たったひとつの“忘れ物”が、信頼の歯車を狂わせた日

たったひとつの“忘れ物”が、信頼の歯車を狂わせた日

印鑑ひとつで一日が崩れる、それが現場

「なんで今日に限って……」。その日は朝からバタバタしていた。法務局への提出期限ギリギリの書類を整え、郵送の準備も完了。あとは、事務員さんが封筒に印鑑を押して投函するだけだった——はずだった。昼過ぎにポツリと「先生、印鑑が…」と申し訳なさそうな声。すでにポストの回収は終わっていた。たったひとつ、印鑑がなかっただけで、私のスケジュールも、気持ちも、信頼も揺らいだ。

「すみません、印鑑が…」その一言が頭をよぎる

聞いた瞬間は笑って受け流したつもりだった。でも頭の中では、書類の提出期限、クライアントへの約束、後ろ倒しになる業務スケジュールがグルグルと回っていた。事務員さんも悪気があったわけではない。ただうっかりしてしまっただけだ。でも「うっかり」が許されない世界で仕事をしている私たちは、そんなささいなミスひとつで信用を落としかねない。そう思うと、「なんで押してないんだよ…」という言葉が喉まで出かかった。

たかが印鑑、されど印鑑——遅れた郵送の代償

郵便ポストの前で、もう回収された後の空虚な投入口を見つめる時間ほどむなしいものはない。たかが印鑑を押し忘れただけ、なのに結局翌日にならないと発送できない。お客さんには「本日発送予定でしたが、少しだけ遅れます」と連絡。直接責められはしなかったけど、「ああ…やっちゃったな」という空気は漂った。司法書士という立場は、結果で評価される。事情はあれど、遅れたという事実は消せない。

クライアントへの報告、胃の痛みと共に

報告の電話をかけるまでに30分も悩んだ。「正直に言うべきか」「余計なことは言わない方がいいか」「そもそも怒られたらどうしよう」……。まるで中学生のころ、宿題を忘れて先生に言い訳していた時のような気分だった。いざ電話すると「大丈夫ですよ」と返ってきたが、それが逆につらい。優しさに救われるどころか、逆に自分の未熟さを突きつけられたようだった。

事務員さんも人間だから、という建前と本音

「人間だからミスはあるよ」なんて、普段から私もよく言っている。だけど、いざ自分がそのミスの影響を被る立場になると、思っていたよりずっとダメージがでかい。「なんでちゃんと確認しなかったの?」と詰めたい気持ちと、「でも、いつも頑張ってくれてるしなぁ…」という気持ちが頭の中でぶつかる。気をつかって結局何も言えず、「いいよ、次気をつけてね」としか言えなかった。

責められない。でもこっちも限界

うちの事務所は私と事務員さんの二人体制。お互いがいなければ回らない。だからこそ、責めることはできないし、責めたところで得もない。だけど正直なところ、精神的なキャパシティはとっくに限界だ。現場は余裕がない。私はミスをカバーし、事務員さんはそのフォローで申し訳なさそうにして…その繰り返し。どちらも悪くないけど、どちらも疲れている。

一人事務所のツケがここに出る

もう少し大きな事務所なら、ミスがあっても誰かがカバーできる余地がある。でもうちは小さな町の個人事務所。責任もプレッシャーも、全部二人で背負っている。だからこそ、たったひとつの印鑑の忘れ物が、想像以上に大きな重荷になる。開業当初は「この規模がちょうどいい」と思っていたけど、こういう時になると孤立感ばかりが増す。

結局、自分でやるしかないんだという孤独感

責任はすべて最終的に自分に降りかかってくる。何かが遅れれば、何かが漏れれば、問われるのは「事務所の代表者」である私。だから私は今日も確認する。印鑑は押されたか?封筒は投函されたか?見なくても信頼して任せたい。でも現実には見ないと怖い。自分でやった方が早い。そう思ってしまう日が、増えた。

「頼れる人がいない」ことが習慣になる怖さ

結局、自分ひとりでやる方が気が楽になる。相手に任せてミスされるより、最初から自分でやった方が傷が浅い——。そんな発想に支配されていくと、「頼る」という選択肢がどんどん消えていく。信頼を失ったわけではない。でも、自分の心の防衛本能が、「一人で処理しろ」と命令してくる。人間って、こうして孤立していくのかもしれない。

外注したらしたで、今度は管理に疲れる

「じゃあ外注すれば?」と言われたことがある。でも外注したら、それはそれで書類のチェック、やりとりの煩雑さ、確認作業が倍増する。気も使うし、神経もすり減る。結果的に「もう自分でやった方が楽」となる。そしてまた孤立。これは負のループなのかもしれない。頼れる人を増やすには、管理する側も成長しなければいけないのだろう。

シンプルに、人手が足りない

根本的なことを言えば、単純に人手が足りない。私も、事務員さんも、手一杯。一つの小さな忘れ物が、全体を止めてしまう。余裕がない中で回していると、小さなミスすら「致命傷」に見えてしまう。もっと人を雇えば?と聞かれることもあるけど、田舎の司法書士事務所に人は来ないし、教える余裕もない。人がいないのではなく、抱えられる力がこちらになかったりする。

信頼の積み重ねは、こうして簡単に崩れる

信頼って、少しずつ積み上げていくものだけど、崩れるときはあっという間だ。クライアントに何も言われなくても、自分の中では「やってしまった」という後悔が積み重なっていく。それがプレッシャーとなり、仕事への集中を妨げる。「あのとき、こうしていれば…」と、いつまでも考えてしまう。些細なことが、大きな不安になるのがこの仕事のつらいところだ。

納期遅れは、言い訳できない“結果”として残る

「すみません、今日出せませんでした」。この一言の重さは、仕事をしていないとわからない。自分では全力を尽くしても、結果として「間に合わなかった」ことに変わりはない。しかも司法書士という肩書きは、そういう“ミス”をしてはいけない職業。だからこそ、余計に自分に厳しくなる。でも、どんなに気を張っていても、人は完璧ではない。結果の厳しさに、自分の限界が突きつけられる。

「プロらしさ」とは何か、を問われた日

あの日、私は「プロ失格だ」と自分に言い聞かせていた。だけど、よく考えたら、それは少し違うのかもしれない。プロとは、完璧な人間のことじゃない。失敗から何を学ぶか、次にどう活かすかが「プロらしさ」なのかもしれない。理想論かもしれない。だけどそうでも思わないと、やってられない。そうやって、私は自分を奮い立たせている。

それでも今日も回す。回さなきゃ終わらない

ミスはある。疲れることもある。もう辞めたいと思うこともある。だけど、今日も机に向かって書類を確認し、電話をかけ、登記の準備をする。回さなきゃ、誰も代わってくれないから。文句を言いながらも、私は今日も仕事をしている。そんな自分を、少しくらいは認めてもいいのかもしれない。

愚痴をこぼしても、やるしかない現実

愚痴は止まらない。毎日何かしらに文句を言ってる気がする。でも、どれだけ嘆いても、やるべき仕事は目の前に山積みだ。事務員さんも私も、それをわかっているから、なんとか乗り越えている。「誰かに聞いてほしいだけ」ってときもあるし、「自分を保つための愚痴」もある。だからこの記事も、誰かの心の支えになっていたら嬉しい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。