結婚しないのって聞かれるたびに心がざわつく理由
世間話のつもりなのか、悪気はないのかもしれない。でも「結婚しないの?」という言葉は、私の胸を毎回ざわつかせる。45歳の独身男性というだけで、何か足りない存在のように扱われる場面が少なくない。司法書士として地方で事務所を構え、日々忙しく働いている私にとって、この質問は心のどこかに残っている“まだやれていないこと”を引っ張り出されるような感覚なのだ。
無意識の一言が突き刺さる瞬間
近所の人や親戚、さらには依頼者との雑談の中でも「結婚は?」という話題が出るたび、私は心の準備ができていないままにその言葉を受け止める羽目になる。「まだしてないの?」とか「選びすぎじゃない?」なんて冗談交じりで言われても、笑うしかない。でも心の中では「そんな簡単な話じゃないんだけどな」と思っている。これが何度も繰り返されると、自分の人生の価値を他人の物差しで測られているようで、正直しんどい。
家族の集まりでの定番質問がもうこわい
年末年始や法事など、家族親族が集まる場面では、この質問がまるで風物詩のように繰り返される。「今はいい人いないの?」から始まり、「結婚する気ないの?」と踏み込んできたりする。私がどれだけ仕事に時間を割いているか、どれだけ事務所の運営に神経をすり減らしているかなんて、たぶん誰も知らない。そういう時、心の中で「もうこの場にいたくないな」と思ってしまう自分がいるのも、ちょっと悲しい。
笑ってごまかすけど本当はかなり痛い
「いやー、タイミング逃しちゃって」とか「紹介してよ、誰か」なんて言ってみせる。そうやって冗談で受け流す癖がついた。でも、笑ってごまかすその裏では、何かを失ってきたような気持ちが確かにある。結婚していないことが欠陥のように扱われる風潮が、知らず知らずのうちに私の自尊心を削っているのかもしれない。冗談にするたびに、「ああ、また本音を押し込めたな」と、どこかで自分を責めてしまう。
独身=不完全という空気
社会全体に漂っている「結婚して一人前」という無言の空気は、なかなか根強い。とくに田舎ではその傾向が強く、未婚であること自体が“未完成”であるかのように見られる。私自身、若いころは「そのうちなんとかなる」と思っていた。でも気づけば45歳。婚活する気力もないし、そもそもそんな時間もない。なのに「なんで?」と聞かれると、言い訳しているような気分になる。私は、そんなに欠けている存在だろうか。
誰かと比べられるたびに消耗する
同級生はほとんど結婚していて、子どもも高校生とか大学生とか。そんな話を聞くたびに、自分だけが時代に取り残されているような錯覚に陥る。比較するつもりはない。だけど、「あいつはちゃんとしてる」「お前もそろそろ」と言われると、無意識に比べてしまう。自分の人生を否定されたような気がして、少しずつ、でも確実に疲れていく。誰かと比べて幸せか不幸か決めるのって、ほんとに意味あるんだろうか。
まだチャンスあるよがなぜか虚しく響く
「まだ大丈夫」「今からでもいけるって」なんて励ましも、悪気がないことはわかっている。むしろ優しさなんだと思う。でも正直、その言葉すらもプレッシャーに感じてしまう時がある。まるで“今のままじゃダメ”だと言われているようで。希望の言葉のはずなのに、現実とのギャップが余計に浮き彫りになる。そうなると、自分の生活や選択を肯定することがますます難しくなってしまうのだ。
結婚していないことと孤独は別物
よく「寂しくないの?」とも聞かれる。たしかに物理的には一人の時間が多い。でも孤独かと言われれば、それは違う。誰かと一緒にいるから寂しさがないとは限らないし、一人でいるからって孤独とも限らない。私は、日々の仕事に追われ、事務所の事務員さんと少し話して、夕飯を作って、寝る。そんな日常に慣れたし、そこに安定を感じてもいる。だからこそ、「独身=孤独」と決めつけるのはやめてほしい。
一人の時間が好きでも孤独ではない
私は昔から、一人で本を読んだり、野球の試合を振り返ったりするのが好きだった。元野球部だったこともあり、孤独に打ち込む時間が自分にとっての癒しになっている。仕事を終えた後に飲む缶ビール一本が、誰かとの会話よりもよっぽど心に染みる日もある。確かに、誰かと喜びを分かち合う時間はないかもしれない。でもそれを“かわいそう”だと思われるのは、少し違う気がする。一人で充実している人間もいるのだ。
同情の視線が一番つらい
