愚痴が止まらない日常――司法書士の現実
司法書士として働いていると、「なんでこんなに面倒な仕事ばっかりなんだろう」と思うことが一日に何度もあります。愚痴の一つや二つでは済まない日も多く、正直、やりきれない気持ちになることもしばしば。特に地方で一人事務所を運営していると、誰かに吐き出す場もなくて、つい独り言のようにブツブツ…。でも、そんな毎日でも、どこかで「辞めたい」とまでは思っていない自分がいることにも気づかされます。
朝から電話と来客でヘトヘト
うちの事務所は9時開所なんですが、8時半にはもう電話が鳴っていたりします。「9時からって言ってるのに…」と思いつつも、無視できずに対応してしまうのが性分。そこに来客がかぶると、朝の1時間で一日の体力の半分が削られる感じです。コーヒーも冷めたまま机に置きっぱなし、昨日の書類チェックも手をつけられずに、バタバタと午前中が過ぎていきます。
「またかよ」と言いたくなる案件の山
不動産登記の依頼が増える時期は決まっていて、年度末や相続税の申告期限が近づくころ。そんなタイミングで、必要書類がそろっていないケースや、本人確認書類が微妙に期限切れだったり…。最初は丁寧に対応していたつもりが、同じ説明を何度もしていると、つい口調もキツくなってしまいます。「またこれかよ…」と心の中で何度つぶやいたかわかりません。
事務員さんがいてくれて助かるけど、それでも足りない
ありがたいことに、うちにはしっかり者の事務員さんが一人います。彼女がいなかったら、この事務所は回っていないと断言できます。でも、やっぱり一人では限界がある。お互いに声をかけあう時間も惜しくて、黙々と作業をしてしまいがち。気づけば、事務所内の空気もピリピリ。誰かと分担できる喜びと、分担しきれない業務量の現実とのギャップに、時々ため息が出てしまいます。
こんなに文句言ってるのに、なぜか辞められない
仕事のことを話すたびに愚痴っぽくなってしまうのに、実際に「辞めたいか?」と自分に問いかけると、答えは「いや、そうでもない」。これが本当に不思議です。ストレスはある、疲労も溜まる、でもなぜか、他の仕事を探そうとは思わない。気づけば、次の日も事務所に向かっている自分がいる。
やっぱり性に合ってるのかもしれない
昔から「細かいことに気がつく」と言われてきました。司法書士の仕事は、まさに細かさの連続。ちょっとしたミスが大きなトラブルにつながるプレッシャーもありますが、逆に「正確に仕上げられた時の達成感」はなかなか味わえるものではありません。結局、そういう性格の自分には合っているのかもしれないなと、たまに思うことがあります。
依頼者の「助かったよ」に救われる瞬間
先日、相続登記を終えた依頼者の方から、涙ぐみながら「これで一つ肩の荷が下りました」と言われました。その瞬間、普段の疲れが一気に吹き飛ぶ感覚がありました。自分の仕事が誰かの不安を軽くしたり、安心を届ける一助になっていることを、こういう場面で思い出すんです。だから、また頑張ろうと思える。
「自分にしかできない仕事だ」と思える時
他の士業さんでは対応しきれないような案件や、かなり複雑な登記が無事に終わった時、「これは自分にしかできなかったな」と思える瞬間があります。もちろん調べて、確認して、何度も修正しての連続なんですが、それでも自分の力で完遂できたという誇りは何にも代えがたいですね。
誰にも見えない“しんどさ”がある
司法書士という仕事は、外から見れば堅実で安定した職業に思われがちですが、実際はけっこう孤独で神経がすり減る仕事です。誰かに相談して軽くなるものでもなく、ひとりで抱え込むことが多いのが現実です。
書類の山に埋もれる日々
今どき電子化も進んでいるとはいえ、法務局とのやりとりや相続関連ではまだまだ紙が主流。気づけば机の上が書類で山盛りに。どれも重要な案件なので「後回し」という選択肢はなく、常に“締切りとの戦い”です。一歩間違えれば、登記が無効になったり損害賠償なんてこともあるので、気が抜けません。
登記の間違いは許されない重圧
たった一文字の間違いが、大きな手戻りや信頼失墜につながるのがこの仕事。昔、苗字の誤字に気づかず提出してしまい、依頼者に平謝りしたことがあります。それ以来、何度も何度も見直す癖がつきましたが、逆にその「慎重さ」が神経をすり減らす要因にもなっているんです。
相続の話は想像以上に繊細で気疲れする
亡くなった方をめぐる家族の想い、それぞれの関係性、遺産の分け方――すべてに気を使いながら、でも制度の中で進めなければならない。ちょっとした言い回し一つで空気が凍りついた経験もあります。誰かが傷つかないように、でも手続きはきちんと。このバランスがとても難しい。
精神的に削られていく感覚
感謝される仕事でもありますが、ミスが許されず、常に完璧を求められる環境にいると、知らないうちに心がすり減っていきます。休みの日でも「あの書類、ちゃんと確認したっけ?」と頭をよぎる。だからこそ、愚痴の一つもこぼしたくなるわけです。
それでも司法書士を続ける理由
それでも、私は明日もまたこの仕事を続けるでしょう。大変さの中にも、やりがいや意味を感じられる場面があるからです。それがどれだけ小さなことでも、司法書士としての自分を支える芯になっています。
「ありがとう」の重みは何度味わっても沁みる
手続きを終えたあと、依頼者が深く頭を下げて「本当にありがとうございました」と言ってくれる。その一言にどれほど支えられてきたか、数え切れません。忙しさやミスの恐怖も、この言葉の前では一瞬だけ忘れられます。
ふとした時に思い出す、最初の依頼者の笑顔
独立して最初に依頼してくれた年配の女性の「また何かあったらお願いね」の言葉、今でも覚えています。その後も何件も紹介してくれました。あの信頼があったからこそ、今まで続けてこられたと感じます。
後輩や司法書士志望の人に伝えたいこと
「大変な仕事ですよ」とは正直に言いたい。でも、「やめとけ」とは言いたくない。苦労もあるけど、それ以上に得るものがある仕事です。完璧を求められる世界だけど、自分の誠実さが一番活きる職業だと、私は思います。
最後に:愚痴が言える場所がある幸せ
こうして文章にしてみると、「自分、愚痴ばっかりだな」と改めて思います。でも、それを正直に吐き出せる場所があるというのは、実は幸せなことなのかもしれません。今日もまた、文句を言いながらも、私は事務所の鍵を開けるのです。
「愚痴れる=頑張ってる証拠」かもしれない
本当にどうでもよくなっていたら、愚痴すら出ないはず。だからこそ、文句が出るのはまだこの仕事に期待しているし、向き合っている証拠。そう考えると、少しだけ自分を許せる気がします。
それでも、やっぱりこの仕事が好きだと思う
すべての仕事が終わって、静かな事務所で一人コーヒーを飲んでいるとき。ふと、「今日もなんだかんだやり切ったな」と思える。それがたぶん、私がこの仕事を好きな理由なんだと思います。