「失敗できない」が頭から離れないあなたへ──完璧主義の呪縛をほどくヒント

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「失敗できない」が頭から離れないあなたへ──完璧主義の呪縛をほどくヒント

「失敗できない」って、毎日思ってしまう自分がいる

司法書士として独立して15年。毎朝デスクに向かうと、まず頭に浮かぶのが「今日も失敗できない」という言葉です。登記一つのミスで依頼人に迷惑をかけ、信頼を損なう恐れがある。そんなプレッシャーに、正直、押しつぶされそうになることがあります。事務所で働くのは私と、事務員さんの二人だけ。相談相手も少なく、悩みは常に自分の中でこだましています。気づけば「失敗できない」という言葉が、仕事そのものを窮屈にしていることに気づきます。

この仕事、間違えたら終わりだというプレッシャー

司法書士という職業は、いわば「ミスの許されない世界」で生きる商売です。たとえば、登記の内容を一文字間違えただけで、不動産取引全体がストップしてしまう。そんな緊張感の中で仕事をしていれば、いつしか「絶対に失敗できない」という意識が染みついてしまいます。プロとしてそれは当然の責任感なのですが、それが過剰になると、自分の心を壊してしまうこともあるのです。

登記一つで何千万が動く現実

登記というのは、世間から見れば「紙仕事」に見えるかもしれません。しかし実際には、数千万、時には億を超えるお金が絡む手続きです。たとえば不動産売買の登記ミスで、所有権移転が遅れれば、売主・買主・仲介業者すべてに多大な影響が及びます。その責任を一人で背負っている感覚が、プレッシャーを何倍にも膨らませていくのです。

誰にも相談できない「重さ」

問題なのは、このプレッシャーを相談できる相手がいないこと。家族にも、事務員にも、同業者にも、なかなか本音をこぼせません。「そんなことを言うなんてプロ失格だ」と思われそうで怖い。だから、いつも笑顔で「大丈夫ですよ」と言いながら、内心は不安と恐怖でいっぱいという日々を繰り返しています。

事務所を構えて15年、それでも慣れない不安

事務所を開業してから15年経ちましたが、不思議なことに「慣れた」とは一度も感じたことがありません。案件の種類が変わり、依頼人の状況も多様化して、同じパターンの仕事なんて一つもない。どんなに経験を積んでも、「これで安心」という感覚はなかなか訪れません。むしろ経験があるからこそ、怖さがわかってしまうというのが現実です。

経験で乗り越えられること、乗り越えられないこと

たしかに、経験を積めばミスの可能性は減っていきます。しかし一方で、想定外のケースやイレギュラーな対応が求められることも多く、経験だけではどうにもならない局面にぶつかることもあります。結局、「失敗できない」という呪縛からは、いつまでも完全には逃れられないのかもしれません。

「完璧であろうとすること」が、かえって自分を追い詰める

司法書士の仕事は正確性が命ですが、それを突き詰めすぎると、自分の中の「完璧主義」が暴走してしまうことがあります。誰にでもミスはあるはずなのに、自分だけは絶対にやってはいけない、という強迫観念に変わっていく。そして気づけば、何をやるにもビクビクしてしまうようになるのです。

チェックしても、なお不安が残る夜

書類を仕上げて、何度もチェックして、それでも「これで本当に大丈夫か?」と不安に襲われることがあります。ベッドに入っても気になって眠れず、夜中にもう一度事務所に戻って確認したこともあります。そのたびに「自分は神経質すぎるんじゃないか」と思うけれど、それでもやらずにはいられない。そんな自分が少し、嫌になってきたりもします。

ダブルチェックでも「100%の安心」は来ない

私は事務員さんにもダブルチェックをお願いしています。でも、どれだけ確認しても「100%安心だ」とはなかなか思えません。最後は自分で判断するしかないからこそ、最終的なプレッシャーはどうしても自分にのしかかってくるのです。確認が済んでも、どこかで「もし…」という不安が消えない。それが積み重なって、心の疲労につながっていきます。

事務員に任せきれない苦しさ

事務員さんはとてもよくやってくれています。でも、どうしても「ここだけは自分が見なければ」と思ってしまう部分が多くて、完全に任せることができません。信頼していないわけではなくて、責任がすべて自分にあるとわかっているからこそ、最後の最後まで自分で目を通したくなる。だから一人で背負いすぎて、また「失敗できない」が強くなってしまうんです。

