誰かに「ありがとう」と言いたかった

誰かに「ありがとう」と言いたかった

感謝の気持ちは、ふとした瞬間に湧いてくる

日々の仕事に追われる中で、「ありがとう」と思える瞬間は意外と多い。けれども、それを素直に伝えることができないのが自分の悪い癖だ。朝から書類に追われ、電話対応、役所まわり、依頼者とのやり取り…いつも時間に追われてばかりいると、心に余裕なんて生まれない。でもある日、ほんの些細なことで「救われた」と感じた。感謝の気持ちは、思っている以上に身近に転がっている。気づかないふりをしてるのは、案外、自分自身かもしれない。

朝の一言に救われた日

あの日も、前の日の登記完了処理が遅くなって寝不足だった。朝のコンビニでコーヒーを買って事務所に向かうルーティン。その日はレジに若い女性の店員さんがいた。眠そうな顔で会計を済ませようとしたとき、彼女が「いつもありがとうございます」とにこやかに言った。その瞬間、なぜか目頭が熱くなった。誰にも見られなくてよかった。単なる社交辞令かもしれない。それでも「見られている」「認識されている」と感じたことが、あの朝の自分を引き上げてくれた。

コンビニ店員さんの笑顔

いつも同じコンビニ、同じ時間帯。店員さんの顔も自然と覚えるけれど、こちらが覚えてもらっているかは分からない。でも彼女の笑顔には、何か「わかってくれてる」空気があった。司法書士なんて外からは見えない仕事。スーツを着ていても、何の職業かわからないことも多い。だけどあの一言が、自分がここにいる意味を思い出させてくれた。たとえ10秒のやり取りでも、誰かの言葉で人生が軽くなることって、あるんだなと思った。

「いつもありがとうございます」の一言が心に染みた

「ありがとう」と言われることに慣れていなかった。むしろ、文句や不満を言われることの方が多い仕事だと思っていた。だからこそ、レジの前でその言葉をもらったときの衝撃は大きかった。あの日から、自分もなるべく「ありがとう」と言うように心がけるようになった。難しいけどね。でも、あの店員さんのように、誰かの気持ちを軽くする言葉を、自分も持っていたいと強く思った。面倒でも、言葉にする努力は裏切らない。

事務員さんのさりげない気配り

うちの事務所は小さい。スタッフは事務員さんひとりだけ。ベテランでもなければ、特別に気が利くわけでもない。でも、ふとした時に「あ、この人に助けられてるな」と思う場面がある。ある日、何気なく出されたお茶に、私の好きな銘柄が使われていた。それだけで、なんだか疲れがほどけていった。業務の指示も満足にできていない自分に、こうして支えてくれる人がいることが、当たり前じゃないと気づかされた瞬間だった。

気づけば支えられていた日常

独立して10年以上、ずっと一人で走ってきたような気がしていた。でも事務員さんが来てから、少しずつ変わっていった。電話の取り次ぎ、書類のコピー、些細なミスのフォロー。全部、「自分でやったほうが早い」と思っていた。でも、誰かがいてくれる安心感って、本当に大きい。特に、何も言わずに自分の機嫌を察してくれるとき、ありがたさを噛みしめる。口では文句ばかり言ってしまうけど、心の中では「ありがとう」を何度も繰り返している。

小さな気づきが大きな安心感に変わる

ある日、私がやたらとイライラしていたのを察してか、彼女はそっとチョコレートを机に置いてくれた。まるで猫が獲物を置いていくような、そんな控えめな優しさだった。あの一粒がどれだけ救いになったか、本人はたぶん気づいていない。こんなふうに、言葉にしなくても伝わる「ありがとう」が世の中にはある。でもやっぱり、ちゃんと伝えないといけないなと思う。後悔する前に、きちんと伝えたい気持ちがある。

司法書士という仕事の孤独の中で

司法書士という職業は、表面的には“先生”なんて呼ばれることもあるけれど、実際には裏方仕事の連続だ。誰かを支えているという実感よりも、常に責任を背負っている感覚のほうが強い。失敗が許されない世界で、自分だけが防波堤になっているような孤独感。そんな中でも、ふとした瞬間に「見てくれている人がいる」と気づくことがある。そのときにこそ、「ありがとう」という言葉が、自分を内側から支えてくれる。

誰にも頼れないと思っていた日々

開業してからの数年間は、全部一人でやらなきゃと思っていた。相談できる人もおらず、毎日が手探り。自分が弱音を吐いたら終わり、そう思っていた。でも、ある日ふとお世話になっている地元の不動産屋さんに「最近、大変そうですね」と声をかけられた。何でもない一言だったけど、あのとき、自分が見られていたことに気づいた。そして、「見てくれていた人がいる」という事実だけで、ぐっと気持ちが楽になった。

でも、見てくれていた人はいた

感謝って、「支えられた」と気づいたときに初めて生まれるのかもしれない。あのときは、心のどこかで「誰にも期待されてない」と思い込んでいた。でも実際は違っていた。人は意外と見てくれている。誰かに声をかけてもらうことで、自分の存在が肯定されたように感じた。これは、本当にありがたいことだった。日々の忙しさに埋もれていると、自分の価値を見失いがちだ。でも、誰かがそっと寄り添ってくれることも、確かにある。

「大変そうですね」の一言が泣けるほど嬉しかった

感謝の言葉って、派手じゃなくてもいい。むしろ、何気ない一言のほうが心に刺さることがある。あの「大変そうですね」は、ただのあいさつかもしれない。でも、その日を境に、私は少しだけ素直になれた気がした。感謝を言葉にすることを、もっと大切にしようと思った。照れくさいけど、伝えなきゃ伝わらない。だから、これからはちゃんと「ありがとう」を言いたい。伝えたい相手がいるうちに。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。