最善の判断が裏目に出ることなんて、珍しくもない
司法書士として、日々慎重に判断し、誠実に業務をこなしているつもりです。でも、それが結果として裏目に出ることもある。もちろん「正しいことをした」と信じてやったことが、依頼者の不満を呼んだり、法務局から補正を食らったり、しまいには自分の首を絞める形になったり。正直、「じゃあどうすりゃよかったの?」と自問自答する夜は一度や二度ではありません。
「正しい判断だったはず」が崩れる瞬間
自信を持って進めた案件が、思わぬ形でつまずくと、心が折れます。理屈も根拠も整っていたのに、なぜこうなったのか。あとから思えば「もう一歩踏み込んで確認すべきだった」なんて反省が浮かぶのですが、そんなことを毎回やっていたら時間が足りません。
登記申請、完璧にやったつもりが補正通知
あるとき、相続登記で戸籍一式を集め、必要な書類も抜けなく揃えた案件がありました。提出後、「これは完璧」と思っていたのに、法務局から補正の電話。「非嫡出子の記載が戸籍にあるので確認を」…いや、それも見てますし、関係ありませんよ?と叫びたくなりました。結局、また依頼者に連絡し、再確認し、微妙な表現の文書を付け直し。誤りではないのに、判断が甘かったと言われる感じが、心にくるんです。
お客さんに合わせた柔軟対応が逆にトラブルに
高齢の依頼者に合わせて、わかりやすいよう説明文を添えて書類を作ったら、「こんな説明は要らなかった、他の相続人に言い訳がましく見える」と怒られました。相手を思いやったつもりの行動が、逆に火種になるなんて。どうしても「誰かのため」が「誰かの地雷」になるんですよね。
法的には正しい。でも現場では…
司法書士の仕事は法的根拠に基づく判断が求められます。でも、それが現場の「空気」とか「関係性」と噛み合わないことがよくある。結果的に、正しいはずの判断が「空気読めない対応」だと取られてしまう。本当に、法律と人の感情って相性が悪い。
理屈通りに進めると、相手の心情が爆発する
遺産分割協議で、長男が亡くなった父の面倒を見ていたケースがありました。法的には兄弟全員の同意が必要で、私は淡々とその旨を伝えただけですが、長男が「ふざけるな!全部オレがやったんだぞ!」と激昂。こちらはマニュアル通り、冷静に説明したつもりでしたが、それが火に油だったようで…心がざらっとしました。
書類の整合性と「現実の事情」のすれ違い
実家の名義変更に来た依頼者。「親は認知症だったけど、自分が面倒見てたから勝手に進めて」と言われましたが、当然本人確認と意思確認は必須。事情はわかる、でも制度上それは無理。こちらの正論が、依頼者には冷たく聞こえる。ここで「そうですね」と言えたらどれほど楽かと思いました。
どこまでが自分の責任か、わからなくなる
依頼者からの質問に「こちらで判断してください」と任されることが多く、そのたびに重圧を感じます。間違えたら全部こちらのせい。でも、どこまでが自分の責任で、どこからが依頼者の判断か、その境目は本当に曖昧です。
「こちらで判断してください」と言われるプレッシャー
「先生に任せますから」と言われると、信用されていると同時に、何か起きたときの責任も一手に引き受ける覚悟を求められている気がします。しかもその判断は、誰も褒めてくれないどころか、結果が悪ければ恨まれる。しんどい仕事です。
依頼者の不安と自分の不安、どっちが正解?
依頼者は「失敗したらどうしよう」と不安で、私は「説明が足りなかったらどうしよう」と不安。二人の不安がぶつかると、説明の正確さと気遣いのバランスが難しいんですよ。説明が長くなると「専門用語が多くてよくわからない」と言われ、簡単に伝えれば「本当に大丈夫なの?」と疑われる。
責任の所在が曖昧になる日々
「この判断は間違ってないはず」と信じて行ったことでも、依頼者が納得していなかったり、あとから家族に文句を言われたりすると、「自分が悪かったのか?」と引きずります。契約書にはちゃんと説明した旨を残していても、現実は感情のぶつかり合いです。
正直、もう一人じゃ抱えきれない
事務所は小さく、私と事務員の二人だけ。日々の業務量も精神的な重圧も、もうパンパンです。愚痴っぽく聞こえるけど、正直な本音です。「忙しいのはありがたい」と思いながら、倒れそうになるのはどうしたらいいんでしょうか。
事務員のサポートにも限界がある
優秀な事務員がいるとはいえ、法的判断や責任を背負うのは結局私一人。時々、彼女に愚痴っても「先生の仕事ですから」と言われてしまう。もちろんその通りだけど、「少しだけでも共感して…」という気持ちが満たされない日もあります。
相談できる同業者がいない孤独感
地方で司法書士をしていると、横のつながりが極端に少ない。雑談できる仲間もいなければ、「これってどう思う?」と相談できる人もいない。間違ってもネットの掲示板では聞けないし…。結局、一人で抱えるしかないんですよね。
裏目の経験から見えてきたこと
ミスをしないように慎重に仕事をしても、すべてが上手くいくとは限らない。でも、そんな経験を通して、少しずつ「どう伝えるか」「どう受け止められるか」を学んできました。裏目に出た経験も、無駄ではなかった…と自分に言い聞かせて。
「正しさ」より「伝え方」が問われる世界
法的に正しい判断でも、依頼者にとっては「よくわからない判断」では意味がない。その橋渡しをするのが司法書士の仕事。とはいえ、伝え方ひとつで信頼を失うこともあるので、今は「話し方」「空気の読み方」ばかりを気にして仕事してます。
理論武装では人は動かない
六法全書を丸ごと頭に叩き込んでも、人の感情は動かせません。納得してもらうには、言葉を尽くすしかない。「これはこういう理由で…」と説明しながら、「でも、こう思いますよね?」と相手の気持ちにも寄り添う必要がある。そのバランスが毎回難しい。
ちょっとした声かけが結果を左右する
「ややこしいですよね」「面倒ですよね」と一言添えるだけで、依頼者の表情が変わることがあります。その一言が、「この人は味方だ」と思ってもらえるきっかけになるんです。法的な処理と人間関係の調整、どちらも大事なんだと痛感します。
だからといって、手を抜ける仕事ではない
毎回裏目に出るわけではないし、裏目に出たからといって、次に手を抜くわけにもいかない。この仕事の性質上、何があっても誠実にやるしかないのは分かってる。だから今日もまた、資料を確認し、慎重に書類を作るしかないのです。
裏目に出たからこそ、見直せたこともある
「あのときは最善と思ったけど、今ならこうする」と振り返る機会が増えました。失敗ではなく、「現場から学んだ知恵」として、次の案件に活かすしかありません。そう考えると、裏目もまた勉強の一環です。
それでも「またやるしかない」の繰り返し
どれだけ失敗しても、どれだけ疲れても、次の依頼はやってくる。やるしかない。少し愚痴をこぼしながら、それでもまたデスクに向かっている自分がいます。誰かの役に立つその日まで、まあ、続けていくしかないんでしょうね。