『ちょっとだけお願いできますか?』が仕事を増やす魔法の言葉
「ちょっとだけでいいんで、お願いできますか?」——この一言に、私は何度うなずいてきただろう。簡単なことだと思って引き受けたことが、いつの間にか本業のスケジュールを圧迫し、気づけば残業。そんなことが一日に何度も起きる。司法書士という肩書きがついていても、地方の個人事務所では“便利屋”のように扱われることもしばしばだ。断ったら悪い気がする。そう思って首を縦に振る。そんな自分に、後で腹が立ってくる。
断れない自分に腹が立つ瞬間
「また引き受けちまったな」と思う瞬間は、一日の終わりにやってくる。残った仕事に囲まれながら、夕飯をコンビニで済ませ、ひとりでパソコンに向かう。誰かのために力になれたこと自体は悪くない。けれど、その裏で削られているのは自分の時間とエネルギーだと気づいたとき、やりきれない気持ちになる。結局、自分の予定なんて二の次。断れない性格のツケが、こうして夜になって返ってくる。
「頼られてる」の罠に気づくまで
「頼られてるうちが華」とか言うけど、こっちも人間だ。限界はある。頼られることで承認欲求が満たされていたのかもしれない。でもそれは、どこかで“見返り”を求めていた証拠でもある。他人に評価を委ねていた結果、自分のペースがどんどん失われていった。信頼されてるのと、都合よく扱われるのは違う。その違いに気づくまで、だいぶ時間がかかった。
“いい人”という檻に閉じ込められて
自分で言うのも何だが、私は人から「いい人ですね」とよく言われる。でもその“いい人”は、本当にいいことなのだろうか。言い換えれば、都合のいい人になっていないか?誰からも嫌われたくない気持ちが、断る勇気を奪っていく。自分のことを後回しにして、相手を優先するのが正義だと思っていた。けれど、それではいつまでたっても、自分の人生が始まらない。
断るのが怖い理由、ありますか?
断ったら嫌われるんじゃないか。関係が悪くなるんじゃないか。そんな不安が、いつも頭をよぎる。実際に、過去に一度だけ断ったら、それ以降まったく依頼が来なくなったお客さんもいる。私の心の中では「それで良かったんだ」と思いたいが、実際はちょっとしたトゲのように残っている。だからまた、断れなくなる。そうして負のループが続いていく。
過去の小さな後悔が積もっていく
断らなかったことで得た信頼と、断らなかったことで失った自分の時間。その両方が心に引っかかって、夜眠れなくなる日もある。そんな自分が情けなくて、でも「また明日もがんばろう」と気持ちを切り替えようとする。けれど、本当はもう疲れてる。無理して“いい人”を演じるの、そろそろやめたい。
期待されると断れない性格の正体
誰かに「先生に頼んだら安心」と言われると、なんとかして応えたくなる。その一言が嬉しくて、断るなんてできない。きっと私は「必要とされたい」だけなんだろう。でも、誰かの期待に応えることばかりに必死になって、自分のキャパを超えてしまう。それは仕事の質にも影響するし、何より自分の心がすり減っていく。
仕事が増えるたび、自分が薄くなっていく
頼まれごとが増えれば増えるほど、自分の輪郭がぼやけていく気がする。司法書士としての本来の業務と、誰かの「ちょっとしたお願い」の間にある境界線が曖昧になり、自分がどこまでを担うべきなのか、わからなくなる瞬間がある。気づけば、やりたい仕事じゃなく、“やらなきゃいけないこと”で日々が埋まっていく。
「つい引き受けてしまう」ことの代償
つい引き受けてしまった小さな頼まれごとが、予定外の調査を必要とすることもある。気づけば数時間が消える。誰も悪くない。でも、「ちょっとだけ」と言われたら、それに応えたくなる自分が、結局一番悪いんだと思ってしまう。そしてまた、「次は断ろう」と思う。でも次が来たら、また引き受けている。
優しさが、自分を追い詰めるなんて
優しい人でいようとするほど、自分に厳しくなってしまう。誰かを助けることで、自分を犠牲にしている感覚が強くなる。でも、断ったときに相手にがっかりされる顔が思い浮かんでしまって、それが怖くて言えない。そんな自分の小心さを認めたくない。でも、事実として、それが今の自分なのだ。
