「なんであの人ばっかり…」とスマホを見つめた夜に

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「なんであの人ばっかり…」とスマホを見つめた夜に

夜のSNSがもたらす静かな焦燥感

仕事終わりの夜、ひと息つこうとスマホを手に取る。何気なく開いたSNSに、同業者の投稿が目に飛び込んでくる。「本日も2件完了。明日も3件!」そんな一言に、なぜか胸がざわつく。自分も今日も一日頑張ったはずなのに、なぜか「足りない」と思ってしまう。この違和感はどこから来るのだろう。

スクロールする指が止まる瞬間

ほんの軽い気持ちで見始めたはずなのに、気づけば指が止まっていた。「あれ、この人、また表彰されたのか」「こっちは家族で旅行か…」「またメディアに出てる…」静かに、自分の中に黒い感情が広がっていく。尊敬と羨望と、ほんの少しの嫉妬。全部自覚してるのに、感情はコントロールできない。

「あの人ばっかり」が胸を締めつける理由

たぶん、本当は自分でも気づいている。SNSに出るのは「成果」や「楽しそうな瞬間」ばかりで、現実の8割を占める地味で疲れる作業は誰も投稿しない。でも、わかっていても、比べてしまう。自分には届かない光のように見える投稿に、心がざわつく夜がある。

仕事が充実しているように見える投稿

「相続登記完了!無事引き渡し終わりました!」そんな投稿を見ると、自分がいかに遅れているかを突きつけられた気になる。でも現実は、相続人が全員そろわず何度も電話をかけたり、遠方の戸籍を取り寄せては間違いを指摘されたり、地味な作業の連続だ。うまくいかないことの方が圧倒的に多い。

依頼が絶えないように見えるコメント欄

「先生、またお願いしたいです!」「さすがです!」――そんなコメントが並ぶと、自分の事務所にはそんな言葉はないのかと落ち込んでしまう。実際には、感謝の言葉はあっても、SNSにわざわざコメントするような依頼者は少ないだけなのに、自分だけが支持されていないような錯覚に陥る。

見えない数字と見えすぎる成功

SNSには成功と成果があふれているように見える。だが、それはほんの一部の「切り取られた現実」だということを忘れがちだ。私たちは人の表面だけを見て、自分の全体と比べてしまう。そして見えない努力や失敗は、存在しないかのように思い込んでしまう。

SNSに映る「華やかな日常」は本物か

あるとき、SNSでやたらと仕事が舞い込んでいるように見える同業者と電話で話す機会があった。すると、「最近ちょっと忙しぶってるだけで、実際はそんなでもないんですよ」と笑っていた。その時、ようやく気づいた。投稿は“見せたい自分”であり、必ずしも“ありのままの自分”ではないということに。

投稿しない日常の方が圧倒的に多い

朝から夜まで書類に囲まれ、電話と来客に追われる一日。そんな日々こそが司法書士のリアルだ。だが、地味で疲れる日常は、写真映えもしないし、「いいね」もつかない。だから投稿しない。結果、SNSには“良さそうな部分”しか集まらない。

数字に表れない「しんどさ」の存在

毎月の売上や処理件数を見て、一喜一憂してしまう。でも、本当に大事なのはその裏側のしんどさだ。依頼者に寄り添い、何度も話を聞き、時にクレームを受けながらもやり切る。その過程は誰の目にも触れないが、そこにしかない価値がある。

比較が生む“自分への失望”

他人と比べて、自分にダメ出しばかりしてしまう。もっと案件を取るべきだった、もっと宣伝すべきだった…。でも、ふと立ち止まると気づく。そもそも「司法書士としての自分の基準」を持てていただろうか。他人のペースに翻弄され、自分を見失っていなかっただろうか。

やってもやっても終わらない日々

とにかく忙しい。朝から晩まで、相続登記の書類、不動産の決済、会社設立の相談、役所とのやり取り…。事務員さんに手伝ってもらっても、回らない日もある。なのに「成果が見えない」と感じてしまうのは、SNSに感情を振り回されているからなのかもしれない。

自分だけが取り残されているような感覚

「あの人はテレビにも出てるのに、自分は…」そう思ったことは一度や二度じゃない。でも、本当にそうだろうか?地方の小さな事務所で、ひとつひとつ丁寧に仕事をしてきた。それもまた、誰かにとって必要な存在であることには変わりない。

それでも手元の仕事に価値はある

SNSでは見えないけれど、自分が手がけた仕事には確かに意味がある。目立たないが、依頼者の人生に深く関わる仕事だ。それが司法書士という職業だと、何度も思い直す。

「誰かの人生の節目」を支える意味

たとえば、相続放棄の相談に来られたおばあさん。初めての相談に緊張しながらも、帰り際には「相談してよかった」と笑って帰ってくれた。SNSには残らない時間。でも、その笑顔を見た瞬間、やっていてよかったと思えた。

目立たなくても喜ばれている事実

電話で「助かりました、本当に」と言ってもらったとき。わざわざ手紙を送ってくれた依頼者。声にならない感謝が確かにそこにある。華やかな投稿ではないが、そこには確かな意味がある。

直接届いた「ありがとう」の重み

SNSの「いいね」は嬉しい。でも、依頼者から直接届く「ありがとう」は、心の奥まで響く。見せびらかすことはできないが、自分にとっては何よりの報酬だ。

SNSとの付き合い方を見直す夜

落ち込んだ夜に、ふと思う。SNSは便利だけれど、心を疲れさせることもある。だったら、自分なりの距離感を持って付き合っていくしかない。

見ない勇気、見た後の自分との向き合い方

SNSを見るときは、自分が弱っているタイミングかもしれない。そんなときは、あえて見ない選択もありだ。見てしまったときは、「これは切り取られた一部」と言い聞かせる。完璧じゃなくていい、焦らなくていいと、自分に優しくなれるように。

真面目な自分をちゃんと褒めてあげる

誰も見ていなくても、日々真面目に働いている。苦手な営業もこなして、相談に耳を傾け、書類を一枚一枚チェックしている。その努力は、きっと誰かの役に立っている。今日もよく頑張った。そう言ってあげたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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