誰にも言えない夜の問いかけ
日中は業務に追われてなんとか走り抜けても、夜になるとふと、心の奥底から「自分の人生これでよかったのか?」という声が湧き上がってくる。特に帰りが遅くなった日のコンビニ弁当をレンジに入れている瞬間、無音の事務所で書類を一人で眺めているとき、ふとした拍子に胸の中にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われる。45歳、独身、司法書士。仕事は忙しいけれど、なんだか心が空回りしている気がする。
静まり返った夜にふと湧く疑問
一日の業務が終わって、事務所の照明を落としたあと。音のない空間に自分だけが取り残されているような錯覚に陥る。書類の山、メールの未返信、明日の準備――やることは山ほどあるのに、どこか現実感がない。そんなとき、ふいに「これが俺の人生の正解だったのか?」という疑問が浮かぶ。学生時代の友人たちが家庭を持ち、子どもと笑っているSNS投稿を見かけるたびに、自分だけが違う時間を生きているようで、胸がちくりと痛む。
「これでよかったのか」という声が消えない
この問いは、いつから心に居座っているのだろう。司法書士になったばかりの頃は、「やっとスタートラインに立てた」と感じていた。でも、気づけば書類と電話応対に追われ、登記の申請ミスが怖くて眠れない日々が続く。そんな生活を十数年も繰り返していると、ふとした瞬間に「本当にこれでよかったのか」という疑念が、まるで濡れた服のようにじわじわと身体にまとわりついてくる。
同業者のSNSを見ると焦る自分がいる
「今日は◯件登記完了!」と笑顔で報告する若い司法書士のSNSを見るたびに、どうしても比較してしまう自分がいる。「あの人は結婚もして、子どももいて、仕事も順調か…」と。比べたって意味がないとは頭でわかっているのに、心がついてこない。自分は自分だと言い聞かせながら、スマホを伏せて深いため息をつく夜が、何度もあった。
誰とも共有できないこの気持ち
正直に言えば、このモヤモヤを誰かに話したことはない。友人にも、同業者にも。なんなら事務員にも、少しの弱みすら見せたくないという意地がある。けれど、その意地のせいで、どんどん心が孤立していくような気もする。愚痴をこぼす相手も、くだらない話で笑える人も、今の自分の周りにはほとんどいないのが現実だ。
身近に愚痴れる相手がいないつらさ
高校時代の野球部では、ミスをしても仲間が「気にすんな」と肩を叩いてくれた。でも、今は違う。仕事でミスをすれば、自分の責任。誰もフォローしてくれない。事務員も気を遣ってくれているのはわかるが、こちらとしても気軽に弱音を吐ける関係ではない。たとえ気を許したとしても、責任者としての立場が邪魔をする。
事務員にも気を使ってしまう日々
うちの事務員はよくやってくれている。だけど、彼女に「ちょっと聞いてよ」と話しかけることはできない。こちらの不安や疲れを吐露することで、かえって負担をかけてしまいそうで怖い。職場が小さいからこそ、関係が壊れるのが何よりも怖い。だから、今日もまた心の中にしまっておく。
司法書士という仕事への疑問
登記や供託といった業務を、誰よりも真面目に、丁寧にこなしてきたつもりだ。けれど、その日々が積み重なるほど、どこか機械的に感じてしまうことがある。「これって、人と関わる仕事なのか? それともただの書類作業なのか?」と。そう思った瞬間、これまでの努力の意味すらわからなくなる。
手続きばかりで人間味が薄れる
業務の多くは、依頼者の顔を直接見ないまま終わる。メールやFAX、オンライン登記。便利になった分、やり取りはどんどん無機質になっていく。たまに「先生ありがとう」と言ってもらえることもあるが、それが貴重すぎて逆に寂しくなる。自分の存在価値って、どこにあるんだろうかと、考え込んでしまう。
やってもやっても終わらない書類
朝から晩まで、ひたすら紙とパソコンに向き合う毎日。処理しても処理しても減らないタスク。休日出勤も当たり前。それでも書類は溜まる一方。気づけば、ただ「こなすだけ」の日々になっていた。人のために働いているつもりが、書類のために働いているような気持ちになることもある。
