静かな事務所で思い出す温もり
平日の午後、事務所には自分と事務員の二人しかいない。電話も鳴らず、依頼のメールも一段落した時間帯。ふと手を止めると、心がどこかへ飛んでいくような感覚に襲われる。何かに取り憑かれるわけでもなく、ただ「誰か」の存在がふっと思い出される。特別な誰かというわけでもないのに、あの時の笑い声や、さりげない一言が頭をよぎる。気づけばその温もりを追いかけて、書類の山の中で手が止まっている。仕事に向かうべき意識が、過去の「温かさ」に引っ張られる。それがつらい。
電話の音すら鳴らない午後の沈黙
忙しい午前が終わり、事務所に静寂が訪れる。外の車の音だけが時折聞こえ、事務員が書類をめくる音すら癒しになる。そんな午後、ふいに襲ってくるのは“音のない孤独”だ。これといって落ち込む理由もないはずなのに、なぜか胸のあたりがぎゅっと締めつけられる。音がないというのは、時にこんなにも人を不安にさせるのかと実感する。誰かの声が隣にあれば、あるいはたわいない会話があれば、この沈黙は違う意味を持ったのかもしれない。
パソコンのファンの音だけがやけに耳に残る
パソコンが唸るような音を立てている。その音が妙に大きく聞こえるのは、事務所が静かすぎるせいだろう。BGMを流せばいいのにと思うこともあるが、それすら虚しい。心を温める音ではないことがわかっているからだ。誰かの声、笑い、雑音。そういう「人間の気配」が、この空間にはあまりにも足りない。ひとりでやっていけると思って独立したのに、今さら「音」が恋しくなる自分が情けなくなる。
「あの頃」は誰かの声が隣にあった
昔の職場では、正直面倒だと思うくらい、同僚との会話があった。愚痴、笑い、ちょっとした相談。そんなものが鬱陶しくもありがたかったのだと今になって気づく。あの頃の自分には、温もりのありがたみなんてわかっていなかったのだ。人と距離を取ることが“楽”だと錯覚していた。でも今は違う。あの「うるささ」が、ふとした瞬間に懐かしくてたまらなくなる。
仕事に追われる日々、でも心は満たされない
独立してからというもの、書類に囲まれて忙しくない日はない。司法書士という仕事は、誰かの人生の節目に関わる責任ある仕事だ。でも、その重みと同じくらい、空っぽな気持ちを抱えながら働いている。何かを達成しても、それを喜び合う相手がいない。心が乾いたまま仕事をこなす感覚が、日常になってしまっている。
忙しいのに、寂しいという矛盾
不動産登記、遺産相続、会社設立。次から次へと案件は舞い込むし、感謝の言葉ももらえる。それなのに、なぜか寂しい。まるで感情のタンクに穴が空いていて、どんなに満たしても漏れ出してしまうような感覚。時間に追われているのに、心はずっと誰かを待っている。自分が誰かのために頑張っているのなら、自分のそばにも誰かいてほしい。そう思ってしまうのは、贅沢なのだろうか。
「必要とされている」はずなのに空虚
依頼人から「本当に助かりました」と言われるとき、自分が存在していてよかったと思う瞬間はある。でも、その感情が持続することはない。家に帰れば誰も待っていないし、休日に話す相手もいない。「仕事だけで生きていける」と思っていた時期もあったが、それは幻想だった。必要とされている実感が、すぐに冷めるのは、自分自身の土台が空虚だからなのかもしれない。
予定表は埋まっても、心は空いたまま
カレンダーは打ち合わせや提出期限で真っ黒だ。それでも、不思議と「生きている感じ」がしない。むしろ、埋まれば埋まるほど、自分の時間のなさと、孤独が際立って見えてくる。人に会っているのに、誰にも会えていない感覚。そんなズレが積み重なって、温もりの記憶だけがどんどん鮮やかになっていく。そして、それがまたつらい。
温もりの記憶が、今の自分を責めてくる
人肌って、あんなにやさしかったっけ。冬の帰り道、ふと手をつなぎたくなった記憶がよみがえる。もう終わった関係なのに、なぜか心にずっと残っている。今の自分と、その記憶の中の自分を比べてしまい、どうしても劣等感を抱いてしまう。
「あの人はどうして笑ってくれてたんだろう」
過去の誰かが、自分に見せてくれた笑顔。あの瞬間のやさしさは本物だったのか、今では確かめようもない。でも、自分の記憶には確かに残っている。それが幻でも、嘘でも、今よりずっとあたたかかった。人の記憶って不思議で、忘れたいことよりも、戻れないぬくもりのほうが強く残る。それが「つらい」の正体かもしれない。
過去の優しさが、今の孤独を際立たせる
あの頃に戻りたいわけじゃない。でも、今がこんなにも寒々しく感じるのは、あの時が温かすぎたせいだと思う。何もなかった日々でも、隣に誰かがいた。それだけで心が満たされていたのだと、今になって知る。過去の優しさが、今の自分を責めてくる。なぜもっと大切にできなかったのかと。
温もりに依存していた自分への後悔
本当は、自分自身で心を満たせるようにならなきゃいけなかった。けれど、あの頃の自分は誰かの存在に甘えていた。心がしんどくなるたびに、誰かの言葉やぬくもりにすがっていた。今になって、それがいかに危ういものだったかを痛感する。自立と孤独は、背中合わせだ。でもそのバランスの取り方を、まだ見つけられない。