「何もしたくない夜」なんて、よくある話です
誰しも、何もしたくない夜があると思います。もちろん自分もそうです。というか、頻繁にあります。仕事のことを考えるだけで胃が重くなる夜、パソコンを開いた瞬間にため息が出る夜。布団の中でスマホだけが頼りのような気がして、ただ意味もなくスクロールして終わる夜。そういう日は、自分の中で「今日はダメな日」として処理するようにしています。でも、本音を言えば、そんな夜にすら罪悪感を覚えてしまうんです。何かしなければ、動かなければ、と頭の中では分かってるのに、身体が動かない。この矛盾が、自分をさらに追い詰めます。
疲れが溜まりすぎて、何もかもがどうでもよくなる
ある夜、帰宅してスーツを脱いだ瞬間、何もかもがどうでもよくなった日がありました。夕食を作る気力もなく、冷蔵庫を開けることさえ面倒で、結局その日は缶ビール一本で済ませてしまいました。疲れというのは、身体だけじゃなく、心にもじわじわと溜まっていくものなんですよね。特に司法書士という職業は、頭も神経も使ううえに、人の人生の節目に関わる仕事が多いので、責任も重く、プレッシャーが抜けません。だからこそ、日中は頑張って働いていても、夜になると反動がドッと出てしまう。全てを投げ出したくなる、そんな夜が、確かにあるのです。
目の前の書類さえ見たくないときがある
ときどき、机の上に積まれた書類を見ただけで、吐き気がするような気分になることがあります。内容も、期日も、依頼者の顔も全部わかっているのに、「今は触れたくない」と思ってしまう。司法書士にとって、書類は命綱みたいなものなのに、それすら見たくないというのは相当やばいサインなんだろうなと思います。実際、そういう日は無理に仕事をしようとしても進まず、結局時間だけが過ぎて自己嫌悪に陥ります。そうやって自己否定のループに入ると、ますます動けなくなってしまうんですよね。
やる気が出ない自分を責めてしまう悪循環
「なんで自分は、こんなこともこなせないんだろう」と思ってしまう夜は少なくありません。責任感があるからこそ、やらなければならないことが分かっているのに、どうしても動けない。それなのに、動けない自分を責めてしまって、さらに落ち込む。完全に悪循環です。たぶん、これは自分だけではなく、多くの人が感じたことのある感情じゃないでしょうか。頑張る人ほど、こうやって自分を追い詰めてしまう。でも、それが分かっていても、やっぱり責めてしまうんです。
ただの怠け?それとも心のサイン?
「今日、何もしたくない」と思ったとき、自分はそれを怠けと捉えてしまいがちです。でも、本当はそうじゃないのかもしれない。これは、自分の心が出している「もう限界だよ」というサインなんじゃないか、と感じることもあります。体の不調には敏感でも、心の悲鳴には鈍感になってしまう。それが一番怖いことだと思います。何もしたくない夜が続くようなら、きっとそれは、ちゃんと耳を傾けるべき心の声なんだと思います。
「仕事が好きなはずなのに」っていう違和感
司法書士の仕事自体は嫌いじゃないんです。むしろ好きな方かもしれません。でも、「好きな仕事=ずっと頑張れる」というわけではないんですよね。どんなに好きなことでも、しんどいときはしんどい。かえって、「好きなはずなのに疲れてる自分っておかしいのかな」と混乱してしまうことさえあります。好きだからこそ、全力を出してしまって、結果として燃え尽きてしまう。そんなジレンマに、何度も苦しんできました。
休んではいけないという呪縛
特に一人事務所をやっていると、「自分が止まったらすべてが止まる」という感覚があります。だから、風邪を引いても、気分が落ち込んでいても、無理やり動こうとしてしまう。休むこと=サボり、という感覚がどこかにあって、それがずっと自分を縛りつけている気がします。でも本当は、そんな呪縛は必要ないんですよね。身体や心が悲鳴を上げているときは、立ち止まっていい。その勇気を持つのが、いちばん難しいんですが。
司法書士という仕事の「終わらなさ」に潰されそうになる
毎日の仕事に終わりが見えないと、心がどんどん疲弊していきます。たとえば、メールの返信をしてもすぐに次が来るし、登記が終わったと思えば新たな案件が舞い込む。まるで無限ループのようで、どこかで「もう終わらせたい」と感じてしまうことがあります。やりがいもあります。でも、それ以上に「終わらない感覚」に押しつぶされそうになるのです。
やってもやっても終わらない、終わった気がしない
一日の業務を終えても、「終わった」という感覚が持てないことがよくあります。頭の片隅には常に「次にやるべきこと」が居座っていて、寝る前にもそれを考えてしまう。そうなると、心が完全に休まる時間がないんですよね。過去に一度、深夜にふと「なんでこんなに焦ってるんだろう」と思って立ち止まったことがありました。やってもやっても片付いた気がしないこの仕事に、心が蝕まれていたんだと、気づかされた夜でした。
相続の相談、登記の依頼、電話に追われる日常
朝から晩まで、相続相談や登記依頼に追われ、電話対応でリズムを崩される日々。特に相続関連の案件は感情面のケアも必要なので、余計に疲れます。依頼者の言葉に神経を使いながら、法律的にも正確に処理する。これを一人でやっていると、「もう無理かも」と思うこともしばしばです。しかも、やっと一区切りついたと思ったら、すぐ次の依頼が待っている。気が休まる瞬間が本当に少ないのです。
「今日はここまで」と区切る勇気が持てない
「ここで一旦終わり」と自分に線を引くことが、どうしてもできません。気づけば夜遅くまで仕事をしてしまい、寝るのが遅くなり、翌朝に疲れを引きずる。悪循環ですね。たまに、「今日は早く終わろう」と決意しても、結局気になって手を付けてしまう。完璧主義と責任感が合わさって、自分を追い詰めてしまっていると分かってはいるのに、なかなか止まれません。だからこそ、何もしたくない夜が訪れるのでしょう。
事務員一人、背負う責任の重さ
事務所には事務員が一人いますが、結局責任を取るのは自分一人です。だから、すべての判断が最終的には自分に返ってきます。そのプレッシャーはかなり重く、特に精神的な負担としてのしかかります。誰かに相談したくても、同じような境遇の人が近くにいない。こういう孤独感は、地方でやっているとなおさら強く感じます。
「代表」という肩書きの孤独
「代表」と聞くと聞こえはいいですが、実際はただの一人親方です。何か問題が起こればすべて自分の責任。うまくいっても、誰かに褒められることはありません。失敗すれば、それは即ダメージ。家族がいれば、まだ愚痴をこぼせるのかもしれませんが、自分は独身です。夜、誰とも話さずに過ごす時間の長さが、余計に孤独を際立たせます。誰かと悩みを共有できたら、どれだけ楽かと思うこともあります。
本音を言えない辛さと、誰にも頼れない現実
「弱音を吐いてはいけない」「こんなことで悩んでいるなんて言えない」と思い込んで、本音を飲み込んでしまう日が多くあります。司法書士という仕事は、信頼を売る仕事でもあるので、余計に自分を演じてしまう部分があるんですよね。でも、それが積もっていくと、心がすり減ってしまう。結局、自分の心の声に気づいてあげられるのは自分だけなんです。
以下略(前半に続く)