なぜか心が荒んでいく――オンライン対応が当たり前になった日常
リモート相談、チャット対応、電子署名、電子申請――ここ数年で司法書士の仕事もずいぶんと様変わりしました。画面越しで完結する案件も増え、出社しない事務員を羨ましく思うことすらあります。でも、ふと気づいたんです。「なんか…心が冷えてるな」と。業務効率は上がったのかもしれません。でも、自分の中で何かがすり減っていくような感覚だけは、どうにも無視できませんでした。
便利さの代償に、何かが削られていく感覚
オンラインでのやりとりは確かに便利です。画面の向こうの相手は、クリックひとつで時間も場所も超えてやってくる。でも、その反面、感情の温度や相手の微妙な表情、ちょっとした気遣いみたいなものが、すっぽり抜け落ちてしまうことに気づきました。案件はスムーズに進んでも、どこか“業務”でしかない感じが残ってしまうのです。
「効率化」は正義か?
時間短縮、無駄の排除、即レス。これらは確かに経営上は正しい判断かもしれません。けれど、それが「正しい=気持ちいい」にはならない。たとえば昔なら、ちょっとした世間話から依頼人の本音がポロリと出たり、それが重要なヒントになったりもした。でも、Zoomの画面越しじゃ、そういう“間”が生まれにくい。大事な何かを、切り捨ててるような気さえしてくるんです。
顔が見えない安心と、不安
顔を出さなくても済むオンライン会議は、気楽ではあります。こちらの疲れた顔や、事務所の雑然とした背景を気にしなくていい。でも、それと引き換えに「この人、ほんとに納得してるのかな?」と不安になることも増えました。頷きひとつの重みや、ため息の意味が見えなくなると、仕事の“手応え”まで失っていく感覚に陥ります。
孤独と無力感を感じる瞬間
何よりしんどいのは、ひとりで画面を見つめている時間が増えたことです。相談後に「ありがとうございました」と画面が切れた後、急に静かになるあの感じ。事務所に誰もいない時間だと、なおさら虚無です。トラブルが起きても、愚痴をこぼす相手すらいない。ただただ、自分だけがこの重い空気を吸っているような錯覚に陥ります。
気づいたのは、ある依頼者との雑談だった
先日、ある年配の依頼者が「先生、最近は誰ともしゃべらんのですよ」とぽつりと話してくれました。その言葉が、まるで自分に向けられたようで、なぜか胸が詰まりました。「ああ、俺も同じだ」と。その日は珍しく電話での相談で、画面越しではなく、声のトーンや間合いが伝わる対話でした。たったそれだけのことなのに、妙に心があったかくなったのを覚えています。
「あの時の一言」で救われた自分
「先生が電話に出てくれるだけで、ちょっと元気出るんですよ」――そう言われたとき、思わず「こっちこそ助かってます」と言い返してしまいました。オンラインでは絶対に出てこないような、雑談の流れでの一言でしたが、それがどれほど自分を救ったか。仕事の内容じゃない。必要なのは、“誰かとつながってる”という実感だったんだと思います。
淡々とした日々に突き刺さる温度
毎日がルーティン、形式、事務的処理で埋まっていく中で、こういう“ぬくもり”が本当に刺さる。まるで寒い冬に差し出された温かい缶コーヒーのように、「あ、自分、生きてるな」と感じさせてくれる瞬間です。もしかすると、相手も同じように感じてくれていたのかもしれない。それがまた、救いになる。
相手も不安を抱えているという事実
オンラインでのやりとりだと、相手が不安を抱えていることに気づきにくくなります。でも、対面や電話なら、沈黙の合間、ため息の回数、ちょっとした言い淀みから「この人、何か抱えてるな」とわかる。こっちが気づけると、向こうも安心して心を開く。そういう感覚を忘れていた自分に、あの雑談は気づかせてくれました。
事務所の中の人間関係にこそ救いがある
画面の外にいる“本物の人間”と過ごす時間が、今の自分にとって一番大切なのかもしれません。特に、うちの事務員さん。週に数回しか来られないけど、彼女と交わす何気ない会話が、自分にとってものすごく意味のあるものになってきています。
事務員さんの存在がどれほどありがたいか
「おはようございます」「今日、天気いいですね」そんな会話でも十分。自分の存在を認識してくれる誰かがいるというだけで、孤独感はずいぶん和らぎます。仕事の話も、どうでもいい雑談も、今では何よりの心の支えです。
誰かがいてくれる安心感
何かミスしても、「しょうがないですね」って笑ってくれる人がいる。その一言が、どれだけ救いになるか。一人で全部抱え込んでいた頃は、ちょっとしたミスでも自分を責め続けていたけど、今はだいぶマシになりました。
「愚痴を言える相手」がいる価値
「今日は最悪だった」って言える相手がいることの贅沢さ。別にアドバイスなんかいらない。ただ、聞いてくれるだけで、何とかまたやっていける。人間って、そういう生き物なんじゃないかなと思います。
他の司法書士さんはどうしてるのか?
同業者との情報交換の機会が減って久しいですが、たまに参加する研修や会合で「みんな同じことで悩んでるんだな」と感じることがあります。それだけで、ちょっと肩の荷が下りる気がするんです。
同業者の話にホッとする瞬間
「うちも事務員来ない日が多くてね」なんて話を聞くだけで、「あ、自分だけじゃないんだ」と思える。同じ業界で、似たような壁にぶつかってる仲間がいる。その事実が、何よりの励みになります。
同じ悩みを抱えてる仲間の存在
誰かが「辞めたいと思ったこと、正直ある」なんて本音をこぼしてくれたら、自分の悩みも少し軽くなる。悩みの共有って、それだけで癒やしになるんですよね。
オンラインの交流でも“温かさ”は感じられる?
最近はSNSの司法書士コミュニティにも参加してみました。画面越しでも、コメントの端々に“人柄”は滲み出ます。完全な代替にはならないけれど、「誰かと繋がってる」という実感を得る手段のひとつにはなり得ると思っています。
これからの司法書士にとっての「人間らしさ」
どれだけ効率化が進んでも、人と人の仕事であることは変わらない。司法書士の本質って、手続きを正確にこなすことよりも、「この人に頼んでよかった」と思ってもらえることなのかもしれません。
合理化だけじゃ持たない職業
コスト削減や業務効率の名のもとに、失っていいものと、失ってはいけないものがある。人の気持ちや温度まで削ってしまったら、この仕事はただの“申請機械”になってしまう。そんな仕事、正直やりたくないんです。
「人の話を聞く」ことが本質的な仕事
結局のところ、この仕事は“話を聞く”ことが大事だと思っています。相手の不安や葛藤を汲み取ること。そこにしか、自分たちの存在意義ってないんじゃないでしょうか。だから、僕はこれからも“人のぬくもり”を忘れずにいたいのです。