説明が長くなるほど時間が奪われていく――司法書士の“話が長い人”に振り回される日々

説明が長くなるほど時間が奪われていく――司法書士の“話が長い人”に振り回される日々

「ちょっとだけいいですか?」が地雷の合図

「ちょっとだけいいですか?」というフレーズほど、私の心をざわつかせる言葉はない。地方の司法書士事務所で一人事務員を雇って運営している私にとって、「ちょっと」はたいてい「ちょっと」じゃ済まない。書類を締め切り前に仕上げるために集中していたとしても、この魔法のような一言が投げかけられた瞬間、流れは止まり、思考は中断され、現実は10分、20分、ひどいときは1時間単位で吸い取られる。急ぎの登記処理が詰まっていても、説明を始める人にはそんなこちらの事情は伝わっていないようだ。

どうしても止まらない“説明好き”の人たち

説明好きな人に限って、話が本筋から逸れることが多い。内容が少し込み入ってくると、「いや、あのときもそうだったんですよ」と突然別の話を始める。例えばある依頼者は、住宅ローンの抵当権抹消の相談に来たのだが、話はなぜかご近所トラブルに発展し、最終的には自治会の会計処理の話にまで飛んだ。私は内心「いや、それは市役所か税理士さんの領域では…」と思いつつ、笑顔で頷く。なぜなら、遮れば「先生、話ちゃんと聞いてます?」と責められるリスクがあるからだ。

こちらは急いでいるのに空気は読まれない

「今日はちょっと急ぎの登記があって…」とやんわり伝えても、「すぐ終わりますから」と返される。結果、終わらない。この“すぐ”の定義が相手とこちらで大きく乖離している。話す側は、自分の感情や背景を丁寧に説明することが親切だと思っているのかもしれない。しかし、こちらは書類の山を横目に、時間に追われて胃を痛めている。言葉の行き違い以上に、「時間感覚」のズレがしんどいのだ。

話が長くなるほど依頼内容がぼやける不思議

面白いもので、説明が長くなるほど、本来の依頼内容がどんどんあいまいになることがある。「結局、何をしてほしいんでしたっけ?」と聞き返したくなるが、それを言うと「ちゃんと説明したでしょ?」と返される。話の途中でいくつも枝分かれして、最後には自分でも何を伝えたいのか分からなくなっているケースすらある。こちらとしては“議事録”ではなく“登記申請”をしたいのだが、そんな理屈が通じないのが現実だ。

1時間あれば済む仕事が3時間になる不条理

たとえば、ある日午後イチで完了予定だった商業登記の修正案件。事務員と段取りを整え、すぐに申請作業に入れるように準備していた。ところが依頼者が事務所に現れて「実は少しだけ確認しておきたくて」と言い出した。その確認が延々と続き、資料を見せながら思い出話まで始まり、気づけば3時間経過。しかも、核心には辿りつかず、「とりあえずまた連絡しますね」と帰っていった。これが日常なのだ。

結論よりも“過程のドラマ”を語りたい人

本当に聞きたいのは「はい、お願いします」か「やめておきます」の2択なのに、そこに至るまでの“過程”が延々と語られる。もちろん人生にはドラマがあるし、背景を知ることで適切な対応ができることもある。でも、それも5分以内で話してほしい。昔の恋愛話や子どもの学校選び、果ては先祖の話まで展開されると、さすがに「それって今関係ありますか?」と思ってしまう。だが、そのひと言が言えないのが独立司法書士のつらいところでもある。

「いや、そうじゃなくてですね…」が始まると地獄

この言葉が出た瞬間、「あ、またループに入る」と悟る。こちらが整理のためにまとめようとしても、「いや、そうじゃなくてですね…」と打ち消され、さらに詳細な説明が繰り出される。こうなると、どこで切ればいいのかわからない。話を切ることは関係性にヒビを入れる行為になりかねないからだ。丁寧であろうとするほど、説明の沼に引きずり込まれていく。