「一人ってかわいそう」と言われるのが、何よりもしんどい。善意のつもりなのはわかる。でも、そこにあるのは“勝手な価値観の押しつけ”だ。同情されると、自分の今までの努力や選択が間違っていたかのような気がしてしまう。だから、できれば放っておいてほしい。「かわいそう」じゃなく、「そういう生き方もあるんだね」って言ってくれたら、どれだけ救われるだろう。結婚してない人間が、みんな不幸なわけじゃない。
仕事が忙しいのは理由にならないのか
司法書士という仕事は、思った以上に時間と神経を使う。依頼者とのやり取り、書類の精査、登記のチェック……毎日が分刻みのスケジュールで動いている。それでも「仕事が忙しいからって結婚しない理由にはならないよね」と言われると、何も返せなくなる。私にとっては、目の前の業務を確実にこなすことが最優先だった。だけど、それが“逃げ”だと決めつけられると、自分の人生設計まで否定されたような気分になる。
司法書士の現実と休む時間のなさ
独立してからは、自分の時間はほとんど仕事に吸い込まれていった。ありがたいことに依頼は尽きない。でも、気づけば土日も関係なく働き続けている。仕事が終わるころにはくたくたで、誰かと出会うエネルギーなんて残っていない。「時間がないのは言い訳」と言われても、実際に寝る時間を削って帳尻合わせをしている現状では、そんな声が空虚に響くだけだ。仕事と私生活、両方を器用にこなせる人ばかりじゃない。
恋愛する体力すら残っていない
若い頃は、恋愛にもそれなりにエネルギーを注いでいた。でも今は、誰かとやりとりを重ねて関係を築いていく余裕が正直ない。LINEを返すのも億劫、食事に誘うのも面倒になってしまう。こんな自分では、誰かを幸せにできる気がしない。それに、自分にとって「誰かのために時間を割く」ことがもう難しくなってしまっているのだ。だから結婚が遠のいてしまうのも、自然な流れだったのかもしれない。
モテなかった過去は今も心に残る
元野球部だったと話すと、「モテたでしょ?」と笑われることがある。実際は、そんなことまったくなかった。汗臭いだけのガチ部活生活で、恋愛とは無縁だった。それが今もどこか尾を引いていて、自信が持てないままここまで来てしまった。年齢を重ねても、若い頃に感じた「どうせ自分なんて」という感情が、ふとした拍子に顔を出す。そう簡単に拭いきれるものじゃない。
元野球部でも何も変わらなかった現実
真面目に練習して、努力を積み重ねてきた学生時代。でも、それが恋愛に結びつくことは一度もなかった。「誠実で真面目」と言われても、恋愛対象にはなりにくいと実感してきた。今もそう。司法書士として信頼はされるけど、それがモテにつながるわけではない。仕事と人間的魅力は、必ずしも一致しない。だから、自分をどう魅せればいいのか、未だにわからない。
努力でどうにもならないこともある
私は努力で人生を切り開いてきたつもりだ。でも「結婚」というテーマだけは、努力すればするほど空回りしてしまう。うまくいかないことを全部自分のせいにしてしまいがちで、「もっと頑張らなきゃ」と思うほど、疲弊していく。だけど、世の中には頑張ってもどうにもならないことがあると、ようやく気づいてきた。それを認めるのは悔しいけれど、必要なことなのかもしれない。
これからも一人で生きるかもしれないけど
私は、このまま一人で年を重ねていく可能性が高い。それでも、今の暮らしを少しずつ好きになれている。誰かに無理に合わせるよりも、自分のペースで仕事をして、ご飯を食べて、静かに眠る。そんな生活が悪いとは思わない。誰かと一緒にいなければ幸せじゃない、という考え方から、少しずつ自由になってきたようにも感じている。
それでも自分のペースで生きていきたい
他人の言葉に振り回されすぎず、自分の感覚を大切にして生きていきたい。結婚してもしなくても、自分らしくいられることが一番大事だと思うようになった。周囲の声に傷つくこともあるけれど、それでも立ち止まっていられない。私の人生は私のものだから、誰かに定義されるものじゃない。この歳になって、ようやくそう思えるようになった。
普通から外れてもそれはそれでいい
「普通」は人の数だけある。結婚して子どもがいて、という人生が“多数派”だとしても、それが唯一の正解ではない。私は私の“普通”を大切にしていきたい。周りと違う生き方をしているからといって、間違っているとは限らない。むしろ、自分に合った生き方をしている人こそ、本当の意味での幸せに近いんじゃないかと思う。