「他の先生にも相談してみますね」と言われてから連絡がない──そんな時、心がざわつく理由

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「他の先生にも相談してみますね」と言われてから連絡がない──そんな時、心がざわつく理由

「他の先生にも相談してみますね」──その一言の後に残るモヤモヤ

司法書士をしていると、相談を受けたあとに「他の先生にも相談してみますね」と言われることが何度かあります。その言葉自体は別におかしなものじゃないし、依頼者側にとっては当然の選択かもしれません。でも、そのまま連絡が来ないことも少なくなくて──なんというか、こちらだけが置いてけぼりを食らったような、妙なモヤモヤが残ります。忙しい中、真剣に話を聞いて、時間を割いたことが無駄だったように感じてしまうんです。

返事が来ると思っていたのに、来ない

「一旦持ち帰って、検討して連絡しますね」とか「ちょっと他の先生にも相談してみます」と言われたとき、私は基本的に「待ち」の姿勢を取ります。急かしても逆効果だと思っていますし、相手にも考える時間が必要だろうと。でも、数日、数週間経っても何の音沙汰もないままだと、「ああ、断られたんだな」とようやく察するわけです。でもね、やっぱり何も言ってもらえないって、地味にきついんですよ。

音信不通パターンの典型例

こういうケース、実際はとても多いです。初回相談では丁寧に話してくれて、メモまで取って帰る方もいます。それで「すぐお願いしたいわけではないんですけど…」と前置きされたうえで、「他の先生にも一度相談してみてから」と言われる。そして、そのまま消える。こっちとしては、「あの案件どうなったのかな」と時々思い出すんですが、連絡が来ることはまずありません。

待っている間の変な期待と諦めの間

特に困るのが、手応えがありそうだった場合。こっちも「あ、これはきっとうちに依頼してくれるな」と思ってしまった時ほど、連絡が来なかったときの落差が大きいんです。期待しなければいいんでしょうが、人間ですから。自分の対応が悪かったんじゃないか、説明がわかりづらかったかもと、自分の中で反省会が始まってしまいます。

なぜあの言葉がこんなにも引っかかるのか

たった一言、「他の先生にも相談してみますね」。これだけの言葉が、こんなに引っかかる理由は何なんでしょうか。直接的に断られたわけでもない、かといって「お願いします」と言われたわけでもない。中途半端なその表現が、こちらの感情を宙ぶらりんにしてしまうのです。

「断り」のようで「保留」にも聞こえる曖昧さ

この言葉の厄介なところは、断っているようで断っていないという点です。希望を残す言い回しとも言えますし、やんわりと逃げるための表現とも言えます。私たち司法書士は、基本的に「やるのか、やらないのか」をはっきりさせる仕事をしているので、こういう曖昧な返事には弱いのかもしれません。相手に悪気はなくても、その曖昧さが、逆にいろんな想像を膨らませてしまうんです。

自分に何か足りなかったのかと考えてしまう

「うちじゃダメだったのかな」とか「他の先生のほうが安心できそうだったのかな」とか、いろんなことを考えてしまいます。これがまた自己評価を下げてしまうんですよね。相手には相手の事情があると頭では理解していても、心はそう簡単に割り切れない。依頼を受けられなかったという結果以上に、「何も言ってもらえなかった」という事実がダメージを残します。

実はよくあること──とはいえ慣れない

こういった音信不通のケース、士業をやっていればある程度は「織り込み済み」なんです。なのに、毎回のように小さなショックを受けている自分がいます。慣れるべきなのか、慣れない自分を認めるべきなのか、そのあたりも考えどころなんですよね。

仕事として割り切れない人情と矛盾

本当は、こういうのも仕事として割り切れれば楽なんでしょう。「次いきましょう」って気持ちを切り替えられればいい。でも私は、つい感情を入れてしまうタイプで、「せっかく縁があったのに」とか「うちに来てくれたのに」と思ってしまう。そこに、ちょっとした寂しさや、残念さがにじんでしまうんです。

地方だからこそ余計に気になる“評判”

地方で仕事をしていると、変なうわさや評判が気になります。「あの先生、相談してもいまいちだった」とか、どこかで言われてないかと不安になることも。都市部と違って人のつながりが濃い分、ちょっとしたことが変な形で伝わってしまうこともあるので、なおさら音信不通のケースが気になるんですよね。

