「先生、長生きしてね」に赤面した日――不意打ちの一言がくれた力

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「先生、長生きしてね」に赤面した日――不意打ちの一言がくれた力

「先生、長生きしてね」と言われて

その日も朝からバタバタしていた。役所を回って戻ると、事務所には70代後半のお客様が待っていた。相続の書類を渡し終えたとき、その方がふっと笑ってこう言ったのだ。「先生、長生きしてね」。その一言に、不意を突かれてしまった。こんな言葉をかけられる仕事だったのか、としばし茫然とした。

その瞬間、何が起きたのか

普段、こちらは事務的に説明し、冷静に手続きを進めることが多い。どこか「感情」を挟む隙間がない仕事だと思っていた。それが突然の「長生きしてね」という言葉で、心の防御が崩れてしまった。優しさとか、感謝とか、そういうものが一気に押し寄せて、ただただ照れてしまった。

照れと戸惑いの裏にあった感情

今思えば、あの言葉は「お疲れさま」の裏返しだったのかもしれない。目の下のクマや、ため息まじりの対応から、何かを察したのだろう。照れたというより、自分の弱さが他人に伝わってしまったことへの気まずさがあった。それでも、温かかった。誰かの目に、まだ人間らしい自分が映っているという感覚が。

なぜか胸に残ったたった一言

それ以降、ふとしたときにあの言葉を思い出すようになった。忙しさに追われ、パソコンと書類に埋もれているときでも、なぜか「長生きしてね」が頭に浮かぶ。これはたぶん、報酬でも評価でも得られない、心のどこかに沁みるやつなのだ。

普段の仕事では得られない種類の言葉

司法書士の仕事は、感謝されるよりも「ちゃんとやって当然」と思われがちだ。無事に登記が終わっても、拍手が起こるわけではない。でも、あの一言には、それらすべてを飛び越える力があった。書類の向こうに“人”がいる。それを思い出させてくれる言葉だった。

励ましなのか、労りなのか、それとも皮肉?

正直、最初は「年寄り扱いされたか?」と、少しモヤモヤもした。でも、あの目の優しさ、声の柔らかさを思い返すと、皮肉とは思えない。むしろ、心から「無理しないでね」と言いたかったのだろう。自分でも気づかぬうちに、疲れや老いをにじませていたのかもしれない。

地方の司法書士という職業の現実

都会のように分業も効率化も進んでいない。雑務も、電話も、来客対応も、ぜんぶ自分でやるしかない。事務員は一人いるが、限界がある。毎日が、まるで風呂にも入らず走り続けるマラソンみたいなものだ。

依頼者の数は減っていない、でも効率は落ちている

相談は尽きない。でも一件一件が昔よりも複雑で、説明も根気がいる。電子申請も一筋縄ではいかない。技術が進んでも、現場の負担はむしろ増えている。お客様は「ラクになりましたね」と言うけれど、それはむしろ逆で……こちらは消耗する一方だ。

事務員一人分では回らない、それでも雇えない

もっと人を雇いたい、でも給料を出す余裕がない。かといって、仕事は溜まる。結局、自分で深夜まで作業することになる。悪循環だとわかっていても、どうにもならない。愚痴っぽく聞こえるかもしれないけれど、これが現実だ。

「人に頼む暇があったら自分でやる」地獄ループ

マニュアルを書く暇があれば、自分で処理した方が早い。そう思っていたら、どんどん自分だけが忙しくなる。仕事は「抱え込み癖」と戦うことだと、最近つくづく思う。頼るのが下手な司法書士、きっと多いんじゃないか。

ミスのリスクと気づかぬ疲労の蓄積

一人で多くを抱えるということは、それだけミスのリスクも高まる。眠い目をこすって印鑑を確認していたら、名前を見間違えていた――そんな経験、あるあるじゃないか。自分は大丈夫と思っていたが、最近はそれも怪しい。

「長生きして」と言われて気づいたこと

「長生きしてね」という言葉の裏には、「無理しないでね」「辞めないでね」という祈りのような願いがこもっていたのかもしれない。つまり、自分という存在が、誰かにとって少しは意味を持っていたのだ。これは疲れた心にしみた。

自分が想像以上に限界に近かったという事実

あのときの一言がなければ、自分の疲れに気づかず走り続けていたと思う。心も身体も、どこか限界に近づいていた。でも、司法書士は休みにくい。「この案件だけ」「この週だけ」――そうやって、いつの間にか心が削れていく。

やりがいと身体のバランスをどう取るか

正直に言えば、まだ答えは出ていない。ただ、あの言葉を聞いてから、自分の身体と少しだけ向き合うようになった。たまには仕事を断る。昼に少し歩く。コーヒーをゆっくり飲む。それだけで、少しずつ気持ちが変わってきた。

司法書士として、どう生き延びるか

完璧じゃなくていい。早くなくてもいい。生き延びることこそが、この仕事を続ける上で一番大事なんだと今は思っている。そして、それは自分のためだけじゃなく、きっと誰かのためでもある。

理想論ではなく、現実的な「息抜き」戦略

「趣味を持ちましょう」とか「温泉に行きましょう」とか、よく言われる。でも、それは現実的じゃない。むしろ、日常の中に小さな息抜きを入れることが大事だ。5分だけスマホゲームをする。お菓子を隠れて食べる。そんなことでも、十分効果がある。

たまに断る勇気を持つ

断るのは怖い。でも、無理をして倒れたら、結局すべての案件に迷惑がかかる。だから、「今週は無理です」と言う勇気を持つようにしている。それで怒る人とは、あまり関わらない方がいいのかもしれない。

感情を吐き出す「愚痴日記」のススメ

最近、自分用のノートに毎日「今日の愚痴」を書いている。誰にも見せない。文句ばかりだ。でも、それが意外と効く。「自分、疲れてるな」「今日は頑張ったな」と、自己認識にもなる。おすすめです。

これから司法書士を目指す人へ

「資格さえ取れば安泰」と思っていた時期もあった。でも、この仕事は「人」を扱う以上、正確さだけでは済まない。精神力、体力、そしてちょっとした図太さも必要になる。

仕事の重さと人との距離感

法律を扱うという責任感と、相談者との距離感。そのバランスはとても難しい。近づきすぎるとしんどいし、離れすぎると冷たいと言われる。正解はない。でも、自分なりの「ちょうどいい距離」を探すのが、続けるコツなのかもしれない。

「ありがとう」が力になる日がある

報酬よりも、制度よりも、何よりも原動力になるのは「ありがとう」の一言だったりする。もしも「やっててよかった」と思う瞬間があるとすれば、きっとそれは、そんな何気ない言葉に出会えたときだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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