「前の先生は無料だった」と言われたとき、あなたはどうする?プロとしての一線の引き方

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「前の先生は無料だった」と言われたとき、あなたはどうする?プロとしての一線の引き方

「無料でやってくれたのに」と言われた日のため息

「ここ、前の先生は無料でやってくれたんですけど」——この一言、言われた瞬間はぐっと言葉に詰まりました。たった一言で、こちらの信頼も価値も否定されたような気分になります。もちろん悪気がないのは分かっています。でも、こちらとしては、それなりに準備して、考えて、時間を使っているわけです。それを「無料」で済まされた実績と比較されると、正直やる気をなくすこともあります。

依頼者に悪気はない、でもこちらは傷つく

こういうことを言ってくる依頼者は、たいてい本当に悪気がないんです。事実として前の先生が無料で対応したのだから、それを伝えただけ、くらいの感覚です。でもこっちは、「ああ、私はそれ以下ってことか」と、勝手に凹んでしまう。昔、ある相続の相談で戸籍をまとめる作業があったとき、私が「少し費用がかかります」と言ったら「え、前の先生はタダでやってくれたんですけど」と。あの時の沈黙、今でもちょっとトラウマです。

比較対象にされる苦しさと無力感

司法書士の仕事って、なかなか依頼者にとっては「どれが正解か」が分かりづらい世界です。だからこそ、過去の経験と比較される。前の先生はこうだった、あの人はもっと安くやってくれた、そんなふうに言われると、自分のやり方が間違っているように思えてきます。とはいえ、「じゃあ他所でやってもらってください」と突き放せるほどこちらも強くはない。モヤモヤしながら、今日もまた次の相談者を迎えるのです。

無料対応が当たり前だと思われる構造的な問題

なぜこんなにも「無料でやってくれる」と思われてしまうのか。それには業界全体の姿勢や、地域性、そして依頼者の「専門家」に対する意識の低さがあるように感じます。特に地方では「お付き合い」や「ご厚意」で成り立ってきた部分が色濃く残っていて、無料でやることが美徳とされてきた文化がまだまだ根強いのです。

「ついでだからお願い」は、ついででは済まない

「これ、ついでに見ておいてくれませんか?」——この言葉もなかなか厄介です。「ついで」って、何を基準に言っているんでしょうね。たとえば、相続登記のついでに戸籍のチェックをお願いされたことがありますが、実際には複雑な家系図を追っていかないといけない作業で、1〜2時間じゃ到底終わらない。依頼者は簡単なことを頼んでいるつもりでも、実際はこちらのリソースを大きく奪う作業だったりします。

過去の“善意”が今の自分を苦しめる皮肉

前任者が「無料でやってくれた」のは、善意だったのか、営業戦略だったのかは分かりません。でもその善意が、次に仕事を受けるこちらにとっては「足かせ」になることもあります。「え、タダじゃないの?」と言われるたびに、自分の価値が測られているような気がしてしまう。無料対応が悪だとは思いません。でも、その善意の連鎖が“当たり前”になると、誰かが必ず苦しむんですよね。

そもそも、無料対応ってどこまでが妥当なのか

司法書士の仕事は、いわゆる「形が見えにくいサービス」です。書類1枚、言葉ひとつにしても、それが生まれるまでにどれだけの知識と時間が使われているか、一般の人にはなかなか伝わりません。だからこそ、無料で対応できる範囲はあらかじめ線を引いておかないと、気づけば自分をすり減らしていることになります。

時間の切り売りではない「知識労働」の価値

昔、相続放棄の説明だけで1時間話したことがありました。「このくらいなら料金いらないですよね?」と言われましたが、こちらとしては、1時間分の経験と知識、過去の判例、実務上の注意点などを総動員して話しています。これはもう「ただの雑談」ではない。「しゃべったら終わり」じゃない仕事の重み、もっと評価されていいと思うんですけどね。

書類1枚のチェックでも、頭はフル回転

「ちょっとこれだけ見て」と軽く渡される書類。でも、その中身を確認するためには、前後の経緯や登記済み情報、印鑑の有無、必要書類の整合性など、細かく確認すべきことが山ほどあります。誤字ひとつ見逃せば、あとで大きな手戻りが起きるかもしれない。そう思うと、簡単に「いいですよ」とは言えないのです。