感謝より苦情が多い現実
何かトラブルが起きれば、まず疑われるのはこっち。役所のミスであっても「司法書士の確認不足では?」と責められることがある。感謝よりも先に苦情がくると、「俺、何のために頑張ってるんだろう」と本気で落ち込む。全部がそうじゃない。でも、苦情の記憶の方が強く残ってしまうのは、人間の性なのかもしれない。
数字で測れない“やりがい”の不在
売上はそれなりにある。生活に困るほどではない。けれど、それが「やりがい」かと言われれば違う。なんのために仕事をしているのか、自分でも分からなくなる時がある。「ありがとう」や「助かりました」の言葉がなければ、もはや自分の存在が見えないほどに、業務に飲み込まれていく。
何をもって自分を誇れるのか
司法書士としての誇りはある。でも、それを誰に語ることがあるだろうか。親も高齢になり、友人も疎遠。誇りや努力を語る場所がないというのは、意外と精神にくる。賞状でも盾でもなく、ただ「誰かの役に立ってる」と実感できる瞬間。それがほしくて、今日もまた朝を迎える。
元野球部の自分がいまここにいる理由
思えば、部活に明け暮れていたあの頃は、悩む暇もなかった。走って、投げて、声を出して。グラウンドで泥まみれになっていたあの日々は、今となっては眩しい。司法書士として生きる今の自分と、あの頃の自分。どちらが本当の自分なのか、たまにわからなくなる。
がむしゃらに走ってきた青春との距離
汗と涙と泥まみれの野球部時代。理屈ではなく本能で動いていたあの頃の自分が、今の自分を見たら何と言うだろう。「頑張ってるな」と言ってくれるだろうか。それとも「もっと自分らしく生きろ」と言うだろうか。あの頃との距離感に、思わず目を閉じる。
スポーツで得た根性だけが今も支え
正直、精神力だけは鍛えられたと思う。どんなにしんどくても、「やるしかない」と思えるのは、あのとき培ったもの。理不尽な監督の罵声にも耐えた日々が、いまのクレーム処理にも役立っている…のかもしれない。苦笑いしか出ないが、それでも、昔の自分が今を支えてくれている。
モテなかった人生とモテない現在
学生時代も社会人になってからも、恋愛に縁がなかった。別に避けていたわけじゃない。ただ、なんとなく機会がなかった。それが続いて、気づけばこの歳。いまさら誰かと付き合うという選択肢も、現実味を持って感じられない。恋愛って、こんなに遠いものだったっけ?
恋愛と無縁のまま年だけ重ねた
同窓会で再会した初恋の子が、「あれからずっと誰とも付き合ってないんでしょ?」と笑って言った。そのときは冗談で返したけど、心には結構きた。自分の人生には、恋愛やパートナーシップといった彩りがなかった。これが「自分らしい人生」だったのか? どうにも自信が持てない。
婚活すら億劫になる理由
周囲からは「そろそろ考えたら?」と言われるけど、婚活に踏み出す気力が出ない。週末は疲れて寝てしまうし、話題も乏しい。司法書士の仕事をしてます、って言った瞬間に警戒されたこともある。忙しそう、堅そう、面倒くさそう。そう言われて、また引っ込む。もう、恋愛市場には戻れない気がする。
だけど、それでも仕事に向かう理由
いろんな迷いや後悔を抱えながらも、毎朝ちゃんと起きて、仕事に向かう自分がいる。偉いな、と誰かに言ってほしい。たまに、本当にそう思う。弱いし、不器用だし、愚痴ばっかり。でも、それでもこの仕事を選んで、続けている。それには、やっぱり理由がある。
依頼者のたった一言が支えになる
「先生にお願いしてよかったです」。その一言があるだけで、心がスーッと軽くなる。めったにないけど、だからこそ強く残る。派手な賞賛よりも、小さな感謝。それが、この仕事のすべてを肯定してくれる気がする。そのために、今日もまた書類を整え、法務局に向かう。
独身だけど、無駄じゃなかったと思える瞬間
結婚してなくても、子どもがいなくても、自分の人生に意味がなかったとは思いたくない。たった一人でも「先生に出会えてよかった」と思ってくれたなら、それだけで十分じゃないかと、自分に言い聞かせる。答えは出ないけど、それでも明日もまた、人生と向き合うつもりだ。