休日のはずが、いつの間にか労働
「お休みの日にすみません」——このフレーズ、何度聞いたことか。最初は本当に申し訳なさそうに言われていたのに、最近では「この人なら出てくれる」って前提になっている気がする。予定していた休みも、いつの間にか予定外の業務で埋まっていく。気づいたら、半年以上ちゃんとした休日を取っていない。
一人事務所という孤独な舞台
うちは小さな事務所で、事務員さんが一人いてくれるだけでも助かっている。でも、基本的には私ひとりで判断し、対応し、責任を取る。それが当たり前になってしまっていて、誰にも弱音を吐けない。孤独に慣れすぎて、むしろそれが普通になってしまっているのが、たまに怖くなる。
事務員一人、あとは全部自分
事務員さんがやってくれることには本当に感謝している。でも、結局最後の判断も、調整も、実務も、全部自分でやらなきゃいけない。誰かに頼れないというか、頼んでもどうせ自分がやることになるからと諦めてしまう。そんな働き方、いつまで続けられるんだろうか。
「それって司法書士の仕事?」と思いながらもやってしまう
ゴミ出しから、お客さんの雑談相手まで。たまにはペットの散歩の相談までされたこともある。「それ、私がやることですかね?」と喉まで出かかったけど、結局笑ってごまかして話を聞いていた。たぶん、そういう性格なんだ。けれど、そろそろ線を引かないと、自分がどこかに消えてしまいそうで怖い。
断る勇気を持つために必要だったこと
ここまで散々こぼしてきたが、最近ようやく小さな「NO」が言えるようになってきた。いきなり全部は無理でも、まずは「今は難しいかもしれません」と言ってみることから始めた。それだけでも、心が少し軽くなる。そして、不思議と相手もそこまで困っていない。こっちが思っているほど、世界は厳しくないのかもしれない。
小さな「NO」から始める訓練
完璧に断らなくていい。「少し考えさせてください」と言うだけでもいい。それだけで、その場の自分の気持ちにブレーキをかけることができる。自分を守るって、そういう小さな工夫の積み重ねなんだと思う。断れない性格は、すぐには変わらない。でも、変えていこうとする意志は、持ち続けたい。
断っても意外と人は怒らない
何度か断ってみてわかったのは、断っても大抵の人はちゃんと理解してくれるということだった。むしろ、無理して引き受けて中途半端になるより、最初に断ったほうがスッキリする。自分の誠実さを保つためには、時には「できません」と言うことも、大事な責任の一部なのかもしれない。
「自分の時間を守る」が一番の仕事
結局、自分の時間を守ることが、仕事の質にも直結してくる。疲れている状態で無理に対応しても、誰のためにもならない。だから、休むことも、断ることも、そして自分の人生を生きることも、全部「司法書士の仕事」だと、私は思うようにしている。まだ道半ばだけど、それが今の目標だ。
モテないし、独りだし、それでも負けたくはない
誰かに愚痴を聞いてもらえる生活に憧れたこともある。でも、気づけばこの歳まで独り。モテないのは性格か、見た目か、もうわからない。でも、そんなことより、いま隣にいる“自分自身”を大事にしてあげたいと思っている。誰かに認められなくても、自分だけは自分を認めてやらなきゃ、やっていけない。
愚痴をこぼす相手がいない現実
仕事終わりに「今日は疲れた」とこぼせる人がいたら、もう少し気持ちが違ったのかもしれない。でも、そういう相手もいないし、求めることもしなくなった。それでも、この文章が、どこかの誰かに届いて「わかるよ」と思ってもらえたら、それだけで少し救われる気がする。
でも、誰かが読んでくれているなら
結局、文章を書くのも、誰かに聞いてほしいからなんだと思う。顔も知らない誰かが、こんな愚痴に似た文章を読んでくれて、「それ自分も思ってた」と共感してくれたら、それだけで明日もがんばれる。そうやって、今日もまたひとり、明かりの消えた事務所でキーボードを叩いている。