あの沈黙が、今でも忘れられない
話すことが仕事の一部とはいえ、会話の「間」というのはときに予想以上の重圧をもたらします。数年前、ある依頼者と面談中、ふとした瞬間に沈黙が訪れました。資料を確認していただけのはずなのに、その沈黙が妙に長く感じて、汗がじわりとにじんできたのを覚えています。それ以来、あの「間」がトラウマのようになり、気づけば会話を続けることが苦痛になっていたんです。
依頼者との沈黙が生んだ、変な空気
その依頼者は特に無口というわけではなかったのですが、何かを考えていたのか、書類に目を落としたまま一言も発しませんでした。私もその沈黙に付き合うべきだったのでしょうが、気まずさに耐えきれず、つい「ご不明な点などありますか?」と口を開いてしまいました。でもそのタイミングが悪かったのか、相手は少し驚いたような顔をして、ぎこちなく「大丈夫です」とだけ返してきたのです。
たった5秒、されど5秒
今思えば、沈黙なんてせいぜい5秒程度だったと思います。でも、あのときの私には1分にも2分にも感じられました。司法書士という立場上、沈黙を読んで空気を読む力も求められるのかもしれません。けれど私は、その「間」を正しく扱えなかった。逆に空気を悪くしてしまった。そう思うと、自分の対応に自信を失い、以降の面談でも必要以上にしゃべるようになってしまいました。
「何か言わなきゃ」と焦って出た言葉が空回り
それ以来、私は「沈黙を埋める」癖がついてしまいました。何か話さないと、間が持たない。無理にでも話題を作って、その場の空気をごまかそうとする。結果、伝えるべき説明がぼやけたり、余計なことまで口走ってしまったりするようになりました。自分でも「なんでそんなこと言ったんだ」と反省するのですが、その場になると止められない。まるで沈黙が恐怖に変わってしまったような感覚です。
会話が怖いと感じたのは、自分だけじゃなかった
あるとき、事務員さんがぼそっと「お客さんとの間が空くと緊張する」と言っていたのを聞いて、少し救われた気がしました。自分だけがこの「間」に怯えているのではない、と思えた瞬間でした。話すことが苦手な人間にとって、沈黙はただの静けさではなく、不安の入り口なのかもしれません。それを無理に埋めようとすると、かえって疲れてしまうのです。
事務員さんの無言も、胸にくる
うちの事務所は少人数体制なので、事務員さんとの会話が日々の救いでもあります。でも彼女が黙っていると、私の中では「何か怒ってるのかな」「仕事が不満なのかな」と余計な勘ぐりが始まってしまうんです。もちろんそんなことはなく、ただ集中していたり、体調が悪かったりするだけだったりするのですが、私はどうしてもその沈黙を悪い方向に捉えてしまう。考えすぎなんでしょうけどね。
気を使ってくれてるのに、なぜか傷つく矛盾
事務員さんは気を使って、無理に話しかけないようにしてくれているのかもしれません。でも、私はその「気遣いの沈黙」にも勝手に傷ついてしまうことがあります。「自分と話すのが面倒なんじゃないか」とか、「話してもつまらないからだ」とか、ついネガティブな解釈をしてしまう。相手は悪くないのに、自分の中で勝手に妄想して落ち込むという、面倒くさい性格なんです。
司法書士の仕事は「話すこと」が想像以上に多い
司法書士は書類を作るだけ、と思われがちですが、実際は人と話すことが仕事の大部分を占めています。登記や遺言、相続など、相談者との対話を通じてニーズを引き出し、正確な対応をする必要があります。そのためには「聞く力」も「話す力」も求められる。でも、私のように沈黙に弱い人間にとっては、会話そのものがプレッシャーになってしまうこともあります。
専門職なのに、口も動かさないとやっていけない
法律を知っていても、口が重ければ信頼されない。これは実感としてあります。専門職だからこそ、説明力が問われる。でもその説明の中で「間」をどう扱うかというのは、マニュアルでは学べない部分です。時にユーモアが必要で、時に沈黙が必要で、時にただ寄り添うだけの言葉が必要。それが分かっていても、実行するのは本当に難しい。私は今でも手探り状態です。
法律の知識より、間の取り方が難しい
民法や不動産登記法よりも、「人の間」を読む方がはるかに難しい。これは冗談でもなんでもなく、本音です。知識は本を読めば身につくけれど、人間関係の機微は経験して痛い思いをしないと身につかない。そして、痛い思いをしても身につかないこともある。司法書士という職業は、常に人と向き合う仕事です。そのことの重さを、私は沈黙を通して知ったのかもしれません。
ひとり事務所の孤独と、会話の不安
事務員が1人だけの小さな事務所では、日々の人との接点も限られています。静かな時間が多い分、会話のタイミングや空気が過敏に感じられてしまうのです。だからこそ、ふとした沈黙が胸に刺さるような瞬間がある。相談者との数秒の沈黙、電話の保留、事務所内の無言──それらが積もって、気づけば「話すのが怖い」という感情にまでなっていたのかもしれません。