登記が終わっても、心に残るものがある

登記が終わっても、心に残るものがある

登記が終わるとき、それは物語の終わりじゃない

登記の手続きが完了した瞬間、司法書士としての仕事はひとまずの区切りを迎える。しかし、それで本当に終わったかと問われれば、胸の奥には何かが引っかかっている。書類を閉じ、PCをシャットダウンしても、依頼者の表情や言葉がふと脳裏をよぎることがあるのだ。事務所の蛍光灯を落としたあと、静まり返った空間に残るのは、登記とは関係のない「感情」の残り香だったりする。

手続きとしての登記、感情としての別れ

登記はあくまで事務的な処理で、冷静な判断が求められる。けれど、それを依頼してくる人たちはいつも感情を抱えている。亡くなった親の遺産整理、離婚後の財産分与、相続争いの火種…。書類一枚で済む話に見えて、裏には複雑な人生模様がある。こちらは淡々と登記申請書を作るけれど、その背後にあるドラマを完全に切り離すのは、簡単ではない。

印鑑を押したその瞬間、何かが始まることもある

ある日、相続登記を依頼してきた女性がいた。兄弟と揉めていたが、最終的に一人で手続きを進めることにしたという。彼女が最後に印鑑を押したとき、小さな声で「これで一区切り」とつぶやいた。その声がやけに心に残った。こちらにとっては「完了」でも、依頼者にとっては「始まり」だったのだ。人の人生に線を引くような仕事をしている気がした。

感情を持ち帰ってしまう仕事

司法書士の仕事は、終わったあとにじわじわと効いてくる。依頼人が泣いていたり、怒っていたり、どこか納得していない顔をしていたりすると、その表情がずっと頭から離れない。電車に揺られながら「もっと違う言い方があったのでは」と反省してしまう。帰宅後も、風呂に入りながら今日の案件のことを考えてしまう日がある。

相談者の「ありがとう」が重くのしかかるとき

依頼者の中には、こちらが「何もしていない」と感じてしまうくらい早く終わる登記でも、「本当に助かりました」と深く頭を下げてくる人がいる。その「ありがとう」が、逆にプレッシャーになることがある。もっと他にできることがあったんじゃないかと自分を責めてしまう。単なる登記なのに、なぜか重い感情がのしかかってくる。

あの涙はなんだったんだろう

以前、ある高齢の男性が「妻を亡くしてから、何も手につかなくてね」と言って、ようやく登記の相談に来てくれた。手続きは淡々と終わったのに、最後にポロッと涙をこぼした。なぜ自分の前で泣いたのか。単なる事務手続きのはずが、心の整理の場になっていたのかもしれない。司法書士という肩書きでは処理しきれない瞬間だった。

法律職の中にある、感情労働という現実

法律職というとドライでクールな印象を持たれがちだが、実際はかなり感情労働の側面が強い。依頼者の心情に寄り添わなければ信頼関係は築けないし、かといって感情をもらいすぎると、自分が潰れてしまう。線引きが難しい。自分自身の中にある「優しさ」が時に足かせになる。誰かに話して楽になりたいのに、それを話す場もない。

独りになった事務所で感じること

一日の業務が終わり、事務員が帰ったあと、静かな事務所に残るのはキーボードのタイピング音と自分の呼吸だけ。壁にかかったカレンダーをぼんやり眺めながら、「また一日が終わった」と呟く。けれど、なんともいえない孤独が背中に張り付いている。誰かに聞いてほしい話があるのに、話す相手がいない。

事務員が帰ったあと、電気を消す手が止まる

最後に電気を消すとき、なぜか躊躇することがある。今日は何件こなしたか、ミスはなかったか、依頼者は納得していただろうか。そんなことを思い返していると、手が止まる。誰かに「今日もよくやったね」と言ってもらえたら、どれだけ救われるだろう。たったひとことが欲しい日もある。

依頼人の人生を背負ってしまう性格

もともと、人の話を真剣に聞いてしまう性格だ。依頼人が抱える悩みや葛藤に、自分のことのように心を痛めてしまう。だからこそ、この仕事に向いているとも思うが、逆に言えば毎日が重い。どこかで「もう少し鈍感になれたら」と思う自分がいる。優しさと職業倫理のあいだで、バランスを取り続けるのは簡単じゃない。

誰にも話せない「終わりの余韻」

仕事が終わっても、その余韻を誰かと分かち合えるわけではない。友人に話しても「へー、大変だね」で終わるし、家族もいないから共有する場もない。独身であることが、こういうときにじんわり効いてくる。話せないまま、感情はどこかに溜まり、ふとした拍子に爆発しそうになる。感情の出口が欲しいと思うことが増えている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。