『休んだら?』という優しさに、潰される日がある

『休んだら?』という優しさに、潰される日がある

『休んだら?』という言葉が、なぜこんなにも重たいのか

「そんなに疲れてるなら、休んだら?」と言われることがある。たぶん、心からの優しさなのだと思う。でも、その言葉が一番つらく感じるときがある。たとえば、自分がギリギリで仕事を回しているときや、もう少し頑張れば今日の分が終わる…そんな瞬間にかけられると、「ああ、自分ってそんなに無理して見えてるんだ」と逆に自己嫌悪に陥る。素直に休めればいいのに、休むこと自体が罪悪感になってしまう。士業という職業は、自分で仕事を止めたら、それでおしまい。だからこそ、この「休んだら?」という言葉が、妙に胸を締めつけてくる。

本当に優しい言葉なのに、刺さるときがある

「休んだら?」という言葉には悪意なんてない。むしろ気遣ってくれているのだ。けれど、それを受け取るこちら側の心がすでに疲れていると、優しさが刃になる。昔、体調を崩したとき、母が電話で言ってきた「無理せんと、ちょっと休んだらええやん」の一言で、なぜか泣いてしまった。自分の中で張り詰めていた糸が切れたような感覚だった。あのとき、「このまま全部投げ出したらどうなるだろう」なんて考えた。休むことにすら勇気がいる──そんな状態に陥っていたんだと思う。

疲れているのは事実だけど

そもそも疲れていないわけがない。司法書士の仕事は、目立たないが神経を使う作業の連続だ。登記ひとつとっても、ミスが許されない世界。小さな不備でお客さんの信用を失うこともある。そんな現場で、毎日プレッシャーと戦っていれば、心も体もどんどん摩耗していく。でも、「疲れている」と認めた瞬間、気持ちが一気に崩れてしまいそうで、それすら言えない。だからこそ、「疲れてるんじゃない?」と他人に言われるのが怖い。図星すぎて、かえって痛いのだ。

「休んだ分のツケ」は誰が払うのか

休めば当然、その日の業務は止まる。代わりなんていない。小さな事務所では、なおさらだ。事務員さんにはできないことも多く、私がいなければ進まない案件が山のようにある。じゃあ休んだらどうなるか。後で自分に跳ね返ってくるだけだ。たった1日休んだだけで、その分を取り戻すのに3日かかることもある。そんな現実を知っているから、「休んだら?」の一言に、ものすごいプレッシャーを感じるのだ。「それ、俺に3倍働けって言ってない?」ってね。

司法書士にとっての“休み”って何だ

世の中の「休み」と、我々士業の「休み」はたぶん別物だ。土日が休みといっても、電話は鳴るし、メールも来る。放っておけばトラブルになるような案件もあるから、完全に仕事を遮断するなんて無理だ。結局、仕事用のスマホを片手に、常に気を張っている。旅行に行ったって、心のどこかでは「大丈夫かな」と案件のことを考えてしまう。これって本当に「休み」と言えるのだろうか。

カレンダーの赤字が全然ありがたくない

世間は三連休でも、うちはそうもいかない。登記の期限が迫っていたら、祝日だって関係ないし、相続の依頼は「法要が終わった翌日に」なんて言われることもある。むしろ、祝日明けの月曜は一番怖い。連絡のたまったメール、進んでない書類、止まったスケジュール…結局、赤字の日は“働けない日”ではなく、“働けなかったツケを溜め込む日”になってしまう。そんな中で「よく休めましたか?」と笑顔で言われたら、正直泣きたくなる。

「今日は休もう」が怖くなる症候群

朝、目が覚めて「今日はもう無理だ」と思う日がある。でも、「休もう」と思った瞬間から不安が襲ってくる。連絡はどうする?登記は間に合う?お客さんに悪い印象を与えないか?──そんな考えが頭の中をぐるぐるする。休むことでリセットされるどころか、逆に心が落ち着かなくなってしまう。だから結局、這うようにして事務所に行ってしまうのだ。

一人事務所、ひとりで回して、どこで息抜く?