「責任の所在」がすべて自分にある孤独

司法書士という仕事は、最終的にすべての責任が自分に返ってきます。トラブルがあったとき、「事務員が間違えました」では通らない。だからこそ、全部自分で抱え込みたくなるし、同時に「何かあったらどうしよう」と孤独な戦いになっていきます。誰も責めてこないけれど、自分自身が自分を責めるという、終わりのないループです。

失敗を恐れる気持ちの根底にあるもの

なぜここまで失敗を恐れるのか。突き詰めて考えると、それは「信頼を裏切りたくない」という思いに尽きるように思います。依頼人は、人生の大きな節目を任せてくれている。その期待に応えたいという気持ちが、時に自分を追い詰めてしまう。優しさが、プレッシャーになることもあるのです。

依頼人の信頼を裏切りたくないだけなんだ

登記や契約書の作成といった業務は、表向きは事務的でも、依頼人にとっては一生に一度の出来事だったりします。だからこそ、「先生に頼んでよかった」と言ってもらえるように、全力を尽くしたい。その気持ちは嘘じゃないし、そうありたいとも思う。でも、だからこそ一つのミスも許されないと自分を追い詰めてしまうんです。

感謝の言葉が、かえって重荷になることも

「本当に助かりました」「先生にお願いしてよかった」──そんな言葉をもらった時、嬉しさと同時に、次も絶対に失敗できないという緊張感が芽生えます。感謝の言葉が、自分のハードルをどんどん上げていく。だから時々、「もっと気楽にやれたらいいのに」と思ってしまうこともあるのです。

「士業だから当然」という社会の目

士業はミスをしないのが当たり前。そんな空気が世間にはあります。たとえどんなに丁寧にやっていても、「司法書士ならそれくらいやって当然でしょ」という声が聞こえてくる。そうした期待や見えない圧力が、また「失敗できない」という気持ちを強くしていくのです。

司法書士を目指す人へ伝えたい本音

これから司法書士を目指す方には、現実の厳しさも、やりがいも、正直に伝えたいと思っています。華やかに見えることもあるけれど、その裏には膨大な緊張と責任、そして孤独があります。それでも、この仕事に意味を見出しているからこそ、続けられているのだと思います。

この仕事は、孤独との戦いでもある

司法書士という仕事は、専門性が高い分、他人に仕事を分担しづらい側面があります。たとえチームで動いていても、最終的に判断するのは自分。その孤独を受け入れられるかどうかが、この職業に向いているかどうかの一つの分かれ目かもしれません。

でも、誰かの「ありがとう」で救われることもある

どんなに疲れていても、「先生のおかげです」と言われると、不思議とまた頑張ろうという気持ちになります。その一言のために、ここまで続けてきたのかもしれません。失敗を恐れるのは、それだけ人の役に立ちたいと思っている証拠。だから、自分を少しだけ認めてあげたいと思うこともあります。

「失敗できない」に疲れたら、一度立ち止まってみてもいい

「失敗できない」という言葉が頭から離れない日は、思い切って立ち止まってみてもいい。自分が本当に怖がっているのは何か、本当はどうしたいのかを見つめ直すことで、少しずつでも気持ちが軽くなることがあります。完璧じゃなくていい、という許しを、自分に与えることから始めてみませんか。

自分の「不安」とうまく付き合うために

不安を消そうとするのではなく、不安とどう付き合うかを考える方が、よっぽど現実的です。私は最近、「不安ノート」をつけるようにしています。頭の中にある心配事を全部書き出すと、それだけで少し気が楽になる。不安と共存する道も、あるんだと思えるようになってきました。

ルールではなく「自分なりの安心」を持つ

マニュアルやルールも大切ですが、それだけに頼らず、「これをやれば自分は安心できる」という独自のチェックリストを持つことが、心の安定につながります。完璧を目指すのではなく、自分が納得できるラインを設定する。それが、長く続けていくためのコツなのかもしれません。

同じ悩みを抱える仲間が、きっとどこかにいる

このコラムを書いた理由の一つは、「自分だけじゃない」と誰かに思ってもらいたかったからです。同じように「失敗できない」と感じている司法書士さんや、これからこの道を目指す方に、少しでも共感してもらえたら嬉しいです。私たちは孤独に見えても、どこかでつながっています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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