忙しすぎる毎日の中で言いたくなるこの一言
司法書士という仕事は、見た目以上に“待ち時間”が多い。役所、銀行、立会…それぞれに「空気を読む」が求められる。そしてなぜか、こちらが一番時間を使っているのに、最後まで残る役回りが多い。そんな中、心の中で何度も唱えるのが「早く終わらせてください」。本当は声に出して言いたいけれど、立場的にそれが許されない空気がある。けれども、限界まで我慢して出たその一言が、一番効くのだ。
忍耐の限界がくる瞬間
たとえば、先日の立会のことだ。朝一番に事務所を出て、片道1時間半かけて現地へ。先方の準備が遅れていて、待合室で1時間以上待たされた。相手の担当者は「すみませんね〜」と軽く言うが、こちらの時間は戻ってこない。おまけに午後からは別件の登記締切があり、心は焦る一方。ついに、「できるだけ早く終わらせていただけると助かります」と口に出した。その瞬間、場の空気が変わった。結果として、そこからの動きはスムーズだった。
空気を読んで損をする側の人生
私は、昔から「場を和ませる役」を担うことが多かった。元野球部だったこともあって、上下関係や空気の読み合いには慣れているつもりだった。でも、それが逆に自分を追い込むこともある。言いたいことを飲み込む。怒ってはいけない。黙って待つ。それが“できる大人”だと思っていた。でも、司法書士という立場でも、人として限界はある。空気を読むのは美徳かもしれないが、それが常に自分を犠牲にすることにつながるのなら、見直すべきかもしれない。
言わないことでこじれる関係もある
ある時、取引先の担当者に何も言わずに我慢し続けた結果、誤解されたことがある。「無言=同意」と捉えられ、「あの人なら待たせても大丈夫」と思われてしまったのだ。それ以降、対応がますます遅くなった。後でこちらから説明しても、信頼関係は戻らなかった。黙っていることが優しさだとは限らない。時には、「早く終わらせてください」とはっきり伝えることが、相手への敬意であり、自分を守る手段になるのだと痛感した。
優しさが裏目に出る職場での苦悩
事務所には事務員が一人。頼れる存在ではあるけれど、すべてを丸投げできるわけではない。結局、調整や確認は私の肩にかかってくる。だからこそ、「すみませんが、早くしてもらえますか」と口にするのは、私自身の生活の防衛線でもある。だがその一言を飲み込むたびに、私の中の何かが削られていく。
本音を飲み込むのが習慣になっていた
思えば、私はいつも「我慢」が得意な子どもだった。部活でも、社会に出てからも、そして今も。頼まれると断れない。空気を乱したくない。そんな思いから、「今言うのはやめておこう」が口癖になっていた。でも、本音を飲み込むのが常態化すると、気づかぬうちにストレスが積み重なっていく。身体も心も、確実に疲れていくのだ。
自分を大事にするってなんだっけ
「先生は優しいから助かります」そう言われることは多い。でも、優しさって何だろう? 自分をすり減らして相手に尽くすことなのか。最近は、「ちゃんと休めてますか?」という事務員の一言に、内心ドキッとする。休めていないことに気づいていなかったからだ。誰かのために働いているつもりが、自分を粗末にしてしまっていた。そう気づいたとき、私はようやく「早く終わらせてください」と言えるようになった。
元野球部だった頃の根性論が邪魔をする
「辛くても声を出せ!」「痛みは気合いで乗り越えろ!」。そんな根性論が染み付いている。昔はそれで乗り越えられた。でも、仕事は気合いではどうにもならない部分がある。とくに司法書士の業務は、正確さと冷静さが命。無理しても、効率が落ちるだけだ。「自分のしんどさを認めてはいけない」と思っていた過去の自分に、今ならこう言いたい。「限界を感じたら、素直に言っていい」と。
一言で流れが変わることもある
何時間もかけて準備して、ようやく始まる契約の立会。なのに、目の前で始まる雑談や世間話。正直、苦痛だ。そんな時、「すみません、時間が押してまして…」と切り出したことで、話が前に進んだことがある。あの一言がなければ、たぶん1時間以上の無駄があった。言葉は選ぶ。でも、言わなければ伝わらない。
勇気を出して言ってみた結果
ある案件で、開始予定から40分が経過しても始まらない。時間にルーズな担当者は、のんびり雑談をしていた。周囲も何も言わない。でも、こちらは次の予定が詰まっていた。私は思い切って「そろそろ始めませんか」と声をかけた。少し場が凍ったが、その直後に全員が書類に向き直り、立会はスムーズに進行した。終わったあと、他の出席者から「よく言ってくれました」と言われた。やはり、言うべきことはあるのだ。
意外と相手も助かっている
“空気を壊した”ように見えて、実は多くの人が「言ってくれて助かった」と感じていることがある。みんなが遠慮し合って、誰も言えない。そんな時こそ、「早く終わらせてください」は、場を動かすきっかけになる。ある種のスイッチだ。自分のためだけでなく、みんなのために、誰かが言わなければならない。それが、たまたま私だったというだけ。
自分を救うための“呪文”にしていい
「早く終わらせてください」。この言葉は、私にとっておまじないのようなものになった。勇気がいる。でも、言えた自分を少し誇らしく思うこともある。無理をしないで済むように、自分を守る言葉として持っておいていい。疲れた時、焦った時、限界が来た時。口にしていい。それは甘えじゃない。ちゃんと立ち向かっている証だ。
最後に言っておきたいこと
「早く終わらせてください」――この一言が、こんなにも深い意味を持つとは思っていなかった。司法書士という立場であっても、人間である以上、我慢にも限界がある。だからこそ、自分のためにも、周囲のためにも、時には声に出すことが必要だ。
愚痴でもいい 本音で生きたい
愚痴を言うことは、決して悪いことじゃない。むしろ、それがなければ潰れてしまう。私のように独身で、家に帰っても誰も話し相手がいない人間にとって、こうして文章にすることが救いだったりもする。本音を出せる場所があるだけで、心が軽くなる。だから、読んでくれた誰かにとっても、これが“ああ、分かるな”と感じられるものであれば嬉しい。
言えなかった分だけ疲れる
優しさのつもりで我慢したことが、後で大きなストレスになった。誰も悪くない。けれど、誰かが声を上げないと、誰も変わらない。そういう瞬間が、日々の業務の中に山ほどある。だから私は今日も、「これは言っていいことだ」と思いながら、「早く終わらせてください」を口にする。少しの勇気が、自分を守ってくれる。
だから今日も 早く終わらせてください
書類も、立会も、人生も。全部が全部、効率的にいくわけじゃない。でも、少なくとも「無駄だな」と思った時に、「早く終わらせてください」と言えるようになったのは、大きな一歩だったと思っている。今日も、どこかでその一言が、誰かを救っているかもしれない。それが私自身であってもいい。