簡単な修正のつもりが再申請という現実

簡単な修正のつもりが再申請という現実

ちょっとした修正のはずだった登記が地獄の入口だった

たった一文字の修正。そんなのすぐ終わる——そう思った僕が甘かった。司法書士の仕事には、いわゆる「軽作業」のように見える案件がある。依頼人も「名前の漢字が違ってるだけですから」と軽く言う。でも現実はそんなに甘くない。小さなミスほど、大きな落とし穴になることがある。まるでバッターに投げた緩いカーブが逆に打ち返されてホームランになるような感覚。油断してたら、いつの間にか大惨事に変わる。

登記の「訂正」なんてすぐ終わると思っていた

登記申請の軽微な訂正。例えば住所の丁目の数字が一つ違うとか、名前の旧字体が混ざっているとか。そんなのは、補正でさっと終わると思っていた。事務員と「これ、5分で済みそうだね」と話して、僕は気楽に法務局へ電話した。書類も作り直すまでもないと思っていたし、予定の合間に片づけようと考えていた。でも、ここからが地獄の始まりだった。

依頼人も自分も気軽に考えていた

「名前が一字違っていたので訂正お願いします」——そんな一言で済むと思っていた依頼人。僕自身も「まあ、訂正印でいける範囲だろう」とたかをくくっていた。でも、登記の世界は形式とルールの世界。少しの違いが全体の正確性を損なうと見なされた瞬間、話が変わってしまう。実際に依頼人には、「簡単に直せると思っていたのに、なんでそんなに大げさになるんですか?」と言われたが、内心僕の方が聞きたいぐらいだった。

法務局の一言で一気に空気が変わった

「これは訂正ではなく、取り下げてから再申請してください」——法務局の担当者のその一言が、僕の脳内を真っ白にした。あの瞬間、元野球部の僕にとっては、延長12回裏でサヨナラホームランを打たれたような絶望感だった。ほんのちょっとの修正が、書類の作成から申請料の支払い、関係者への連絡、説明と謝罪…すべての流れを巻き戻す羽目になる。簡単なはずが、終わりの見えない作業に変わっていた。

再申請のコストは時間と気力を奪う

書類のやり直しだけならまだいい。問題は、気力の損失。スケジュールが崩れ、依頼人への説明に追われ、他の案件にも影響が出る。事務所の空気も重くなる。たった一文字のミス。それがこんなにも影響を与えるとは。自分の不注意なのか、運が悪いのか、それとも制度の不条理か。誰にも文句を言えないまま、机に向かって再度の書類作成を始める日々は、静かに心を蝕んでいく。

二度手間三度手間の見えない地雷

申請書を最初から作り直すということは、単なるコピー作業じゃない。添付書類の再確認、関係者の再押印、そして何より「またやり直しか」と思いながら作るストレスが半端じゃない。集中力が落ちて、次の案件にも影響する。まるで足元に地雷があって、それを踏んでしまった感じ。誰にも見えないけど、そこに確かに存在する不条理な罠。

予定していた別件のスケジュールが崩壊

本来なら午前中に終わらせて午後は別の打合せに集中する予定だった。けれど、再申請の作業に追われ、その打合せはキャンセル。信用を失ったかもしれない。たった一件の「修正」が、dominoのように他の予定を崩していく。小さな歪みが、大きな破綻を生む。そんな連鎖が司法書士という仕事にはしょっちゅう潜んでいる。

事務員のため息に返す言葉もない

事務員がポツリと「またですか…」とため息をついた。責めるような口調ではなかったが、僕はそれを重く受け取った。「すまん」とも言えず、ただ無言で作業を続けるしかなかった。一人雇っているだけの小さな事務所では、空気が悪くなると逃げ場がない。その静けさが、逆に心に響いてくるのだ。

こういう時に限って他の案件も押してくる

なぜか一つトラブった途端に、他の案件も一斉に動き出す。「今かよ」と思うタイミングで電話が鳴り、メールが届く。自分の頭の中では「これ終わったら一息つける」と思っていたのに、現実はそんなに甘くない。追われる気持ちが募っていくと、焦りと苛立ちでどんどん余裕がなくなっていく。

電話は鳴り続けるのに手が止まる

書類を作っている最中に電話が鳴る。「後でかけ直そう」と思っても、それが2件3件と積もると、もう何が何だかわからなくなる。着信履歴と未読メールが積み上がり、何に手をつけるべきかすら混乱してくる。気持ちばかりが先走って、実務が追いつかない。こんな日が続くと、「自分は本当に向いてるのか?」とさえ思ってしまう。

ただでさえキャパが狭い一人事務所

小さな事務所には余力がない。どんなに気をつけていても、一本の電話で流れが崩れる。一つの案件が延びると、全体がズレていく。スタッフを増やせる余裕もないし、かといって減らすこともできない。この微妙なバランスの中で、どうにか回していくしかない。でも正直、しんどい。

忙しさと孤独が同時に押し寄せてくる

仕事が忙しければ寂しさを忘れるかというと、そうでもない。ふとした瞬間に、「誰にも頼れないんだな」と気づいてしまう。家に帰っても電気のついてない部屋。食事はコンビニ。誰かに愚痴を言いたくても、言える相手がいない。この孤独感は、忙しさとは別のベクトルで、確実に疲労を蓄積させていく。

小さなことのはずが心を削る日々

ほんの些細な修正だった。それが、ここまで大きなストレスになるとは思わなかった。登記の実務は、一見シンプルに見える。でもその裏には、膨大な確認作業と気遣い、そして自己責任がある。間違えたらすべてやり直し。謝罪も説明も、全部こっち持ち。誰に愚痴ることもできないまま、また次の案件に手を伸ばす。そんな日々の中で、少しずつ心がすり減っていくのを感じる。

愚痴をこぼせる相手がいない現実

この仕事は、誰かと協力し合ってこなすというより、自分で抱え込む時間が長い。ミスも、成功も、すべてが自分に返ってくる。だからこそ、少しでも愚痴を聞いてくれる存在がほしい。でも現実は、日々の業務に追われて人間関係も薄れがち。仕事の疲れを癒す場所が、どこにも見つからない。

モテもしないし家に帰っても一人

仕事を終えて事務所を閉めたあと、夜道を歩く帰り道。ふと、誰かと食事がしたいと思っても、連絡する相手すら浮かばない。婚活の場に行く気力もなく、SNSで繋がるのも面倒くさい。独り身が気楽だと思ってた頃もあったが、最近はただの空虚さに変わってきている。

元野球部の根性もそろそろ限界か

高校時代は泥だらけになりながらも、声を出して頑張っていた。チームで戦うことに意味を見いだしていた。だけど今は、声を出す相手すらいない。根性論では片づけられない疲れが、日々積み重なっていく。もしかすると、こうやって人は静かに折れていくのかもしれない。そんな不安が、いつも胸の奥に引っかかっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。