これで良かったのか、と夜に思う──司法書士という道を歩きながら

これで良かったのか、と夜に思う──司法書士という道を歩きながら

「これで良かったのか」とふと立ち止まる夜がある

仕事が終わって、事務所の電気を消す瞬間。外はすでに真っ暗で、人気もない。そんなとき、ふと「これで良かったのか」と考えることがある。司法書士になって20年近く経つのに、その問いだけは今でも答えが出ない。独立して、地方で事務所を構え、事務員さん一人となんとかやってきた。収入も安定し、生活に困ることはない。けれど、何かが足りない。誰かに「それで正解だよ」と言ってもらいたくなる夜が、時々ある。

静まり返った事務所で、一人考える

日中はバタバタと依頼が舞い込み、電話もひっきりなしに鳴る。事務員さんも黙々と作業をこなしてくれていて、本当に助かっている。けれど、夜になると事務所は静寂に包まれる。その静けさが、かえって心に響く。自分がやってきた仕事に誇りはあるつもりだが、「もっと違う人生があったのでは」と考えてしまう。特に誰かに会う予定もないまま、自宅に帰るだけの毎日。そんな繰り返しの中で、「これで良かったのか」という問いが、いつの間にか心の中に住み着いている。

忙しさの合間に顔を出す“問い”

不思議なもので、本当に忙しい時にはそんなこと考えない。あくせく仕事をしているうちは、日々の業務に追われて思考停止していられる。だが、ちょっと落ち着いた瞬間、あるいは土日の予定がぽっかり空いたとき、頭をもたげてくる。「これで良かったのか」──。答えなんてないのに、問いだけは妙にリアルで、重たい。思い出すのは、あの時の選択。司法書士を目指した動機、独立を決めた瞬間。そのすべてに、自信を持てた試しがない。

誰にも聞けない疑問、誰にも届かない答え

この問いに、誰かが正解をくれるわけじゃない。たとえ他の司法書士に相談したところで、「まあそんなもんだよ」と笑われるだけだろう。SNSに書けば共感のスタンプがつくかもしれないが、それで満たされるわけでもない。自分の人生の問いには、自分でしか向き合えないのだと、ようやく気づき始めている。でも、わかっていても、やっぱり誰かに聞きたくなる。「これで良かったのかな?」って。

そもそも司法書士という職業を選んだ理由

振り返れば、司法書士という道を選んだのは、“なりたかったから”というより“なれそうだったから”に近い。大学卒業後、正社員の口も決まらず、資格に頼ろうとした自分。法学部だったこともあって、「司法書士、いけるかも」と思ったのが始まりだった。正直、消去法だった。弁護士は無理そうだし、行政書士はなんだかピンとこない。司法書士がちょうどいい“難しさ”に思えた。そんな軽い動機だった。

資格に逃げた20代の自分

今思えば、就職活動から逃げたかっただけだったのかもしれない。どこかの会社で歯車のように働く未来が怖かった。誰かに使われるより、独立して“先生”と呼ばれたほうが楽に思えた。でもそれは、若気の至りだった。資格を取った後の道がこんなにも孤独で、自分を律し続けなければならない世界だなんて、あの頃の自分は想像すらしていなかった。

「安定」という言葉にすがったあの頃

親からは「資格を取れば安泰」と言われ、周囲も「手に職があるといいよね」と持ち上げてくれた。だからこそ、「これで人生安定だ」と自分に言い聞かせた。けれど、本当の“安定”って、そう簡単なものじゃない。収入の上下、クライアントとのトラブル、孤独な意思決定。それらにさらされ続ける日々は、安定どころか不安定の連続だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。