気づけば沼。「なぜこうなった?」に答えが出ない日々

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気づけば沼。「なぜこうなった?」に答えが出ない日々

気づいたときには深みにハマっていた──

この仕事を始めた頃は、もう少し見通しの良い世界かと思っていた。司法書士という肩書きには、どこかしら“安定”や“信頼される職業”のようなイメージがつきまとう。確かにそういう側面もある。でも実際の現場は、泥臭く、複雑で、なぜか気がつくと“沼”のようなものに足を取られている。何かが決定的に間違っていたわけじゃない。けれど「なんでこうなったんだろう」と夜中に天井を見つめてしまう瞬間は、一度や二度じゃない。

「こんなはずじゃなかった」司法書士の現実

理想と現実のギャップはどこから始まったのか

独立当初は、「自分のペースでやれる」「正確さで勝負すれば信頼は得られる」と思っていた。実際、最初の数年は知人の紹介などもあり、順調に仕事が回っていたように思う。しかし、徐々に事務処理は増え、相談業務が増え、気がつくと“対応の速さ”と“気遣い”ばかりを求められるようになっていた。気持ちに余裕がなくなり、理想の仕事像との乖離は日に日に大きくなっていった。

そもそも何を求めてこの道に進んだのか

思い返してみると、「一人で完結できる仕事」「人の役に立てる仕事」という理由で司法書士を目指していた。でも、いざ事務所を構えてみると、一人で完結なんてまず無理だった。登記に関する資料はどれも他人から提供されるもので、誰かと連携しないと前に進まない。しかも相手が動いてくれないとどうしようもない。それなのに「全部自分がやらなきゃ」という気持ちだけが残る。何を求めていたのか、わからなくなる瞬間がある。

「なぜこうなった?」に答えが出ない日常

業務が膨張していく構造的な原因

不思議なことに、仕事量は年々増えていく。特に相続や不動産関係の手続きは一件一件の中身が濃くなってきているように感じる。以前なら役所で済んだことが、いまは複数の窓口を経由するようになったり、関係者が複雑化していたり。制度が少し変わるだけで、こちらの負担は倍増する。けれど、それに応じた報酬体系にはならない。この構造自体が、「なんでこんなに大変なんだっけ?」の元凶だ。

自分で抱えすぎてしまう癖

仕事のボリュームが増えたのは確かだ。でも、それを“自分でどうにかしよう”としてしまうのは完全に自分の癖だとわかっている。事務員に振れる仕事もあるのに、「説明が面倒」「二度手間になるかも」と思って、つい全部自分で処理してしまう。結果、残業が続き、効率も下がる。悪循環とはこのことだ。

「頼れる人がいない」地方事務所の孤独

都市部に比べて、地方では“代替要員”や“横のつながり”が少ない。相談できる仲間も限られていて、「ちょっとこれ、どう思う?」と軽く聞ける相手がいないことが多い。そうなると、自分の中で悩みがループし続ける。孤独は、判断力を鈍らせる。誰にも気づかれずに疲弊していく。これがいちばん厄介だ。

誰にも見えない“やらなきゃ地獄”の世界

一見、淡々と仕事をこなしているように見えても、実は「やらなきゃいけないこと」が常に見えないところで山積みになっている。しかも、その大半は“誰にも感謝されないけどやらないと怖い”という類のものだ。これがまた、精神的に効いてくる。

急ぎじゃないけど重要な仕事に潰される

登記完了後にやってくる見えないタスク

登記が終わったあとも、本当はやることがたくさんある。関係書類の整理、報告書の送付、請求書の発行。ミスがないか最終確認し、念のためコピーを取り直す。これがまた地味に時間を食う。なのに、依頼者側から見ると「もう終わったこと」でしかないから、こちらの苦労は見えない。こういう仕事に精神をすり減らしている気がする。

終わってからが本番の“確認地獄”

法務局から戻ってきた書類を見て、「あれ、申請内容と一致してる?」と疑問が湧いたときの嫌な感じは、何年やっても慣れない。こちらの記憶と書類、提出した時の感触、全部を総動員して“再確認”する時間は、思ったよりも消耗する。すでに終わったはずの仕事に対して、何度も「本当に大丈夫か?」と問い直す。安心感を得るまでの道のりが長すぎる。

「人を雇えば楽になる」の大きな誤解

教育している間に月日が消える

人を雇えば業務は楽になる──確かに一理ある。でも、最初の教育コストは想像以上に高い。マニュアルを作るだけでは済まず、場面ごとの判断基準を言語化する必要がある。教えているうちに自分がやった方が早い、と思ってしまう。そして、結局また一人で抱える羽目になる。

結局やるのは自分、の無限ループ

「これは私がやります」と言ってくれる事務員がいても、「いや、これはリスクがあるからこっちでやろう」と思ってしまう。信頼の問題というより、責任の所在を明確にしたいから。でもそれが結果的に、自分に全部返ってくる。“任せる勇気”がなければ、何人雇っても状況は変わらない。

“出口の見えない沼”から抜け出すヒント

こうして書いてみると、本当に救いのない話に見えるかもしれない。でも、最近少しずつ「これは変えられるかも」と思うことも増えてきた。完璧な正解はないけれど、小さな転換は可能だと信じている。

まずは「今の自分の状態」を認識する

やる気ではなく、疲労度を見よ

「やる気が出ない」と感じたとき、自分を責めるのはもうやめた。だいたいその正体は“疲労”であって、やる気の問題じゃない。頭では理解していても、体が動かない。そういう時は、無理せず休む。何もしない時間を作る勇気を持つだけで、少しずつ視界がクリアになることもある。

割り切りと思い切り、そして少しのあきらめ

「全部やらなきゃ」はただの幻想

何でも完璧にやろうとすると、どこかで破綻する。「ここまではやるけど、ここから先はやらない」と線を引くこと。それは手を抜くことではなく、自分の限界を知ったうえでの戦略だ。完璧さを求めて泥沼に沈むよりも、ほどよく割り切ることで前に進めることもある。

失う覚悟が、新しい余裕を生む

全部を守ろうとすると、結局何も守れなくなる。多少の依頼は断ってもいい。評価が落ちることもあるかもしれない。でも、それでもやっていけることは多い。何かを失う覚悟を持ったとき、不思議と別の道が見える気がする。それが“沼”から少しだけ足を抜くための、第一歩になるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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