。その方がシンプルで、トラブルも起きにくい。必要以上に難しい制度を導入することで、かえって負担が増すこともあるのだ。信託が最適な場面もあるが、それを見極める力こそ司法書士の役割だと思っている。
自分がブームに踊らされてないか見つめ直す
結局、自分自身が焦っていたのかもしれない。流行に乗らなきゃという不安。取り残されることへの恐怖。周囲に見栄を張る自分。だけどそれって、本質からズレていたのではないか。大事なのは、制度の名前でも実績でもなく、依頼者が安心して生きられるかどうかだ。そう思えたとき、少し気持ちが楽になった。
結局は自分の不安を隠すための流行追いかけ
家族信託の勉強をしていたとき、ふと「これ、誰のためにやってるんだっけ?」と思った。依頼者のためじゃなく、自分が取り残されないようにという恐れから来ていた気がする。その構図って、結局どこかで自分の弱さをごまかしてるだけだったんだろう。見栄より現実を見ること。それが今の自分にできる唯一の選択だと思っている。
モテないのも流行に乗れないのも全部一緒かもしれない
若い司法書士がSNSでキラキラと活躍してるのを見ると、素直にうらやましい。自分は昔から不器用で、女性にもモテず、流行にも疎い。だけどそんな自分でも、地道にやってきた結果、相談者に「先生に頼んでよかった」と言ってもらえるときがある。その一言があるから、まだ続けられている。流行なんか気にせず、自分のペースでやっていく。それでいいんじゃないかと、少しだけ思えるようになった。