その言い方、キツすぎませんか?〜法務局のベテランに叱られた日〜

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その言い方、キツすぎませんか?〜法務局のベテランに叱られた日〜

法務局で心が折れた日:あの一言が忘れられない

「先生、それじゃ通らないよ。ちゃんと見てる?」その瞬間、時間が止まった気がした。事務所を出てから何年も経ち、実務経験もそれなりに積んできたつもりだったが、法務局のカウンターでベテランの担当者にそう言われたとき、胸の奥がズンと重くなった。「やっちまったな」と思う反面、「そこまで言わなくても…」という悔しさも残った。今日は、その出来事を通じて感じたこと、そして同業の皆さんにも共有したい“見えない壁”について書いてみたい。

思い返すたびに胃が痛むあの瞬間

それは月末の慌ただしい午後、登記申請を出しに法務局へ向かったときのことだった。書類は何度も確認したし、法的な要件は満たしていた。でも、提出した瞬間に言われた「こんな作り方じゃ、見た人が困るよ」という言葉が、まるで人格を否定されたかのように感じた。周囲の視線もあり、恥ずかしさと動揺で手が震えたのを今でも覚えている。

何がいけなかったのか?手続きは完璧だったはずが…

法的には通る。そう思っていた。でも、現場ではそれだけじゃ通らないことがある。そのギャップを突きつけられた瞬間だった。

形式は合っている、でも“らしくない”と言われた

書式も添付書類も、登記原因証明情報も整っていた。でも、「前と違うね」と一言。つまり、慣れた目から見ると“浮いていた”のだ。たとえばレポート提出のとき、先生に「この書き方は違う」と言われるあの感じに近い。理屈じゃなく、実務の“雰囲気”があるらしい。

ベテラン担当者の目はごまかせない

ベテランの担当者は、百戦錬磨のプロだ。数秒で書式のクセを見抜き、違和感を言葉にする力がある。だからこそ怖い。でも、そこに甘えるわけにはいかないのが我々の仕事だ。

法務局のカウンター越しにある“暗黙の了解”

法律と実務の間には、明文化されていない“了解”が横たわっている。新人の頃は「決まりだから」と言われて納得していたが、今は逆に「決まりだけど、それだけじゃダメ」と言われる。ルールを守るだけでは通じない現場の難しさを、改めて思い知った。

ルールではなく、現場の“常識”が支配する世界

理屈が通るとは限らない。たとえば、物件の表示の仕方ひとつ取っても、「この法務局ではこの表現が好まれる」という暗黙の了解がある。それを破ると、「知らないの?」という空気になる。いや、知らんがな…と言いたくなるのをグッとこらえる。

マニュアル通りでも叱られる理不尽

マニュアルに従っても、それが通用しないことがある。「この添付書類、要らないって言われましたけど」と事務員に報告すると、「え?前は必要だったのに」と返ってくる。結局、都度“空気を読む”しかないのだ。

「前の担当者はもっと丁寧だった」と比べられる辛さ

ある日、「〇〇事務所さんのは見やすくて助かる」と言われた。比べられるのがつらい。競争してるわけじゃないのに、そう言われると心の奥がモヤモヤする。

新人時代と違う、今の自分だから感じるプライドと恥

叱られて落ち込む自分が嫌だった。新人の頃なら素直に反省できた。でも、年齢や経験を重ねると、怒られること自体が「恥」と感じてしまう。これは自分の問題だろうか、それともこの業界特有の文化だろうか。

経験を積んだぶん、指摘が刺さる

正直、もうベテランと呼ばれる側だと思っていた。そんな自分が叱られると、単なるミス以上に「自分の存在」が否定されたような気になる。それが一番つらい。

「今さら怒られるなんて…」という自己否定

帰りの車内、「もう司法書士向いてないのかも」と思った。でも、その気持ちこそ、まだ真面目に向き合っている証拠なのかもしれない。

事務所に戻って、ため息ひとつ

法務局から戻った日は、必ずと言っていいほどため息をついてしまう。別に誰が悪いわけじゃないのに、気持ちの整理がつかない。

事務員には言えない、情けない気持ち

「どうでしたか?」と事務員に聞かれて、「特に問題なかったよ」と答えてしまう。でも内心は、恥ずかしさと悔しさでいっぱいだ。

「先生、大変でしたね」と言われるのもまたツライ

優しい言葉が、逆に刺さることがある。「あぁ、自分って頼りないんだな」と思わされる。だから、あえて何も言わない。

結局、あの叱責で学んだこと

少し時間が経ってから、あの出来事を客観的に考えることができた。あれは“嫌われた”のではなく、“注意された”だけなのだ。

形式的な正しさより“実務の空気感”

登記実務は、正解がひとつではない。だからこそ、「正しい」ではなく「通じる」書類を作ることが大事なのだ。

「慣れてる人にはわかるでしょ」の恐ろしさ

慣れてる人間ほど、「このくらい大丈夫」と思ってしまう。でも、実は一番危ないのがその“慣れ”だったりする。

コミュニケーション能力も実務能力のうち

話し方、タイミング、伝え方。それも含めて司法書士の“腕”だと、今さらながら気づかされた。

同業の皆さんへ:こういうこと、ありませんか?

私だけじゃないと思いたい。むしろ、皆さんにもあるはずだ。法務局で凹んだ経験。叱られて悔しかったあの日。

ベテラン担当者とどう付き合うかのリアル

毎回相手が違うし、当たり外れもある。今日は優しい人、明日は厳しい人。それでもこちらは変わらず丁寧に出すしかない。

全部メモに取るしかないという話

注意されたこと、微妙なニュアンス、言われた表現。すべてメモに残す。それが明日の自分を助ける。

納得できないけど、飲み込む力も必要

理不尽でも、ぐっと飲み込む。その力が、たぶんプロとしての“覚悟”なんだと思う。

最後に:叱られても、続けていくということ

たまには本気で嫌になる。でも、やめる理由にはならない。むしろ、そういう日があるからこそ、次の一歩が踏み出せる。

やめたくなるけど、続けるしかない理由

困っている人を助けたい。登記の先にある“誰かの生活”を支える。それが、この仕事の意味だと思っている。

誇れる仕事であることは間違いないから

どれだけ落ち込んでも、この仕事は好きだ。苦い経験があっても、私は今日も書類をつくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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