笑ってやり過ごしたあの日のこと
「先生って、いつも明るいですよね」なんて言われると、内心は少しチクッとする。いや、たしかにそう見えるようにしているし、見せている。でも、それは素で笑ってるわけじゃない。仕事の合間、机に伏せてひと息つきたくなる日もある。それでも電話が鳴れば、明るい声で「はい、○○司法書士事務所です」と応える。そんなふうに、泣きたい気持ちを笑ってごまかしてきた日々。今日は少しだけ、その仮面を外して、自分の気持ちと向き合ってみようと思う。
本当は泣きたいのに笑顔を貼り付けた理由
「笑ってた方が周りも安心するから」と、自分に言い聞かせてきた。実際、暗い顔で相談を受けたら依頼者も不安になるだろうし、信頼を損ねかねない。だから、どれだけ胃が痛くても、睡眠時間が削られていても、笑顔を作ってきた。でもその笑顔の裏で、何度も「自分って何なんだろう」と思った。人に寄り添う仕事なのに、自分の気持ちには全然寄り添えていなかった。強がりもクセになると、いつか心が追いつかなくなる。
依頼者の前では「元気な司法書士」を演じていた
「大丈夫ですよ、すぐ解決できます」なんて言葉、どれだけ口にしただろうか。もちろん本心からそう思ってる案件もあったけれど、内心ヒヤヒヤのことも多かった。なのに、あの頃の自分は、無理にでも頼もしそうな表情を作っていた。高校時代、野球部でエースだった時と同じ感覚。試合中に不安な顔は見せられない。あれと似てる。だけど、これはもうスポーツじゃない。生活がかかってる。相手の人生も背負ってる。その重さに押しつぶされそうになりながらも、「元気な司法書士」という看板は外せなかった。
電話一本のテンションすら演技になる現実
ある朝、寝起きに熱っぽさを感じた。頭が重く、喉も痛い。でも着信音が鳴った瞬間、反射的に声色を切り替える。「はい、○○司法書士事務所です!」──まるで舞台俳優のようだと、自分で自分にツッコミを入れたくなった。そうして無理にテンションを上げて話した後は、どっと疲れが襲ってくる。電話一本でこんなに消耗するなんて、昔は想像もしなかった。だけど、そんな毎日を、もう何年も続けてきた。
忙しさに紛れて本音を置き去りにする日常
タスクに追われる日々は、自分の気持ちを感じる余裕すら奪っていく。朝から晩まで相談、書類作成、登記手続き、法務局とのやりとり。事務員も一人だけだから、ちょっとした事務ミスも結局は自分の責任になる。忙しければ、泣く暇もない。けれど、ふと一息ついたときに押し寄せる、言葉にならない疲労感。その正体が分からないまま、また翌日の準備に追われる。
事務所を一人で支える重圧と責任
事務所を開いてから十数年。最初は勢いでなんとか回してきたけれど、年を重ねるにつれて、体も心もきつくなってきた。一人で営業も実務も経理も全部やっていると、どこかで壊れる。でも、「休むと信頼を失うんじゃないか」「この案件だけは最後まで責任を持ちたい」と、なかなか手放せない。自営業って、誰にも「お疲れさま」と言われないし、「無理しないで」とも言われない。結局、自分が自分に言うしかない。
たった一人の事務員に頼りすぎてしまう罪悪感
彼女は若いけれど、頑張ってくれている。けれど、どうしても忙しい時は私のイライラが伝わってしまう。「ここ間違ってるよ」「この書類、まだだった?」──そんな言い方、したくないのに。怒っているわけじゃなくて、余裕がないだけ。それでも相手には伝わらない。帰り道、車の中で一人、反省会を開く。「もっと丁寧に話せばよかったな」って。でも翌朝にはまたバタバタして、同じことを繰り返している。
ふとした瞬間に訪れる虚しさ
誰かに心から「しんどい」と言えたら楽なんだろうけど、そういう相手がいない。友人も減った。恋人もいない。気づけば、事務所と自宅の往復だけ。週末の夕方、スーパーで弁当を買い、テレビをつけながら一人で食べる時間だけが空白になる。そんなとき、ふと「なんのために頑張ってるんだろう」と思ってしまう。
夕方コンビニで買う缶コーヒーの味が沁みる理由
仕事の合間、無性に甘い缶コーヒーが飲みたくなる日がある。特別うまいわけじゃないけど、その味がなんとなく安心する。高校時代、部活帰りに友達とコンビニで買ったあの味と同じだからかもしれない。疲れた体に、あの頃の記憶が染み込んでいく。今は一人だけど、あのときの自分も、がむしゃらで、でもちゃんと笑ってた。そんな自分を、少しだけ思い出せるから、この缶コーヒーが沁みるんだ。
笑い話のフリをした愚痴が止まらない
たまに昔の知人と会うと、つい愚痴が出てしまう。「いやー、仕事きつくてさ」「もう体がもたないよ」なんて笑いながら話すけど、本当はどこかで聞いてほしいだけなんだと思う。でも真面目な話になりすぎないように、冗談めかして逃げてしまう。そうして話題が変わると、また自分の気持ちは宙ぶらりんになる。「このまま何も変わらなかったらどうしよう」そんな不安が、また一人の時間に戻ってくる。
誰にも見せない疲れと不安の裏側
表向きは「ベテラン司法書士」だけど、中身は迷いと不安だらけだ。どれだけ経験を積んでも、初めての案件はあるし、法律は変わるし、人間関係も読めない。そんな中で、「ちゃんとしてる自分」を演じ続けるのは本当に疲れる。でも、それを誰にも言えない。言えば「この人、大丈夫かな」と思われる気がして、また笑ってごまかすしかない。
「いつか楽になる」という言葉がもう信じられない
昔は「今は苦しいけど、いつかきっと楽になる」と思っていた。でも気づけば45歳。その“いつか”は来ていない。むしろ、責任と疲労は年々増している。「このまま定年まで働けるのか?」「そもそも定年ってあるのか?」なんてことを考える。逃げたい。でも逃げたら終わる。そんな矛盾を抱えたまま、今日も仕事をしている。
元野球部でも折れそうな心の筋肉
野球部で鍛えた精神力は、それなりに役に立ってきた。朝練、ノック、走り込み──全部きつかった。でもあれは仲間がいた。声をかけ合って、支え合って乗り越えた。今は違う。一人で耐える日々は、体力よりも心を削る。筋肉痛のように、じんわりとくる心の疲れ。それを誰にも見せず、黙って耐えている日々が、一番キツい。
それでも今日も仕事場に立つ理由
それでも仕事を辞めようと思ったことはない。苦しくても、しんどくても、この仕事には意味がある。依頼者の不安を取り除くこと、手続きをきちんと終わらせること。それが、誰かの生活を支えていると信じたい。だから、仮面をかぶったままでも、今日も机に向かう。
依頼者の「ありがとう」が心に残る瞬間
「本当に助かりました」「先生にお願いしてよかった」──その一言で、何日分の疲れも少し軽くなる。人に必要とされること。それが、どれだけ大きな力になるか。誰かのために動けるうちは、自分の存在にも意味があると感じられる。その感覚だけが、今の自分を支えている。
苦しくても司法書士である自分を嫌いになれない
何度も「もう限界かも」と思った。でも、それでも明日もまた、この仕事をしている自分がいる。司法書士という仕事は、決して楽ではないけれど、自分がここまで生きてこれた証でもある。泣きたい気持ちを笑ってごまかしてきたけれど、たまにはその気持ちを正直に吐き出すことも、大事なのかもしれない。