働くって、なんだろう

働くって、なんだろう

「働く」ことに意味はあるのか?

気がつけば、20年以上この仕事をしている。司法書士として日々、登記や書類の山に追われているけれど、ふと「これって意味あるのかな」と思うことがある。働くことが生活の中心になり、気づいたら趣味もない、友人とも疎遠になった。疲れて帰る夜、湯船に浸かりながら、ぽつりと「俺、なんでこんなに頑張ってるんだろう」と呟いていた。働くって、誰のため?自分のため?正直、わからなくなる日もある。

朝起きて、机に向かうだけの日々

朝6時に目覚ましが鳴る。顔を洗って、弁当を詰め、昨日の書類の続きを頭の中で整理しながら事務所へ向かう。8時にはもう机に座ってパソコンの前。そんな毎日がもう何年も続いている。外に出るのは法務局か銀行ぐらい。昼食もコンビニおにぎりで済ませ、夜になっても仕事が終わるとは限らない。なんとなくやり過ごしているような日々。でも「やりがい」なんて言葉は、もう口に出せない。

なぜ今日も同じ場所にいるのか

「一歩踏み出せば、人生は変わる」なんて言葉があるけれど、それができたらこんなに苦しんでいない。資格を取って、独立して、事務所を持って、でも気づけば同じ場所に立ち尽くしている。相談に来る依頼人の顔がどれも同じに見えてくる時もある。電話が鳴るたび、また新しい案件が積み上がる。逃げ出すわけにはいかない。でも、前に進んでる感覚がないまま、ただ毎日が過ぎていく。

前に進んでいる感覚がない

昔は「いつかはこうなりたい」とか「もっと成長したい」と思ってた。でも今は、目の前の仕事をどうこなすかだけで精一杯。新しいことに挑戦する余裕もなく、勉強会に行く気力もない。SNSで同業者がセミナーに登壇しているのを見ると、すごいなとは思う。でも、それよりも「俺は今日の業務をこなすだけで精一杯なんだ」と小さく呟く自分がいる。止まってるのか、回ってるのか、それさえ分からない。

司法書士という仕事に憧れたあの頃

司法書士を目指したのは、20代の後半。安定した職に就きたいという現実的な理由と、法律の知識を使って人の役に立ちたいという理想とが混ざっていた。勉強漬けの毎日も、合格通知を手にしたあの日の達成感がすべてを洗い流してくれたように感じた。「これで人生は変わる」と信じていた。でも、それはスタート地点に立っただけだったのだと、今になって思う。

資格を取ったときのあの達成感

合格発表の日、掲示板の番号を見て手が震えた。嬉しくて、実家に電話して、母が泣いて喜んでくれたのを今でも覚えている。「ようやく報われた」そんな気持ちだった。だが、それからが本当の戦いの始まりだった。開業準備、資金繰り、営業、そして実務。誰も教えてくれない現実が待っていた。それでも「あの時の自分が喜んでいたんだから」と、なんとかやってきた。

「これで安泰」と思ったのは錯覚だった

資格さえあれば、仕事には困らない。そんな風に思っていた時期があった。でも実際には、仕事を得るには人脈も信頼も、そして運も必要だった。地方ではなおさらだ。新人の頃、営業に回って門前払いされた時の虚しさ。紹介がなければ相手にもされない世界で、何度も心が折れた。「資格持ってるだけじゃダメなんだ」と思い知らされた瞬間だった。

理想と現実のギャップがじわじわと

自分が思い描いていた司法書士像とは、正直かけ離れている。もっとスマートに、落ち着いて、安定した生活を送っているはずだった。でも実際には、書類に追われ、電話に追われ、予定はズレ込み、休日も気が休まらない。忙しさの中で、なぜこの道を選んだのか、自問自答する日が増えた。「こんなはずじゃなかったのに」と心の奥で呟きながら、それでも毎日、机に向かっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。