それ、僕いらないってことですか?──司法書士の胸に突き刺さった一言

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それ、僕いらないってことですか?──司法書士の胸に突き刺さった一言

「それ、司法書士じゃなくてもできるんじゃないですか?」その瞬間、空気が変わった

その言葉を聞いたのは、地方の不動産会社での打ち合わせの場だった。依頼人の若い担当者が、書類をパラパラとめくりながら、ポツリとそう言ったのだ。「これ、司法書士じゃなくてもできるんじゃないですか?」と。場が一瞬凍りついた。言った本人は軽いノリだったのかもしれない。でも、自分にとっては胸をえぐられるような瞬間だった。

言葉の破壊力は想像以上だった

その場は笑ってやり過ごした。でも、心の中はぐしゃぐしゃだった。頭では「無知からくる発言だ」とわかっていても、感情はそれを許さなかった。まるで自分の存在意義を否定されたような、そんな気持ちが一日中尾を引いた。あの一言に、それだけの破壊力があったのだ。

その一言に込められた“無意識の否定”

たぶん彼は、本気で悪意があったわけではない。ただ「自分でもできる作業に見えた」だけだ。でも、だからこそ怖い。無意識に専門職の価値を軽んじる社会の空気が、その一言に凝縮されていた。そういう意味では、彼は社会の鏡だったのかもしれない。

司法書士という仕事の“見えにくさ”

司法書士の仕事は、表面だけ見ると「書類を処理して提出する」ことに見える。だからこそ、その裏側にある知識・責任・判断力がなかなか伝わらない。地味な仕事ほど、誤解される運命にあるのかもしれない。

登記は「結果」だけが見える

登記が完了したら、法務局のデータベースに反映される。それだけ。誰もその前に、何通もの書類を確認し、利害関係を整理し、万が一にも間違いがないよう慎重に進めた過程を見ない。結果しか見えない仕事ほど、評価されづらいのだと痛感する。

「書類を持っていくだけ」の誤解

何度言われたかわからない。「それって、自分で書類出せばいいだけじゃないんですか?」と。でも実際は、たとえ1行の記載ミスでも重大な責任問題になる。誰のミスか、どう修正するか、それによって何が不利益になるか。書類一枚の背後に、無数のリスクが潜んでいる。

地味な作業の裏にある“責任の重さ”

見えないからこそ、軽く扱われる。でも我々は、その「見えない部分」に一番時間と神経を使っている。責任は重いのに、感謝されることは少ない。むしろ「ありがとう」より先に「費用、けっこうかかるんですね」と言われることの方が多い。

それでも“必要とされている”と信じたい

あの一言に傷ついても、やめられないのは「誰かにとって必要な存在だ」と信じているから。そう思えないと、この仕事は続かない。見えなくても、伝わらなくても、それでも支える覚悟が必要な職業だと思っている。

相談者が安心する瞬間を忘れない

「ああ、話してよかったです」その一言に、何度救われてきたかわからない。手続きや登記が終わったときよりも、相談の段階で不安が和らいだときの方が、達成感がある。それが、この仕事を続ける理由になっている。

手続きではなく、人を支えている

書類や登記だけが仕事じゃない。背後にいる“人”をどう支えるかが本質なんだと思う。不安を受け止め、解決の道筋を示し、結果まで導く。それが、司法書士という職業の、社会における役割だと信じている。

事務所経営のリアル──効率と尊厳のはざまで

忙しいのに儲からない、依頼は増えるのに人は雇えない。事務員さんに助けられながら、日々業務に追われる。そんな中で「本当に自分じゃなきゃダメな仕事なのか?」と、ふと考えてしまうこともある。

事務員さんに助けられているけれど

うちの事務員さんは本当に優秀で、仕事が早い。こちらがバタバタしていても、冷静にサポートしてくれる。正直、彼女がいなければ今の事務所は回らない。でも、だからこそ「司法書士がやる意味」ってなんだろうと悩む。

外注?自分でやる?常に悩む業務バランス

登記の一部を外注に出すべきか。自分でやるべきか。報酬は限られているのに、手間は増えるばかり。仕事を“効率”で切り分けると、専門性がどこにあるのかがわからなくなってくる。このジレンマ、ずっと続いている。

専門職の“自信”はどこから来るのか

「資格があるから大丈夫」とは言いきれない時代。でも、誰かに必要とされる経験を積み重ねることで、少しずつ「自信」になっていく。その一方で、ふとした瞬間にグラグラと揺らぐのもまた、この仕事の難しさだ。

資格の価値は他人に証明しないと伝わらない

資格を持っているだけでは、信用されない時代になった。「司法書士です」と言っても、「で、それって何ができるんですか?」と聞かれることもある。こちらが努力しないと、価値は伝わらない。もどかしいが、それが現実だ。

でも、無理して戦うと疲れるだけ

「ちゃんと説明しなきゃ」「もっと専門性を見せなきゃ」と気を張っていた時期もある。でも、肩肘張り続けると疲弊してしまう。少し力を抜いて、「わかる人にわかればいい」と思えるようになったのは、最近になってからだ。

「これは司法書士じゃないと無理ですね」と言われた日

先日、とある金融機関の担当者にこう言われた。「これは…すみません、司法書士じゃないと無理ですね」と。正直、涙が出そうだった。仕事を認められたというより、「いてくれて助かった」と言われた気がした。

久しぶりに認められた気がした

その一言が、どれだけ心を救ってくれたか。日々の疲れや迷いが、一瞬だけ晴れた。やっていてよかった。そう思えたのは、何年ぶりだっただろうか。

必要とされる瞬間が、原動力になる

誰かの「ありがとう」や「助かりました」で、また一歩進める。司法書士の仕事は、派手じゃない。目立たない。でも、誰かの人生の転換点に関わる重要な役割を担っている。そう思えた日は、少しだけ前を向ける。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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