それ、さっき自分で言ったよね?──説明が説明になってない瞬間

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それ、さっき自分で言ったよね?──説明が説明になってない瞬間

説明しているはずなのに、なぜか自分でも迷子になる瞬間

司法書士という仕事は、法律や制度の説明をする機会が本当に多い。でも、その説明をしている自分が途中で「あれ?今、何の話してたっけ?」となってしまう瞬間がある。これは単なる疲労のせいか、それとも思考が混線しているのか…どちらにせよ、説明しているはずの自分が迷子になるのだから、聞いている側はもっと迷子だろう。お客様の「はい」の裏にある「実はよく分かってない」顔を見るたび、自分の説明力を疑いたくなる。

説明のはずが混乱の元凶に

「ちゃんと説明しよう」と思って話しているのに、気づけば相手の表情が固まっている。最初は丁寧に順を追って話しているつもりでも、途中から専門用語が混じってしまったり、論点がズレたりして、「今、何の話してるんだっけ?」と自問自答し始める。気がついた時には、説明というより独り言になっていたりする。こうなるともう、説明というより情報の押し売りだ。

そもそも相手が混乱していると思って、こっちが焦る

例えば、相続登記の相談を受けていた時のこと。途中でお客様の表情が曇ったのを見て、「伝わっていない」と焦り始めた。そこから説明が早口になり、論理が飛び、「えっと、さっきも言いましたが…」と繰り返す。お客様もきっと「何がなんだか分からないけど、うなずいておくか」という状態。焦れば焦るほど、説明が破綻していく自分に嫌気がさす。

「何度も同じことを言ってるのに」と感じる苛立ち

自分では同じ話をしているつもりなのに、なぜか伝わらない。その繰り返しで、だんだん苛立ちが湧いてくる。もちろん相手に怒ってるわけじゃない。でも「こんなに話してるのに、なんで伝わらないんだ」と自分の無力さに腹が立つのだ。ある日、帰り道に「あれだけ言ったのに、あの人は全然わかってなかったな…」とボヤいた自分に苦笑した。伝わらないのは、相手じゃなくてこっちのせいなのかもしれない。

専門用語の沼にハマると抜けられない

司法書士として業務をこなしていると、専門用語が日常語になってしまう。自分の頭の中では当たり前の言葉が、一般の人にとっては異世界の言語なのだと、改めて自覚することがある。しかし、その沼から抜け出すのは簡単ではない。

法律用語って、一般の人から見ると外国語

「登記原因証明情報」とか「相続人代表者」なんて言葉、我々には日常用語だけど、一般の方にとっては完全に外国語。こちらは丁寧に話しているつもりでも、相手は「???」と心の中で連発している。だから、できるだけ平易な言葉に置き換えようとするんだけど、どうしても言い換えきれない場面も出てくる。すると、かえって説明が長くなって、混乱を招く。堂々巡りだ。

言い換えても、結局また別の専門用語にしてしまう

「これだと難しいですよね」と思って、別の言葉に置き換える。でもその「別の言葉」もまた専門用語だったりする。言い換えたつもりが、言葉を変えただけで難しさは変わらない。以前、「登記簿の名義変更みたいなものです」と言ったら、「じゃあ、車の名義変更と同じ?」と聞かれた。しまった、変な例えをしてしまった、と後悔するも時すでに遅し。

「登記名義人の変更」と言いかけて止まった日の話

ある相談の場面。「名義変更ということになります」と言いかけて、「あ、いや…名義変更というのは…」と自分で言い直し始めた。どんどん深みにハマって、「つまり登記名義人を…いや、そうじゃなくて…」と、自分でも何を言ってるのか分からなくなった。お客様が「大変ですねぇ」と気遣ってくれたのが、かえって刺さった。自分の言葉で自分が混乱している情けなさに、しばらく落ち込んだ。

なぜ司法書士は説明が難しいのか

日々業務に向き合っていると、「なぜこれほどまでに説明が難しいのか」と疑問に思う。専門性の高さだけではなく、「分かっているつもり」や「伝えたい焦り」など、心理的な要因も大きいと感じている。