打合せが終わっても、なぜか書類は進まない

たっぷり1時間話して、何をどうすればいいのかようやく見えてきたと思ったら、「あ、今日は資料持ってきてなかったんで」と言われるパターン。力が抜けて、書類に向かう気力が失われる。進んだと思ったら、またスタート地点。そんな日々が重なると、もう「話が長い=仕事が進まない」という絶望的な図式が頭に刻まれていく。

電話でも話が終わらない恐怖

電話もまた同じ地獄。「ちょっとお伺いしたいんですが…」から始まると、もう諦めの境地だ。片耳に受話器を当てながら、もう片方の手で書類に赤ペンを入れようとするが、気づけば電話の相手の「それでですね…」がエンドレスリピート。電話って短時間で要点を伝えるツールじゃなかったのか?と原点に立ち返りたくなる。

時間は有限、でも説明は無限

説明というものは、人によってどこまでも広がるものだ。こちらの感覚では1分で終わることが、相手にとっては“背景から説明しないと納得できない”テーマになってしまう。丁寧であろうとする姿勢は尊い。しかしその“丁寧さ”が、現場の時間をどれだけ奪っているかは、本人たちは気づいていない。

“しっかり伝えたい”気持ちはわかるけど

「自分の気持ちをちゃんと理解してもらいたい」という気持ちは、誰しもある。けれど、その気持ちが説明を長くして、かえって本質が見えなくなってしまうことも多い。「こういう経緯があって…」と説明が続くと、こちらも「そうなんですね」と共感モードに入らざるを得ず、気づけば本来の業務からどんどん逸れていく。情報過多もまた、判断の邪魔になることがあるのだ。

誰もが“納得したい症候群”にかかっている

納得したい、納得させたい――それが現代人の病なのかもしれない。法律的に正しいかどうかではなく、「感情的に納得できるか」が最優先される時代。だから説明が長くなる。だから時間が足りなくなる。でも、司法書士としては感情ではなく、書類と期限と法令が最優先。そこにズレがあることを、もっと伝えるべきなのかもしれない。

説明上手と説明好きは、まったく違う

「説明が丁寧=良い人」という評価があるけれど、実際は“説明好き”なだけで、聞き手の理解度を無視している人も多い。本当に説明が上手な人は、相手が必要としている情報だけを、簡潔に、的確に伝えてくれる。これは職業柄、身をもって痛感していることだ。

本当に信頼できる人は説明が短い

信頼できる依頼者ほど、説明が端的だ。「○○をお願いしたい。必要な書類はこれです。ご対応可能ですか?」と明快に聞いてくれる。こちらも即答しやすいし、段取りもスムーズに進む。逆に、あれこれ説明を始める人ほど、不安や不信感がにじんでいるケースもある。話の長さは信頼の裏返し、そんなふうに感じる瞬間もある。

「わかりやすく」は「長く話す」じゃない

「ちゃんと説明しないとわかってもらえない」と思い込んでいる人ほど、話が冗長になる。だが実際は、伝えるべきポイントを簡潔にまとめる方が、よほど“わかりやすい”。文章にしてみれば一目瞭然で、「これだけで良かったのか」となることが多い。司法書士も時には、自分の説明が長くなりすぎていないか、自戒する必要があると感じる。

黙ってくれることも優しさだと思う

たまには、何も話さず、そっと必要なものだけ置いて帰ってくれる依頼者に救われることがある。気遣いとは、言葉ではなく行動に出ることもある。こちらが忙しいのを察してくれて、余計なことは言わずに済ませてくれる。そういう人に対しては、こちらも最大限の対応をしてあげたいと思う。

“沈黙の効能”をわかってほしい

言葉が多いことで関係が深まることもあるが、沈黙で伝わることもある。沈黙は相手の状況を尊重するサインでもある。時間に追われる現場では、沈黙こそが思いやりだと感じることもある。もしこの文章を読んでくれている人がいたら、一度だけでいい、「今日は話さなくても大丈夫ですか?」と聞いてくれたら、私は泣いて喜ぶかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。