なぜ連絡をくれないのか?相手の心理を想像してみる

返事が来ないとき、ついこちら側に原因があると思ってしまいますが、実際はそうとは限りません。相手にもいろいろな事情があるのだと理解しようとすると、少しだけ気持ちが落ち着くこともあります。とはいえ、それでも寂しさは残るものですが…。

単に忙しいだけかもしれない

もしかしたら相手は、ただ単に忙しいだけだったのかもしれません。相談に来たときには切実に見えても、日常に戻ると手続きのことを後回しにする人もいます。優先順位の中で埋もれてしまった可能性もある。そんなとき、「急かさなくてよかったのか?」「いや、催促したら嫌われていたかも」と、自問自答ばかりしてしまいます。

もしくは他の誰かにすでに頼んだのかも

正直、他の先生に頼んだのならそれはそれで構わないんです。でも「頼んだので今回は見送ります」と一言もらえたら、こちらとしてもスッキリします。黙って去られると、「なんでだろう」としばらく引きずってしまうんですよね。誰にでも相性はあるし、仕方のないことだと分かってはいるんですが。

それでも何も言ってくれないのは、やっぱり寂しい

最後まで何の音沙汰もなく終わるのは、やっぱり寂しいものです。人としての関係が何も築けなかったような、そんな虚しさがあります。士業って、人と人との信頼で成り立つ仕事だと思っているからこそ、こうした形で終わってしまうと、なんとも言えない切なさが残るんです。

対処法はあるのか?それとも受け流すべきか

こういう音信不通の件にどう対処すべきか、いつも悩みます。連絡がないことに対してこちらからアクションを起こすべきなのか、それとも何もせず静かに忘れるべきなのか。どちらも正解ではない気がして、いまだに正解は見つかっていません。

こちらから催促すべきかの葛藤

「その後いかがでしょうか?」という連絡を入れたくなることもあります。でも、あまりにしつこく感じられるのも嫌ですし、営業的に見られるのも気が引けます。こちらが誠意を持って対応していたからこそ、そのバランスが難しいんです。結局、気になりながらも連絡できずに終わることがほとんどです。

自分なりの「区切り」を設けるという考え方

最近は、「2週間以上連絡がなければ縁がなかったと判断する」といった、自分なりのルールを作って気持ちに区切りをつけるようにしています。そうしないと、いつまでも引きずってしまって次の仕事にも悪影響が出てしまうからです。切り替えは下手な方ですが、自分を守るための術として取り入れています。

司法書士を目指す人に伝えたいこと

これから司法書士を目指す方には、こういう「地味な心の揺れ」もあるよということを伝えておきたいです。法律の知識や実務スキルとは別に、感情のコントロールや気持ちの整理のスキルも求められる仕事です。

こういうの、けっこうあるよ

開業して間もないころは、「他の先生にも相談してみますね」と言われるたびに、落ち込んでいました。でも今では、「また来たか」と思えるようになってきました。慣れたというよりは、「そういうものだ」と受け入れるようになった感じですね。けっこう頻繁にあるので、最初から気にしすぎない方がいいです。

でもその一件で自分を否定しないでほしい

依頼につながらなかったからといって、自分の能力を全否定する必要はまったくありません。相性だったり、タイミングだったり、相手の事情だったり、いろんな要素が絡んでいます。だから、自分を責めすぎないでほしい。私もまだまだ引きずるタイプですが、それでも前には進めます。

最後に──気にしないように、できたらどんなに楽か

「気にしないでおこう」と何度思ったことか。でも、気になるものは気になる。割り切れたらどんなに楽だろうと思います。だけど、気になるということは、それだけ真剣に向き合っているということでもある。そう思うと、愚痴の一つや二つくらい、言わせてくださいって話です。

でも気になる自分も、しょうがないと思ってる

完璧にはなれないし、強がっても心は揺れます。それでも、ちゃんと向き合ってる自分を否定しないで、今日もまた相談者と向き合っていきたいと思います。「他の先生にも相談してみますね」──そんな言葉に、これからも一喜一憂していくんだろうなと思いながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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