自分では理解しているつもりの落とし穴

「自分はわかってる」と思い込んで話してしまうと、言葉選びが雑になる。「分かっているつもり」が強ければ強いほど、相手に合わせた言い換えや配慮が抜け落ちていく。説明が空回りするのは、案外この「慢心」が原因だったりする。

分かってるつもりで話すと、意外とズレている

とくに登記手続きの説明で、「これは簡単ですよ」と言いながら説明していたら、事務員から「それ、私でもよく分からなかったです」と言われてショックを受けたことがある。自分の中では整理できていたつもりのことが、他人には難解に聞こえていた。その瞬間、自分の「分かってるつもり」は、ただの独りよがりだったのかもしれないと気づかされた。

相手の理解度に合わせるのが想像以上に難しい

相手がどの程度の知識を持っているかを瞬時に見極めるのは難しい。説明が空振りしたり、逆に簡単すぎて不信感を与えたりする。特に初対面の相手には、探りながら話すストレスがある。

「理解してくれてるだろう」はだいたい幻想

うなずいてる=理解してる、とは限らない。むしろ「理解したふりをしてるだけ」ということが多い。だからこそ、あえて「分からなかったら何でも聞いてくださいね」と言うようにしているが、なかなか本音は引き出せない。自分の説明が本当に伝わっているかを確認するのは、いつも難題だ。

家族の同席があると余計に話がややこしくなる

ご家族が同席する場面では、それぞれに理解度や関心が違うから、説明がブレやすい。「今のどういう意味?」と横から入ると、それに対応してまた別の話をしてしまい、結局軸がズレる。会話が発散しやすく、時間も倍かかる。

自分の説明に自信が持てなくなったときの対処法

「また伝わらなかった…」と落ち込んでしまう日もある。そんなとき、少しだけ気持ちを立て直すために意識していることがある。完璧な説明は無理だと割り切ること、そして形ではなく意図が伝わればいいと開き直ることだ。

まず「伝わらない前提」で話を組み立てる

最初から「一度では伝わらない」と考えて説明すると、気持ちに余裕が生まれる。伝わらなくても怒らないし、落ち込まない。むしろ「どうやったら伝わるか」を一緒に考えていけるから、会話としても良い空気になる。

一回で通じると思わないことが心の安定につながる

司法書士は「正確に伝える」ことにこだわりがちだけど、現実はそんなに単純じゃない。何度も繰り返して、ようやく伝わるものもある。だから最初から「伝わらない前提」でいれば、自分も相手も救われる。

図や紙に書きながら話すという原点回帰

言葉だけでなく、図や図解を書きながら説明すると格段に伝わりやすくなる。時間はかかるけど、それが結果的に一番効率的だったりする。

口だけで伝えるのは限界がある

口頭だけの説明は、どうしても抽象的になりがち。紙に書いて「これがAさんで、こっちがBさんですね」と図にするだけで、相手の理解が進む。特に高齢の方には、図示の効果は絶大だ。

「自分が一番分かってないのかも」と疑ってみる

話している最中に「あれ?これって何だったっけ」と思ったら、自分自身がちゃんと理解できていないのかもしれない。説明を通じて、自分の理解が試されていると痛感する。

言語化できない知識は、説明ではなく独り言になる

なんとなく知っているけど、人に説明できないことは案外多い。それを無理やり話そうとすると、結局は自分の頭の中を整理できないまま話してしまう。聞いてる方はチンプンカンプン、話してる方は不安になる。これは独り言にすぎない。

最後に:説明が下手でも、誠意は伝わる

どれだけ言葉がつたなくても、誠意を持って話せば伝わる部分はある。逆に、どんなに理路整然としていても、気持ちがこもっていないと何も残らない。完璧じゃなくても、一生懸命伝えようとする姿勢が信頼につながる。

「ちゃんと伝えようとしてくれてる」その姿勢が大事

説明はうまくいかないことも多い。でも、「分かってほしい」「困らせたくない」という気持ちがあれば、それはきっと相手に伝わる。そう信じて、今日も不器用な説明を繰り返している。

完璧な説明よりも、寄り添う気持ちを忘れない

うまく説明できない自分を責める日もある。でも、それでも諦めずに話し続けること、それが司法書士の仕事の一部なのだと思っている。寄り添うこと、それこそが私たちにできる一番の説明かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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