また心配しすぎた…その瞬間、自分が嫌いになる夜

また心配しすぎた…その瞬間、自分が嫌いになる夜

また心配しすぎた…その瞬間、自分が嫌いになる夜

「あの書類、本当に間違ってなかっただろうか」——そう思い出したのは、布団に入って30分ほど経った頃だった。確認は何度もしたし、チェックリストも使った。それなのに、心のどこかにずっと残る「不安のかけら」がある。司法書士という職業柄、ミスは許されないのはわかっている。それでも「もういいだろう」と思っている自分と、「いや、もう一度だけ確認しよう」と思ってしまう自分が戦っている。その繰り返しに、ふと我に返ると「なんでこんなに心配性なんだ」と、自分自身が嫌になる。

仕事がひと段落したはずなのに、不安が押し寄せてくる

「今日の仕事はこれで終わり!」と事務所の電気を消して玄関を出た瞬間、頭にポンと浮かぶ「そういえば…」のひと言。それが始まり。車に乗ってからも、夕飯を食べながらも、ずっとその小さな不安が尾を引く。チェックはした。事務員にもダブルチェックしてもらった。理屈では問題ないとわかっているのに、感情はなかなか納得してくれない。安心感が来るのは、結局登記が完了して、通知が届いた後だったりする。だからこそ、毎日が終わらないような感覚に襲われる。

「もし間違ってたらどうしよう」がいつまでも消えない

たとえば、建物表題登記の添付資料。漏れがないよう何度も見返しているのに、寝る直前になって「その原本、返却希望だったかも…」と気になって起き上がることがある。すでに郵送してしまったのに、相手に確認の電話をかけてしまいそうになる。しかも、こんなことで起こしてしまっていいのかと悩む。結局、電話はしないが、眠れない。そういう夜が続くと、自分の性格に本気で嫌気が差してくる。

自分だけがこんなに気にしすぎてるんじゃないかと落ち込む

他の司法書士の先生方のSNSやブログを見ると、「これで良し」と堂々と仕事を終えているように見える。ミスを恐れない姿勢、切り替えの早さ、それらが羨ましい。そして、そんな自分との差に落ち込む。慎重であることは長所だとわかっている。でも、それが行き過ぎると、ただの「考えすぎ」で自分を消耗させる原因になる。そうしてまた、自己否定のスパイラルに陥る。

納期前夜、寝ようとしても眠れない司法書士の本音

納期の前日、ようやく寝ようとする。でも、心のどこかが「待てよ」とつぶやく。「あれ、申請書の添付ファイルって圧縮したっけ?」「提出先のファイル名、仕様に沿ってたっけ?」。そうやって、いちいち立ち上がってパソコンを開く羽目になる。ちゃんとやってある。けれど、自分が自分を信用できないのがつらい。司法書士って、どれだけ自信がないといけない職業なんだと思ってしまう。

ミスは許されない、でも人間だから怖い

司法書士の世界では、たった1つのミスが命取りになることがある。補正ならまだしも、補正もできず却下されたらどうなるか。依頼者からの信用は法務局との関係にも響く。だからこそ「間違えられない」と身構える。その気持ちがどんどん膨らんで、自分を追い詰める。まるで綱渡りの上を歩いているような感覚だ。少しの揺れでも転げ落ちるかもしれないという不安が、常に付きまとう。

「これで本当に合ってるか」—確認が止まらない日々

日中、事務所にいる間も「最終確認」と称して、同じ書類を3回も4回も見直す。それでもなお、不安が残る。「他の仕事もあるのに…」と焦りが出る。事務員にも「大丈夫ですよ」と言われるが、それでも心配になる。やりすぎかもしれないとわかっている。でも、それを止める手段がわからない。心配性という病気があるなら、自分は完全にそれに罹っていると思う。

頑張っているのに「報われていない感」に苛まれる夜

毎日、不安と戦いながら丁寧に仕事をしているつもりだ。でも、周囲から評価されている実感はあまりない。褒められることは少ないし、感謝も控えめ。依頼人からの感謝の言葉よりも、些細なクレームのほうが頭に残る。それなのに、必死に仕事を続けている自分。なんだか報われないような気がして、やるせない夜が増えていく。ため息ばかりが増えていく。

自分ばかり損してる気がしてしまう瞬間

最近ふと思った。「なんでこんなに神経使ってまでやってるんだろう」。周囲の人はもっと気楽にやっているように見える。それでも何事もなく、仕事が回っているように見える。それに比べて、自分は必要以上に慎重で、結果、効率も悪い。結局、頑張っても得をしている実感がない。そういう思いが募ると、「やってられないな」と思うこともある。

愚痴を言ってしまう自分もまた嫌になる

仕事終わりに事務員と少し話す時間がある。でも、その時間さえも、つい愚痴になってしまう。「また心配して眠れなかった」「依頼者の反応が薄かった」。本当は感謝してるし、仕事があるだけでありがたいとわかってる。でも、弱音が口から出てくる。それを聞かせてしまう自分も嫌になる。愚痴は弱さの証だと思ってるのに、止められないのがまた情けない。

心配性な自分とうまく付き合っていくために

たぶん、この心配性は一生治らない。でも、逆に言えば、それが自分を支えてきた部分でもある。たとえしんどくても、不安があるからこそ慎重になれる。不安があるからこそ、事務員にも「ダブルチェック」をお願いできる。不安があるからこそ、ミスを最小限に抑えられている。だから最近は、「心配性な自分」にダメ出しするのではなく、「ありがとう」と思うようにしている。

不安を「動く力」に変える視点

不安という感情は、本来は危機回避のための重要な機能。それを否定せず、「動くためのエネルギー」にしていけば、少しは生きやすくなる気がする。例えば、「気になるから確認しよう」と素直に行動に移せば、そこで安心できることもある。問題は、不安を押さえつけて放置すること。だったら、不安を認めて、そこから一歩動いてみる。そんな自分を肯定していくことで、少しずつ自分との付き合い方が変わってきた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。