やる気より責任感で動いてます

やる気より責任感で動いてます

やる気がなくても動ける理由

「今日はやる気が出ないな」と思いながらも、朝になれば自然と机に向かっている。司法書士という仕事をしていると、そんな日が本当に多い。華やかさはなく、地味で地道な作業の繰り返し。やる気なんて、正直あてにならない。そんな中でも、動き続けられているのは、「やる気」ではなく「責任感」が支えているからだ。やらなければ誰かが困る、書類が止まる、登記が遅れる。そんな現実が、今日も自分を椅子に縛りつけている。

「やらなきゃ」が背中を押す日々

昔はもう少し前向きだった気もする。でも今は「やりたいからやる」じゃなくて、「やらなきゃだからやる」に変わってしまった。朝から頭が重い日でも、郵送物の確認や電話対応は容赦なくやってくる。特に相続や不動産登記の案件は、ちょっとしたミスが致命傷になることもある。お客様の信頼を裏切らないためにも、自分の気分は後回しになる。事務所に入ると、心を無理やり切り替えて動き出す、それが日常になってしまっている。

好きじゃないけど、やめられない

正直なところ、この仕事が「好きか」と聞かれたら答えに困る。別に登記が趣味なわけじゃないし、書類づくりが楽しいとも思わない。だけど、「やめたい」と言ってやめられるほど簡単でもない。責任が重いし、依頼人の人生の節目に関わる以上、途中放棄なんてできない。たとえやる気が底を尽きていても、「自分しかいない」という状況が強制的に足を動かしている。

責任という言葉が重くのしかかる

責任感って聞こえはいいけど、実際はかなりのプレッシャーだ。「もしミスがあったらどうしよう」「期日に間に合わなかったら…」という不安が常に心を支配している。それでも、誰かが安心してくれたり「助かりました」と言ってくれるときだけは、少しだけ報われた気になる。責任を果たせた実感が、自分の存在を肯定してくれる数少ない瞬間だ。

やる気の波に頼れない現実

やる気って本当に不安定だ。昨日あったはずのやる気が、今日はどこにも見当たらない。まるで曇り空の太陽みたいに、見えたり見えなかったりする。それを基準にして動いていたら、きっと何も進まない。特にこの仕事は、感情で左右されるようなものじゃない。やるべきことを、やるしかない。そう思うようになってから、少しだけ心が軽くなった気がする。

モチベーションなんて天気みたいなもの

朝起きて「今日は頑張ろう!」と思える日は、年に何回あるだろう。ほとんどが「また今日もか…」という気分で始まる。モチベーションに頼るのは、もはや贅沢だ。気分が乗らない日でも、登記は待ってくれないし、締切は迫ってくる。そんな現実を受け入れたとき、仕事との向き合い方が変わった。感情よりタスクに従う。それが司法書士の毎日だ。

波が来るのを待ってたら破綻する

昔は「やる気が出るまで待とう」とか、「集中できるときにやればいい」と思っていた。でもこの仕事にはそんな余裕はない。スケジュール通りに動かないと、すぐに信頼を失うし、トラブルの原因にもなる。やる気の波が来るのを待つのではなく、波が来なくても進む方法を見つけるしかなかった。だから今は、感情を捨ててでも前に進む術を選んでいる。

責任感がもたらす習慣化の力

やる気に頼らず責任感で動いていると、次第に行動が「習慣化」されていく。考えずに動けるようになると、多少気分が悪くても、手が勝手に動いてくれる。毎朝同じ時間に出勤し、ルーティンで始業の準備をする。気がつけば、やる気なんてなくても仕事が始まっている。この習慣化の仕組みこそ、責任感の副産物かもしれない。

「ルーティン化」で逃げ道をふさぐ

自分を追い詰めないと動けないタイプだからこそ、「決まった手順」が役に立つ。例えば、朝のチェックリストを作って、それを無意識でこなすことで、気持ちが仕事モードになるようにしている。やる気の有無に関係なく、機械的に始めるような仕組みを作ることで、「今日は無理かも…」という思考をシャットアウトする。これも一種の自己防衛なのだと思う。