地方の小さな司法書士事務所。職員は一人。所長は私。相談も判断も、自分ひとりでしなければならない。誰かに頼れたら楽なのに…と思っても、現実はそう甘くない。朝から晩まで書類に追われ、電話に追われ、ひたすら目を酷使しながら、静かにストレスを積み重ねていく。コンビニで買うコーヒーが、数少ない癒しになっている。たったそれだけで「ほっとする」と感じてしまう自分が、ちょっと切ない。

事務員さんに休まれると、仕事が止まる

事務員さんが休むと、問答無用で仕事が倍になる。普段お願いしていた郵送、電話対応、印紙の手配…。当たり前のように回っていた仕事が、全部自分のところに戻ってくる。別に休むことを責めているわけじゃない。体調が悪いなら当然休むべきだ。ただ、「今日中に済ませる予定だった書類が後回しになる」と思うと、そのプレッシャーだけで心が重くなる。小さな事務所の弱さが、こういうときにじわじわ効いてくる。

「すみません、今日お休みします」に怯える自分

スマホに届いたLINE通知。「体調が悪いので、今日は休ませてください」。その瞬間、心の中で「今日が終わった」と思ってしまう自分がいる。誰にでも体調の波はあるし、責めるつもりはない。でも、予備戦力も代打もいない状態で、ぽっかり空いた穴を埋めるには、自分が倍速で働くしかない。事務所を開ける気力が、一気に半分まで減ってしまう。

効率化の限界と人手不足のリアル

業務の効率化?RPA?クラウド?──そりゃ試した。でも、限界はある。特に地方では、人手不足が深刻で、求人出しても応募ゼロなんてざらだ。ようやく見つけた事務員さんにだって、任せられる仕事には限界がある。何をどう工夫しても、結局最後は「自分でやるしかない」という結論に戻ってしまう。そうすると、やっぱり「休む」なんて選択肢が消えていくのだ。

「休みたい」って言えない自分が、いちばんこわい

本音を言えば、ちゃんと休みたい。でも、「休みたい」と口にすることすら怖くなってしまっている。士業としての責任感、所長としての立場、生活の不安。いろんなものが複雑に絡み合って、素直に「疲れた」とも言えない。だから黙って働く。でも、その沈黙の積み重ねが、ある日突然、自分を壊してしまうかもしれない──そんな予感がずっと消えない。

誰にも相談できない孤独

独身、友人も少ない、地元に根を張ってしまった自分。夜に飲みに行く相手もいなければ、弱音を吐ける相手もいない。だから愚痴は、こうして文章にして書くしかない。もしこれを読んで「わかる」と思ってくれる人がいたら、それだけで少し救われる気がする。士業って、真面目で優しすぎる人ほど、潰れてしまいやすい世界だ。

弱音を吐く場がないことのしんどさ

何かあっても、「でも所長でしょ?」の一言で片付けられる。相談できる相手がいない。同業者の飲み会に行っても、みんな意識高くて、ちょっと話についていけないこともある。「この程度でしんどいとか言ってる自分が甘いのか?」と自問自答してしまい、ますます声が出なくなる。そんなふうにして、心の中が静かに冷えていく。

じゃあ、どうすればいいの?答えのない問い

正直、これといった解決策はない。でも、無理に前を向こうとしなくてもいいんじゃないか、と思うようになった。愚痴を吐いたっていいし、弱音も出したらいい。大事なのは、自分の感情をちゃんと感じること、押し殺さないこと。そして、ときどきでも「もう限界かも」と気づける自分でいること。それだけでも、少しは自分を救える気がする。

休めなくても、少しでも楽になる工夫

完全な休息は難しくても、「5分だけ目を閉じる」「昼に外に出る」「メールの通知を一時オフにする」だけでも、意外と心が落ち着く。完璧なリセットを求めると休めないけれど、「まあまあOK」くらいの緩い対処で、自分を少しずつ守っていけたらいい。今日も「休めない」自分を責めずに、なんとかやり過ごしていこう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。