気軽に声をかけられることが増えたけれど
司法書士として長年働いていると、「ちょっと教えて」「これってどう思う?」と気軽に声をかけられる場面が増えていく。人間関係が深まり、信頼されているのはありがたい…はずなのだが、これが意外と重荷になることもある。特に地方で事務所を構えていると、近所の人との距離も近く、仕事とプライベートの境界が曖昧になる。気づけば、週末も誰かの相談に耳を傾けている。笑って受け流すこともできず、「断ったら嫌われるかな」なんて気遣いが頭をよぎる。気軽な関係のはずなのに、いつしかこちらばかりが消耗していく。
なぜか私には頼みごとが集中する
昔からそうだった。学生時代の野球部でも、後輩から道具の管理を押しつけられることが多かった。「先輩、やってくれそうだから」と。今も同じで、役所への同行や書類の確認、「ちょっとした相談」が私に集まる。事務所の事務員には一言もなく、全部私宛て。誰もが「お願いしやすい人」に甘えるのだ。いい人でいたい、断るのは角が立つ、そう思って何でも引き受けてきたが、正直、もうしんどい。最近は「またか」と心の中でため息が先に出るようになった。
「ちょっとだけだから」の積み重ね
「5分だけ聞いてくれる?」と言われたときに限って、話は30分以上。しかも内容は複雑で、結局きちんと調べて返答しないといけなくなる。しかも無償で。最初は善意で始めた相談対応も、次第に「都合のいい人扱い」に感じてしまう。1回5分でも、週に5件あれば25分。それだけで一つ仕事が遅れることもある。たとえるなら、毎日コップに1滴ずつ水がたまっていって、ある日突然あふれ出すようなものだ。気づいたときには、心に余裕がなくなっていた。
事務員に頼めばいいのに、と思いながら笑って引き受ける
もちろん事務員にもできそうな内容はある。でも、なぜか皆、私を指名してくる。「先生に聞いた方が早いから」「先生の方がわかるでしょ」。本音は、「なんとなく頼みやすい」だけなのだろう。私はそれをわかっていながら、つい笑って対応してしまう。人間関係を壊したくない、嫌われたくないという気持ちが勝ってしまうのだ。だが、笑顔の裏でこっそり疲弊している自分に気づくたびに、「自分で自分の首を絞めてるな」と思ってしまう。
断るときの空気の重さがつらい
「今ちょっと手が離せないんです」と断ったときの、あの微妙な空気が苦手だ。相手は笑ってはいるけれど、どこか釈然としない表情をしている。地方の人間関係は濃いからこそ、ちょっとした断りが波紋を広げることもある。「あの人、最近冷たいね」なんて陰口が出てくるのも珍しくない。だからこそ、頼みを断ることが怖い。でも、全部受け入れていたら自分が壊れる。そのはざまで、いつも心がすり減っていく。
「なんだよケチだな」とは言わないけど、伝わる
「そんなに忙しいの?」と言われるたびに、胸の中でグサッとくる。いや、忙しいんだよ…と叫びたくなるけれど、それを言ったら器が小さいと思われそうで言えない。相手は軽い気持ちで言っているのだろう。でもこちらは、時間単価を考えながら動いている身。自営業って、時間=収入なのだ。それを知らずに「ちょっと手伝って」とか「無料で教えて」とか言われると、やるせなくなる。誰にも言えないモヤモヤが溜まっていく。
優しさを利用されてる気がしてくる
最初は善意で動いていた。でもいつからか、「この人、本当に私の善意に感謝してる?」と思うようになった。何度も無料で相談に乗った相手が、正式な依頼をするときだけ他の事務所に頼んでいたこともあった。「え?」と思うけれど、言えない。これはもう、優しさの搾取だ。しかも、自分から「優しくしてきた」からこそ、誰にも責められない。頼られることが嬉しかった頃の自分が、今は少し恨めしい。
本業との境界線が曖昧になっていく
日々の業務の中で、どこからが本業でどこからが善意なのか、その境界線がだんだんと曖昧になってきた。無料相談がいつの間にか仕事の大半を占めていた時期もある。これはまずいと思って「相談は予約制にします」と張り紙を出したら、文句を言う人がいた。「冷たくなった」「昔はもっと親身だったのに」…。けれど、境界を引かないと自分が壊れてしまう。そう思った瞬間だった。
「それって無料相談じゃないの?」という案件
あるとき、近所の方が「これだけちょっと見てくれない?」と持ってきた書類、どう見ても複雑な相続案件だった。「こんなの、ちゃんと契約しないと無理ですよ」と言いたかったが、角が立つのが怖くて曖昧に返答してしまった。結果、トラブルに発展し、なぜかこちらが責任を問われる空気になった。無料でやったことが、責任だけ残る。この理不尽さには、何度遭っても慣れない。
飲み会の席で始まる法的質問ラリー
飲み会に誘われて、ちょっと気分転換…と思ったのもつかの間。お酒が入った途端、「ちょっと教えて」と始まる質問攻撃。登記、相続、後見制度、挙げ句の果てには「離婚するときはどうすれば?」まで。こっちはオフモードのつもりでも、周りは「司法書士がいるから安心」とばかりに頼ってくる。飲み会が、仕事の延長になる瞬間。帰り道、妙な虚しさだけが残る。
善意が業務を圧迫するというジレンマ
「いい人」でいたい気持ちはある。でも、それが本業を圧迫して、納期が遅れたり、事務員にも迷惑がかかったりするようになると、本末転倒だ。しかも、善意で動いた部分には報酬も発生しないし、感謝すら忘れられることもある。そんな状況が続くと、「何のためにやってるんだろう」と思えてくる。心がどんどん擦り減っていく感覚。善意は、自分を犠牲にしてまで振りまくものではないと痛感した。
距離の取り方を学ぶのに20年かかった
司法書士として、ようやく最近「頼られること」と「都合よく扱われること」の違いがわかってきた気がする。今でも気軽に相談を受けることはあるけれど、無理なものには「それは業務として受けます」とはっきり言うようにしている。もちろん嫌われることもあるが、それでいいのだと思うようになった。人に優しくあるためには、自分を守る線引きも必要。気軽に頼まれる関係こそ、慎重に扱わなければならない。それに気づくまでに、20年かかった。