「代理で来ました」が一番怖い瞬間
地方の司法書士事務所で日々仕事をしていると、色々な依頼人と向き合う機会がありますが、「代理で来ました」というセリフを聞いた瞬間、妙な緊張感が走ります。特に、その代理人が「内容は全く知らなくて…」と付け加えたときの絶望感といったら、もはや笑えないレベルです。こういうケース、実は思っている以上に多いんです。そして例外なく、手続きは予定よりも大幅に遅れ、こちらの神経はすり減っていきます。
代理人が「何も知らない」と判明した時の絶望
ある日、登記の相談で来所された女性。ご高齢のお母さまの代理で娘さんが来られたのですが、本人確認書類も委任状も、内容の説明も一切なく、「とりあえず来てって言われたので…」とのこと。こちらは一から事情をヒアリングし、何をしたいのかを探るという、名探偵のような作業を強いられます。「で、今日は何のご用件で?」と尋ねたときに「えっと…何だっけな…」という返事をされる虚しさ、わかっていただけますか?
初っ端から説明を求められるプレッシャー
代理で来ること自体は悪いことではありません。ただ、「何も聞いてません」となると、私の方でゼロから説明をしなければならず、その説明も「本人向け」ではなく「第三者向け」なので、余計に時間がかかります。しかも、内容をその場で理解してもらったとしても、最終的に本人に伝わらないリスクがつきまといます。こうなると、後日「そんなこと聞いていない」とクレームになることもしばしば。
一通り説明しても「それで何をすれば?」の反応
書類の準備や必要な行動を丁寧に説明しても、「じゃあ、私は何をすればいいんですか?」と聞かれることが多々あります。もちろんその質問自体は正当です。しかし、そもそもご本人がどこまで話を進めているのかも分からない、家族間での意志のすり合わせもできていないとなると、こちらとしても「うーん、どうしたもんかね…」と頭を抱えるしかありません。
なぜこうなった?原因はどこにあるのか
そもそも、なぜこんなにも「何も知らない代理人」が増えているのでしょうか。その原因を冷静に分析してみると、いくつかのパターンが見えてきます。依頼人本人の「丸投げ志向」、家族内の情報共有の甘さ、そしてスマホ時代特有の軽い感覚。これらが組み合わさることで、現場はますます混乱していきます。
依頼人本人が事情を丸投げする心理
「娘に行かせればいい」「わからなかったら聞いておいで」――たしかに高齢の方にとっては、家族に代理を頼むのが自然な流れかもしれません。しかし、最低限の伝言や資料くらいは用意しておいてもらわないと、こちらとしてはただの情報戦になります。しかも、依頼人本人は「ちゃんと説明した」と思っているケースもあり、実際には何も伝わっていないというズレが、トラブルの原因になります。
家族間での情報共有が甘すぎる現実
身内だからこそ、言葉足らずになったり、肝心なことが伝わっていなかったりすることが多いものです。司法書士としての経験上、家族の中での“伝言ゲーム”ほど信用ならないものはありません。「聞いてない」「言ってない」で堂々巡りになり、結果的に当事者意識がどこにも存在しないまま、手続きだけが浮いてしまうのです。
「お母さんがやれって言ってたから来ました」問題
「やれって言ってた」という言葉に、なんとも言えない無責任さを感じます。しかも、その“やれ”が何を指しているのか、本人もわかっていないことが多く、こちらはさらに深掘りして質問せざるを得ません。お互いにストレスが溜まるだけで、まったく建設的ではありません。
LINEのメッセージ一枚で現場に来る時代
「これが母から来たメッセージです」とスマホを見せられても、そこには「明日行ってきてね」とだけ書かれている…。そのメッセージで何をどう解釈すれば良いのでしょうか。司法書士の事務所は、ファストフード店ではありません。最低限の資料や説明がなければ、どうにも動けないのが現実です。
こちらの説明負担が跳ね上がる
結局、代理人が内容を把握していないと、こちらが抱える負担は何倍にも膨れ上がります。まるで「無料の法律セミナー」を開いているような感覚にすらなります。それが仕事と言えばそうなのですが、毎回そうなると気力も体力も持ちません。
最初から全部こっちが構成しないと進まない
まるで台本もなく舞台に立たされて、即興劇をやらされているような気分です。しかも、相手役は何も知らずに来ていて、こちらが導いてあげないと物語が進まない。これが1日に何件も続くと、もはや何屋なのか分からなくなってきます。
想定外の説明時間に追われるストレス
他の予約も詰まっている中で、一人の代理人に説明の時間を大幅に取られると、スケジュールが一気に崩壊します。それにより、次の相談者をお待たせしてしまったり、自分の昼食の時間が消えたり…。何気ない一件が、実は業務全体に大きく影響を及ぼしているのです。
一言で済む話が、30分の授業になる不条理
「登記識別情報が必要です」という一言で済むはずの説明が、「登記とは」「なぜ必要か」「どこにあるか」までの長講義になってしまう。こちらは司法書士であって、講師ではないんです…。毎回そんなことを考えながら、内心ため息をついています。
書類不備の地雷はだいたいこのパターン
代理人が何も知らずに来ると、書類も当然そろっていないことが多いです。印鑑証明がない、本人確認書類がコピーだけ、そもそも委任状がない…。準備が整っていない段階で来所されても、結局出直しになるだけなのに、その時間だけが過ぎていきます。
「持ってきてと言われてないので」連発の恐怖
「聞いていません」「持ってきてと言われていません」――これを連呼されると、こちらとしても心が折れます。本来、依頼人と代理人の間でのやり取りがうまくいっていれば、こんなことにはならなかったはず。毎回、同じやり取りをしている自分が空しくなってきます。
こっちの責任にされかねない理不尽さ
説明した内容が家族にうまく伝わっていなかったことで、後日「ちゃんと説明してくれなかった」と言われることも。最初は穏やかだったやりとりが、いつの間にか責任の押し付け合いに発展する――そんな理不尽な展開に、正直もう慣れてきてしまいました。
これからの対応策、という名の愚痴
理想を言えば、「本人を連れてきてほしい」。でも現実はそうもいかない。せめて、代理人が最低限の情報と資料を持ってきてくれるだけでも、どれだけ助かるか…。ここでは、そんな願望混じりの“対応策”をつぶやいておきます。
本当は「本人を連れてきて」と言いたい
口には出しませんが、内心では毎回そう思っています。やっぱり、本人がその場にいないと判断も確認もできないことが多すぎる。委任で進められるからこそ、逆に「本人の確認が取れない」ことのストレスが増えるのです。
でも言えないから「せめてメモを…」
「ご本人と話した内容をメモで構わないので書いてきてください」。これが精一杯のお願いです。でも、そのメモすら持たずに「なんとなく来た」という代理人も一定数います。「今日はもう、あきらめようかな」と思う瞬間ですね。
事前準備してきた代理人との落差に泣く
逆に、しっかり準備してきた代理人の方もいます。委任状・本人確認・資料一式完璧。そのときの感動と感謝といったら…。「これが当たり前になってくれたら」と心から願います。けれど、それが“稀”という現実が悲しいです。
こちらの努力だけでは限界がある
いくらこちらが丁寧に説明しても、伝言が途切れてしまえば意味がありません。結局のところ、依頼人側の「準備と連携」があって初めて、手続きはスムーズに進むんだと痛感しています。司法書士一人の頑張りでは、どうにもならない部分が多すぎます。