久しぶりに届いた結婚式の招待状に戸惑う
その封筒を見たとき、一瞬なんのことかわからなかった。差出人は大学時代の友人、野球部の仲間だ。結婚式? まさか、あいつが結婚するとは。驚きと同時に、なぜか胸がざわついた。普段、登記や書類に追われて日常に感情を挟む余地もない生活をしていると、こんなハレの日の知らせに戸惑ってしまう。自分の人生にはもう縁がないと思っていたものだったからかもしれない。
封筒を開けた瞬間に湧いた複雑な感情
綺麗な白い招待状。活字で整えられた日時と場所、そして新郎新婦の名前。その横に小さく「久しぶりだな、会えるの楽しみにしてる」と手書きの文字が添えられていた。嬉しいのに、寂しい。不思議な感情が交錯する。まるで、自分だけが時の流れに取り残されているような気がした。友人は人生を前に進めているのに、自分はというと、事務所と家の往復、そして孤独な日常の繰り返しだ。
「おめでたい」と「置いていかれた感覚」の同居
祝う気持ちはある。昔から優しくて真面目だった彼が結婚するのは、素直に嬉しい。でも、心のどこかで「また一人先を越されたな」という寂しさが湧き上がる。誰かの幸せを喜びつつ、自分の空虚さを直視させられる瞬間。こういう時、独身の重みをずしんと感じる。結婚をしていないことが悪いとは思わないけれど、人生の選択肢が少しずつ狭まっていくような焦りが、確かにあった。
仕事ばかりで人生を送ってきた自分を省みる
司法書士として、信頼を得るために努力はしてきたつもりだ。登記ミス一つも許されない世界で、毎日が神経戦だ。でも気づけば、事務員との簡単なやりとり以外、人との会話すら減っていた。誰かのために役立っているという実感はあるけれど、それが自分自身の人生を豊かにしてくれるかというと、答えに詰まる。この招待状は、そんな自分への静かな問いかけにも思えた。
当日までの準備が妙にしんどかった
結婚式なんて何年ぶりだろう。スーツを引っ張り出し、鏡の前でネクタイを結ぶ。これがまあ、うまくいかない。気づけばスーツは少しきつくなっていて、靴は固く、昔のようには足に馴染まない。準備だけで軽く疲れてしまった。別に誰に見せるわけでもないのに、なんでこんなに気にしているんだろう。心のどこかで「見られている」自分を意識していたのかもしれない。
スーツがきつい 靴が痛い 髪型も決まらない
こんなに準備って面倒だったっけ?ネクタイの結び目は歪んでるし、ワックスをつけても髪は決まらない。出かける前からすでに疲労感たっぷり。そんな自分を鏡で見て、ふっと笑ってしまった。ああ、年取ったな、って。昔はもっと身軽に、こういう場所にもワクワクしていた気がする。今はもう、「面倒くさい」と「浮かないか」の心配ばかりが先に立つ。
誰にも見られてないのに気になる自意識
正直、式場で誰かに話しかけられるわけでもないし、元同級生たちとも距離はある。なのに、こんなに気にする必要ある?と思う。でも、どこかで「ちゃんとしてない自分」を見られたくない気持ちがあった。年齢も職業も関係なく、人の目ってやっぱり気になるものだ。独り身というだけで、どこか「欠けてる人」みたいな視線を感じるのは、自分の被害妄想なんだろうか。
事務員には「行ってきてくださいね」と笑われる
出かける直前、事務所で事務員に声をかけたら「いいですね、結婚式!行ってきてくださいね」と笑顔で言われた。こっちはすでにテンション下がってるのに、その笑顔がまぶしくて逆に眩暈がした。「誰かと行くんですか?」と聞かれなかっただけ、まだ優しさがあるなと思ったり。独身でいると、こういうやりとりすら地味にダメージになったりする。まったく、情けない話だ。
式場で感じた疎外感と懐かしさ
会場に着いて最初に感じたのは、懐かしさと場違い感だった。華やかな照明、楽しげなBGM、きらびやかな服に身を包んだ人々。そこに、よれたスーツで立っている自分。周囲の空気に馴染めないのがはっきりわかる。でも、少し遅れてきた元野球部の仲間が見つけてくれて、ひとまずホッとした。
元野球部仲間との再会に胸がざわつく
「お前、変わってねえな!」と笑い合うその瞬間だけは、高校時代に戻れたような気がした。グラウンドで汗を流していた日々、ケンカもしたけど、同じ目標に向かって走っていた仲間たち。今じゃ、それぞれ家庭を持ち、立派な肩書きを背負っている。自分も一応、事務所経営者ではあるけれど、「立派」と言われると妙に引っかかる。
「お前はいつ結婚すんだ」と笑い飛ばされて
宴も中盤、酒も進んだころ、案の定言われた。「お前、まだ独身? いつ結婚すんの?」と。場の空気を壊さないように笑って返したけれど、胸の奥が少しだけ痛んだ。「そんな簡単に決められるもんじゃない」と言い訳したい気持ちもあった。でもそれはきっと、負け惜しみに聞こえるだけなんだろう。
笑って返したけど少しだけ心が揺れた
笑顔の裏側で、自分の選択が正しかったのかをまた考え直していた。「仕事が忙しいから」と理由をつけて、人と向き合うことを避けていた。そう気づいたのは、この場で初めてだったかもしれない。誰かと一緒に歩む人生を、自分で選ばなかっただけなのに、置いていかれたような気がしている。苦しいのは、その矛盾だ。
帰り道で考えたこれからの人生
式が終わり、夜風に吹かれながら駅まで歩いた。ネクタイを緩めながら、ぼんやりと空を見上げた。星が妙にきれいだった。ふと思った。司法書士として、他人の人生に関わる仕事をしているのに、自分の人生にはずいぶん無頓着だったな、と。
「自分の人生これでよかったのか」と問い直す
毎日忙しい。書類は山ほどあるし、相談者の人生は重い。でも、自分の人生の相談には誰も乗ってくれないし、自分自身も耳を傾けてこなかった。このまま誰にも頼らずに老いていくのか。いや、誰にも頼れないような生き方をしてきたのかもしれない。今日くらい、自分の人生と向き合っても罰は当たらないだろう。
司法書士という職業が好きなはずなのに
この仕事が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。人の役に立つという実感もあるし、やりがいもある。だけど、それだけでは埋められないものもあるんだと、今日はっきり思った。心の奥にあった小さな「寂しさ」が、結婚式というハレの日に照らされて、妙に際立ってしまったのかもしれない。
頑張ってる人を支えるのが自分の役目だと思っていた
「誰かのために」と思って仕事をしてきた。でも、誰かに支えられる自分のことは後回しにしていたのかもしれない。独りでいることは自由だけど、自由は時に孤独でもある。これからも一人かもしれない。でも、今日の経験は確かに、心にしみた。たまには、こういう刺激も悪くない。人として、司法書士として、少しでもまっすぐに歩けたらいいなと思う。