「また連絡するね」の言葉に感じた違和感
「また連絡するね」って、やけに便利な言葉ですよね。こちらとしては、少しの希望を持ってしまうんです。でも大抵、その“また”は来ない。司法書士の仕事でも、私生活でも、何度もこの言葉に振り回されてきました。いっそ「もう連絡しないよ」って言ってくれたほうが、諦めがつくのに。そんな風に思うのは、私が歳を取ったからでしょうか。45歳、地方で小さな司法書士事務所を営んでいます。独身で、仕事に追われる毎日。正直、愚痴のひとつもこぼしたくなります。
言葉の裏にある本音
言葉って不思議です。「また連絡するね」は、本当は「もう会う気はないよ」と同義語。でも、なぜか多くの人が使います。角を立てたくない、断りづらい、気まずい……。その場しのぎの優しさが、残酷な結果を生むこともあるんですよね。
社交辞令としての「また連絡するね」
学生時代の友人と久しぶりに再会した時、「また飲もう」と言われました。私はその気になって、予定を空けて待っていたんです。でも、一向に連絡は来ない。気づいたときには半年が過ぎていました。別に責めたいわけじゃないけど、やっぱり寂しさは残るんですよね。
期待してしまう自分がまだいる
司法書士という仕事柄、人との距離感には少し敏感になっています。それでも「また相談しますね」と言われると、どうしても心のどこかで期待してしまうんです。仕事が来るかも、人間関係が続くかも。そんな期待が裏切られると、がっかりもするし、どっと疲れも来る。学習しない自分が、時々情けなくなります。
司法書士という仕事でもよくある言葉
「また相談します」「今回は見送りますが、次の機会に」――この業界では、こういう言葉が日常茶飯事です。私は最初、その言葉を真に受けて、手帳に日程を仮で押さえたりしていました。でも、ほとんどの場合、その“次”は来ない。時間と気持ちの無駄に、がっくり肩を落とすことが多いです。
お客様の「また相談しますね」の本当の意味
開業当初、毎日電話が鳴るたびに期待していました。「この問い合わせがきっかけで仕事につながるかも」と。でも、「また今度にします」「検討して連絡します」――そこから音沙汰がないのが現実です。全員がそうではない。でも、10件あって1件返ってくればいい方。人の言葉を真に受けすぎると、心が削られます。
成約につながらない虚しさ
この仕事、相談だけして去っていく人も多いんです。中には明らかに相見積もり目的の人もいるし、「ちょっと聞きたかっただけ」って人もいます。そのたびに書類を用意して、手間暇かけて……。でも、報われない。そんな日が続くと、「なんで俺、こんなに頑張ってるんだろう」って思わず天井を見上げてしまうこと、ありますよ。
人間関係の終わりを告げる優しい嘘
「また連絡するね」って、ある意味では優しさの仮面をかぶった嘘ですよね。でも、それにすがってしまう自分もいる。恋愛でも仕事でも、何度もそれに振り回されてきました。言葉の軽さに気づくたびに、自分の価値まで軽くなっていくような気がしてしまいます。
恋愛でも仕事でも使われる「さよなら」のオブラート
若い頃、婚活イベントに何度か参加したことがあります。ある女性といい感じになって、会話も弾み、最後に「また連絡しますね」と言われたんです。こっちは舞い上がって、スマホを握りしめて待ってましたよ。結果?既読にもなりませんでした。こんなもんなんです、現実は。
経験談:婚活パーティーでの一言
あの時は本当に舞い上がってたんですよ。「今度こそ運命かもしれない」って。でも結局、あれが最後でした。何が悪かったのかも分からない。ただ、「また連絡しますね」という一言が、私の中で一番記憶に残っています。もしかすると彼女なりの優しさだったのかもしれません。でも、私には十分刺さりました。
付き合う前に終了するという現実
何度も似たような経験があります。付き合うどころか、二度目のデートにも至らない。連絡が来ないから、こちらから送ってみても、反応がない。ブロックされることもある。私が悪いのか、それともタイミングなのか……。もう考えるのにも疲れました。だから最近は、期待しないようにしています。傷つくのに、慣れてしまったのかもしれません。
司法書士の仕事にも似たようなやりとり
仕事の現場でも、まったく同じような“儀式”があります。「検討して、またご連絡します」「社内で確認してから再度連絡しますね」。この手のセリフを何度も聞いてきました。で、その後は……まあ、お察しの通りです。メールを何通送っても返ってこない。電話しても「不在です」と言われ続ける。最初から断ってくれればいいのに、と思うのは、私が人間的に未熟なんでしょうか。
「またお願いするよ」の音信不通パターン
ある不動産業者さんから、「また登記の案件があればお願いするよ」と言われたことがありました。嬉しくて、事務員さんと一緒に「よかったですね」と話したのも束の間、半年経っても連絡はありません。その間、何件か登記が出ていたのに、全部他所に流れていたと聞いて、さすがに凹みました。こんな小さな事務所じゃ、覚えてもらえないんですよ、たぶん。
一人事務所の限界と孤独
私の事務所は、事務員さんと私の二人だけ。大手と比べたら、対応力も営業力も正直弱いです。でも、一件一件、丁寧にやってきたつもりなんです。それでも、結果が出ないとやっぱり苦しい。「また連絡するね」が実質「さようなら」だと分かっていても、やっぱり期待してしまう。そんな自分に、毎回ちょっとずつ失望していく感覚……わかってもらえますかね。
それでも誰かを信じたい気持ち
こんな話ばかりしていると、「だったら誰も信じなければいい」と言われそうです。でも、そうはいかないんですよ。仕事って、人との信頼の上に成り立っているし、私はやっぱり誰かとのつながりに救われているんです。ネガティブで愚痴っぽくて、女性にもモテない私だけど、それでも信じたい気持ちは残ってるんです。
裏切られてもまた頑張る理由
信じた結果、裏切られることもある。でも、それでも誰かを信じたい。なぜかって言うと、時々、本当に嬉しい言葉をかけてくれる人がいるからです。それがたった一人でも、心の支えになる。司法書士の仕事は孤独だけど、そういう人の存在だけで、もう少しやってみようって思えるんです。
事務員さんの「大丈夫ですか?」に救われた日
ある日、依頼が続けてキャンセルになったことがありました。帰ろうとした私に、事務員さんが「先生、大丈夫ですか?」と声をかけてくれたんです。たった一言。でも、その言葉で涙が出そうになった。誰かが気にかけてくれるって、それだけで十分だったんです。
一人じゃないと思える瞬間
忙しい日々の中で、つい自分が一人で頑張っている気になってしまいます。でも、たまに届く友人のLINEや、事務員さんのちょっとした気配りに「一人じゃないかもしれない」と思える瞬間があります。そういう瞬間を、私はなんとか頼りに生きているんです。
同業者とのつながりの大切さ
愚痴を言い合える仲間がいるかどうかって、ほんとに大事です。司法書士って、孤独な仕事ですから。だからこそ、同業者とのつながりが心の支えになることがあります。「わかるよ、その感じ」って言ってもらえるだけで、救われるんです。
「また飲みに行きましょう」の言葉が本当だった時
珍しく「また飲みに行きましょう」が本当だったことがあります。元同僚の司法書士が、ちゃんと連絡してくれて、居酒屋で愚痴を言い合いました。あれは嬉しかったなあ。嘘じゃなかった「また」が、たった一度でもあると、それを支えにしばらくやっていけるんですよね。