感情より習慣で動くしくみ

ルーティン化の最大の利点は、感情を挟まないこと。たとえ疲れていても、手順が決まっていれば迷いがない。「今日はサボろうかな」と思う隙を与えないためにも、仕事の流れは固めておくに限る。人間は弱いから、判断を都度任せているとどんどん逃げてしまう。だから自分を信用せず、仕組みに頼っているのが今のスタイルだ。

朝の準備も「責任感スイッチ」で自動化

朝の支度一つとっても、完全にルーティン化している。起きる、顔を洗う、コーヒーを淹れる、カバンを確認する。これらを毎日同じ順序でこなすだけで、「今日はもう行かなきゃ」という気持ちに切り替わる。そこにやる気は不要だ。責任感スイッチが入ってさえいれば、体が勝手に事務所へ向かってくれる。ここまでくると、もう一種の習性と言ってもいいかもしれない。

事務員さんの存在がブレーキ役

一人で働いていたときよりも、事務員さんがいる今の方が、サボれない空気がある。誰かが見ているというだけで、「今日は手を抜こう」という甘えが消える。事務員さんに支えてもらっているという意識があるからこそ、自分も責任を果たさなければという気持ちになる。彼女の存在が、自分を律する役目も担っている。

一人じゃないから休めない

もし自分一人だったら、たぶんもっとだらけていただろう。でも今は誰かが出勤してくるし、誰かが仕事を待っている。だからこそ、自分も動かないわけにはいかない。責任感というのは、他人がいて初めて芽生えるものだとつくづく感じる。自分のためには頑張れなくても、誰かのためなら踏ん張れる。それが今の自分の原動力になっている。

誰かが待ってる、それが原動力

お客様にしても、事務員さんにしても、自分が動かないと前に進まない人たちがいる。その現実が、「休みたい」という気持ちを押し込めてくれる。誰かが待っている。そう思えるだけで、今日もまた椅子に座って書類に向き合える。責任感って面倒だけど、意外と強い味方かもしれない。

心のどこかにある「やめたい」気持ち

ここまで書いておいてなんだけど、心の片隅ではいつも「やめたい」と思っている。逃げたい、休みたい、誰にも会いたくない。でもそれを行動に移せないのが、また責任感の厄介なところだ。やめたいけど、やめられない。その狭間で、なんとか今日もやっている。

逃げたくなる瞬間は日常茶飯事

特に繁忙期や、補正が連続するときは、「もう無理だ」と思うこともある。胃も痛くなるし、寝ても疲れが取れない。電話が鳴るたびに動悸がする日だってある。でも不思議なもので、そういうときでも手は動く。これはもう意地なのか、習性なのか…。どちらにせよ、責任感というものは怖いくらいに自分を突き動かす。

やる気がないことへの罪悪感

たまに「今日は何もしたくない」と思う日があっても、そう思ってしまった自分に罪悪感を覚える。「司法書士として失格なんじゃないか」と自己否定に走ることもある。でも、そんな日は誰にだってある。そう割り切れるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。今では、そういう日も「仕事の一部」だと思うようにしている。

責任感に潰されそうになるとき

責任感が強すぎると、自分自身が壊れてしまうこともある。実際、倒れるように寝込んだこともある。だから最近は、適度に肩の力を抜くことも覚えた。全部を完璧にこなそうとするのではなく、70点でもいいから続ける。それくらいの気持ちでないと、この仕事は続けられない。

それでも続ける理由を見つける

結局のところ、どれだけ疲れていても、どれだけやめたくても、何かしらの「理由」があるから続けている。お客様の「ありがとう」や、事務員さんの笑顔。その一瞬が、次の日を生きる理由になる。やる気がなくても、責任感と少しの感謝だけで、意外と人は動き続けられるのだ。

「辞める」が選べない事情

この年齢になって、司法書士として独立してしまった以上、簡単に「辞める」という選択肢は取れない。収入面でも生活面でも、不安定な未来が見えてしまう。だったら今やれることをやるしかない。逃げられない状況が、逆に自分を保ってくれているのかもしれない。

続けることが自分を支えている

不思議なもので、苦しい仕事でも、続けているとそこにアイデンティティが生まれる。「自分は司法書士だ」と胸を張って言えることが、人生の支えになっている部分もある。やる気がなくても、今日もまた責任感だけで前に進んでいく。そんな自分を、少しだけ誇らしく思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。