“簡単”は依頼者の主観にすぎない

「それ、簡単だからお願い」と言われると、ぐっと言い返したくなるときがあります。簡単かどうかを判断するのは、こちらです。たとえば「住所の記載が間違ってないか見て」と言われても、それがどの資料と照合されているかによって、チェックの方法も変わるし、責任の重さも全然違ってきます。依頼者が言う“簡単”は、現実とはかけ離れていることが多いです。

モヤモヤを減らすための「線引き」とは

無料と有料の境界線を明確にすることで、自分のストレスも減りますし、相手にも誤解を与えにくくなります。これは「お金の問題」というより、「気持ちよく仕事を続けるためのマナー」に近いかもしれません。

料金表だけでは伝わらないこと

料金表を見せたとしても、「これも含まれてるんじゃないの?」という誤解はよく起きます。たとえば「相談料込み」とあっても、どこまでが“相談”で、どこからが“業務”なのかを明文化するのは難しい。だからこそ、最初の段階で、「これは無料です、でもここからは費用が発生します」とはっきり伝えるようにしています。言いづらくても、言わなきゃ自分が苦しくなるんです。

断る勇気と、それを支える言葉

依頼者に申し訳なく感じても、「それは有料になります」と伝える勇気は持っていたい。もちろん言い方は大事ですが、自分の仕事に誇りを持つなら、「これは仕事です」と言えるようにならないといけない。「この内容は少し専門的になりますので、手続きとして正式にお引き受けする形になります」とやんわり伝えるだけでも、相手の受け取り方は違ってきます。

「前の先生」と比較されたときの心の対処法

比較されるのがつらいのは、誰でも同じ。でもそれで落ち込みすぎると、自分のスタイルまで見失ってしまいます。あの先生はあの先生、自分は自分。それを腹落ちさせるためには、ちょっとした思考の整理が必要です。

同業者への嫉妬と自己否定を乗り越えるには

「あの先生はタダでやったのに、自分はお金を取るのか」。そう思われたとき、つい「自分は器が小さいのでは」と考えてしまいます。でも、それは違います。自分の時間や労力に見合う対価を求めるのは、当然のこと。むしろ、それがないと続かない。だから、他人と比べるのではなく、自分が納得できるやり方を貫くべきです。

「あの人はあの人」と割り切るための思考整理

司法書士にもいろんなタイプがいます。地域密着で信頼重視の人、価格で勝負する人、完全予約制で効率化を重視する人。それぞれのやり方があって当然です。だからこそ、「自分のやり方が通用しないのでは」と不安になる必要はありません。あの人ができたからといって、自分も同じようにする必要はないのです。

ひとり事務所の限界、すべてには応えられない

事務員がひとり、そして自分も朝から晩まで動きっぱなし。そんな日々の中で、すべての依頼に無料で応えることなんて到底できません。断ることは冷たさではなく、続けるための選択なのだと思います。

時間も気力も有限、断ることは悪じゃない

「時間がない」とは言いたくない。でも実際、余裕はありません。午前中に役所、午後に面談、夜は書類作成。そんな中で「ちょっと見て」や「電話だけでも」なんて言われると、正直しんどいんです。だから断る。罪悪感を持たずに、ちゃんと断る。そのためには、自分の限界を知ることも大事です。

優しさと自己犠牲の境界線

優しくあることと、自分を犠牲にすることは違います。人のために尽くすのは素晴らしいことですが、それが積もり積もって自分を壊すようなら意味がありません。笑顔で断る勇気を持つこと。それもまた、プロとしての資質なのだと思います。

やっぱり思う「ちゃんと報われたい」気持ち

誰かの役に立てた、ありがとうと言ってもらえた——そんな瞬間があるから続けられている。でも、できれば“ありがとう”だけじゃなく、対価という形でも報われたい。それは贅沢ではなく、健全な気持ちだと思うんです。

善意が搾取される構図を断ち切るために

「無料でやってくれるはず」という期待を断ち切るには、私たち自身がそれを許容しないスタンスを貫くことが大事です。善意が連鎖するとき、それは素晴らしいことです。でもそれが“当然”になると、誰かが疲弊します。私は、もう疲れたくないので、線を引くことにしました。

「誠意」は無料ではない、と声に出してもいい

誠意を持って仕事をする。でもその誠意は、無償で湧いてくるものではありません。時間も、労力も、経験も、そこに込められたものはすべて「価値」です。「これは無料ではありません」と伝えることは、誠意の放棄ではなく、むしろ誠意を守るための行為なのだと思っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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