見慣れたはずの書類に違和感があった
法定相続情報一覧図——司法書士として何度も目を通してきた書類だ。形式は決まっているし、慣れてくれば「はいはい」と確認できるようになる。でもその日、何かが違った。書類を開いた瞬間、ある名前の“名字”だけが、どうにも引っかかったのだ。なんというか、見慣れた感じがまったくしなかった。たまたま似た案件が続いていて注意力が落ちていたのかもしれないが、「あれ?」と心が止まる瞬間は、不意にやってくる。
法定相続情報一覧図に目を通した瞬間の違和感
事務所でいつものように依頼者から送られてきた法定相続情報一覧図を確認していた。家族構成も依頼者の申告内容と一致している、そう思った矢先だった。ふと目に入った名字が、依頼者のものと明らかに違っていた。「あれ?苗字、変わってる?」独身である私が言うのもなんだが、名字ってそう簡単には変わらないものだ。確認ミスか、印刷ミスか、それとも……その時はまだ、深く考えず、違和感だけを心にしまった。
名字が違う?見間違いかと思った
最初は本当に自分の見間違いだと思った。依頼者の名前を記載した申立書にも、委任状にも、電話応対メモにも同じ名字が書かれているのに、一覧図だけが違う。それも一文字違いとかではなく、まったくの別人名義のような名字。まるで、全然関係ない人が突然家族に紛れ込んだような錯覚を覚えた。名前って不思議なもので、たったそれだけで全体の信用性がぐらつくのだ。おかげで頭の中は「これどう説明しよう…」でいっぱいになった。
一字違いでも見逃せない現場のリアル
現場の仕事は、「まぁいっか」が通用しない。特に名字の表記ミスは、そのまま法務局に提出すれば即アウトだ。私のような小さな事務所では、確認作業も自分でやるから、なおさら緊張感が走る。以前、一字だけ間違ったまま登記を出してしまい、法務局から電話がかかってきたときの冷や汗は、今も忘れられない。今回のように“完全に別の名字”だと、もう次元が違う。これはミスじゃなくて、なにか大きな事情がある。そんな予感がした。
なぜ名字が違っていたのか
理由を探ることにした。依頼者に電話をかけて、「念のため確認させてください」と切り出す。こういうときは、こちらがミスをしたように見せて聞くのがコツだ。正直、こっちはちっとも悪くないのだけど、余計な摩擦は避けたい。電話口の依頼者は、意外にもあっさりと事情を話してくれた。そしてその内容は、こちらの想像を超える“家族のドラマ”だった。
事情を聞いてわかった複雑な家族関係
依頼者いわく、実は兄弟の一人が「婿養子」として別の姓になっているとのこと。なるほど、それでか、と納得したような、でも腑に落ちないような。問題は、依頼者がその兄弟の名字を“元の姓”で書類に書いていたことだった。つまり、依頼者の認識と、戸籍上の現実とがズレていたわけだ。こういうこと、意外と多い。家族だからこそ、正式な名前なんて気にしていないのだ。
養子縁組と戸籍の落とし穴
婿養子、養子縁組、再婚、再縁……戸籍が絡むと本当に複雑になる。戸籍をたどればその人の“正しい名前”が見えてくるのだけど、依頼者が知っているのは日常の名前。お互いが違う情報を持っていることに気づかないまま話が進むと、今回のように一覧図で「誰?」となってしまうのだ。法的には正しいが、感情的には「違う名前」に見えてしまう。これがまたややこしい。
通称と戸籍上の名前のズレ
さらに話を聞くと、兄弟は長年旧姓を通称で使っていたらしい。職場でも近所でも、通称で通していたため、依頼者自身も「そっちが本名」だと思っていたとのこと。司法書士としては「戸籍がすべて」と割り切れるけれど、人としては「そんなこともあるよね」と思ってしまう。特に地方では、通称文化が根強い。名刺だって“通称”で作ってる人、珍しくない。これ、実務をする側には地味に怖いポイントだ。
依頼者との信頼関係にも影響が出る
今回は依頼者が素直に説明してくれたから良かったけど、少しでも相手が不信感を持てば、「なんでそんなこと聞くの?」「そっちが間違ってるんじゃないの?」という展開もあり得た。実際、そういうケースも過去にはあった。言い方を間違えれば、こちらが責められることになる。それがこの仕事の難しさでもある。
疑問の矛先はこっちに向かう
名前が違うことに気づくのは大抵こちら側で、依頼者は自覚していないことが多い。でも、こちらがその事実を伝えると、なぜか「あなたが間違っているのでは?」という反応が返ってくる。それが続くと、精神的にこたえる。こっちはプロだから正確にやらなきゃいけない。でも相手は感情で返してくる。ズレてるのに、正さないといけない。元野球部の根性では乗り切れない疲れがある。
説明する側も動揺する瞬間
電話で「名字が違いますね」と言うときのあの緊張感。相手の反応を想像しながら、言葉を選び、間違ってないことを穏やかに伝えなきゃいけない。でも心の中では「なんでこっちが気を遣うんだ…」とモヤモヤしている。そんな日々が続くと、「もういっそ機械に説明してもらいたい」と思うこともある。でも、そうもいかないのが現実。どこかで“人間関係”が入るからこそ、簡単には片付かない。
司法書士って何でも知ってるんでしょ的な誤解
この業界あるあるだと思うけど、司法書士に対して「何でも知ってる、何でもできる」みたいな期待を持たれることがある。いやいや、こっちだって人間ですから……。知らないこともあるし、確認が必要な場面だってある。でもそんなこと言えば「え?プロなのに?」って顔をされる。だから余計に「間違えちゃいけない」ってプレッシャーがすごい。こんなんでモテるわけないよなと思う。
忙しい日々の中で気づいたこと
こうしてまたひとつ“普通じゃない家族関係”を経験として積み上げた。毎回何かしら想定外があって、毎回疲れる。でも、少しずつ慣れてくる。慣れたくもないけど。結局、こういうことに対処していくのが、この仕事なんだと思う。誰も「ありがとう」なんて言ってくれないけど、それでもやるしかないのが独立してしまった人間の宿命だ。
書類ミスではなかったけど精神的には結構堪える
今回の件は書類上はミスじゃない。でも精神的には、「やられた」って感じだった。確認作業、説明、納得してもらうためのやりとり、全部ひとりで背負うのはやっぱりきつい。事務員さんにも共有はしたけど、「そうなんですね〜」で終わる。わかってる、期待しすぎちゃいけない。だけど愚痴のひとつも聞いてほしい気持ちがあるのは、きっと年のせいだ。
疲れてるときに限ってこういうの来るんだよな
本当にそう。休み明けとか、月末で忙しいときに限って、こういう案件が舞い込む。タイミングってなんでこんなに悪いんだろう。神様のいたずらかと思う。でもこれが続くと、「自分がそういう星の下にいるのかもしれない」と思い始める。ちなみに占いでは「波乱の運命」って出た。笑えない。
コーヒー片手に深呼吸して乗り切った午後
とりあえず深呼吸して、いつもの缶コーヒーを片手にパソコンの前に戻る。「はい、もう一件」と自分に言い聞かせながら、またひとつ登記の確認作業を始める。たぶん誰にも褒められないし、記憶にも残らない仕事。でも、誰かの“当たり前の生活”を支えてるんだって、少しだけ思えた午後だった。