画面越しに突きつけられる「理想の家族像」
最近、SNSを開くたびに「幸せそうな家族写真」に心がざわつきます。日曜日の午後、事務所でひとり書類を広げていると、スマホの画面にはピクニックや運動会、ディズニーランドでの家族の笑顔。「いいなぁ」と思う反面、「なんで自分は…」と落ち込む。わざわざ不幸な投稿はしないのがSNSの常識。でも、それでも、心は揺れてしまうものです。
なぜか気になる、他人の幸せ投稿
「またあの人、家族でお出かけか…」とため息をつくことが増えました。普段は仕事でバタバタしていて、誰かの私生活に興味なんてないはずなのに。SNSというのは、見る気がなくても流れてくるから厄介です。なんとなく開いたタイムラインに、幸せが並んでいると、自分の生活の色が薄く感じてしまう。やっかみかもしれませんが、それでも気になるんです。
休日のBBQ、運動会、家族旅行…
子どもと遊ぶ父親の姿、手作り弁当を囲んだ笑顔、三世代揃っての記念写真。司法書士として法律に関わってきた私ですが、こうした日常的な幸せとは無縁です。休日といっても、急ぎの案件や登記の準備に追われ、気づけば夕方。冷蔵庫にあるコンビニ弁当を温めながら、SNSを眺める。そんな自分を「まあまあ」と言い聞かせるのが精一杯です。
見なければいいとわかっていても、なぜか覗いてしまう
「見るから辛くなる」と自分に言い聞かせて、SNSを閉じても、ふとした隙にまた開いてしまう。その繰り返し。スマホというのは、孤独な時間の埋め合わせになるはずが、逆に孤独を強調してしまう存在なのかもしれません。「誰かの幸せ」が、自分の「空白」をよりくっきりと浮かび上がらせてくるんです。
「幸せの押し売り」に感じる瞬間
投稿している人が悪いわけじゃありません。むしろ「自慢してやろう」というよりも、「記録として残したい」「親戚に見せたい」という自然な気持ちかもしれません。でも、それを受け取る側が疲れていると、「ほら、うち幸せでしょ?」と突きつけられているように感じてしまうのです。特に、一人で夜を過ごすような日には。
見栄や虚勢もあるはずなのに、素直に見られない心
「どうせいいところだけ切り取ってるんでしょ?」と突っ込みたくなる気持ちもあります。でも、そんな風に思う自分がまた嫌になる。誰かの幸せを素直に祝福できないなんて、人として小さいんじゃないか…。そんな自問自答が、また自分を追い詰めていくんです。
仕事に追われる毎日と「家庭」という存在の遠さ
司法書士という仕事は、安定していると思われがちですが、実際は日々神経をすり減らす戦いです。登記ミスは許されず、期限との闘いが続きます。そんな日々の中、「家庭を持つ」ことなんて、頭の片隅にも残っていませんでした。ふと気づけば、家に明かりを灯す相手もいないまま、10年以上が経っていたのです。
司法書士という職業の孤独
よく「先生」と呼ばれますが、その実態はひとりで全部背負うプレッシャーとの闘い。依頼者の相談にはのるけれど、自分の悩みを相談する場所はない。司法書士仲間ともなかなか本音では話せず、「お互い頑張ってるよね」と言いながら、実は内心ギリギリという人も多いんじゃないでしょうか。
相談には乗るが、誰にも相談できない
私自身、過去に精神的にきつかったとき、相談できる人がいませんでした。親にも心配をかけたくないし、友人にはなかなか話しづらい。かといって専門の相談機関に行く時間も気力もなく、結局は仕事に逃げ込むしかなかった。そんな風に自分を追い詰めていくのが、この仕事の怖いところかもしれません。
「先生」と呼ばれ続ける重圧と孤立
「先生」って呼ばれるたびに、「ちゃんとしなきゃ」と思う反面、どこかで「もうやめたい」とも思ってしまう。責任を果たすために、自分の弱さを見せることが許されない空気。誰かに頼りたいと願うのに、誰にも頼れない。そんな矛盾の中で、今日も机に向かっています。
事務所と自宅の往復だけの生活
朝は一番に事務所に入り、夜は最後に出る。自宅に帰っても誰もいない。夕飯を済ませたらそのまま寝て、また朝が来る。テレビの音すらつけず、静かな部屋で一人。こんな生活がもう何年も続いています。ときどき、これが「自由」なのか「孤独」なのか、わからなくなる瞬間があります。
土日も仕事、家族サービスという言葉の他人感
「日曜は家族サービスで疲れたよ」という言葉、正直、理解ができません。むしろ、そんな経験をしてみたいと思ってしまうほどです。自分にとって土日は、登記の準備や来週のスケジュール調整に追われる日。誰かのために動く休日って、どんな感じなんだろう。ちょっと、羨ましいんです。
愚痴る場所がない人へ
SNSではキラキラした投稿が溢れていますが、実際には誰しも弱音や愚痴を抱えているはず。だけど、それを出す場所がない。出せば「空気読めない」「面倒な人」扱い。だから、余計に抱え込む。そんな時代だからこそ、こうして小さな声を届けたくなりました。
SNSは見栄と沈黙の世界
本当の気持ちを出せないまま、無理に笑顔を作って「いいね」を押してしまう。それが今のSNSなのかもしれません。でも、それが続くと、自分の感情まで麻痺してきます。気づけば、自分が何を感じているのかも分からなくなってくる。そんな人、多いんじゃないでしょうか。
弱音を吐けば「面倒な人」扱い
本音で「寂しい」と言えば、「重たいな」と思われる。「疲れた」と言えば、「みんな頑張ってるよ」と返される。そうじゃなくて、ただ「わかるよ」と言ってくれるだけで救われるのに。それが許されない空気が、また人を黙らせていくのだと思います。
本音を出せる相手が欲しい
どんなに小さなことでも、聞いてくれる人が一人いるだけで違います。「こんなこと言っていいのかな」と思うことほど、実は誰かも思っているかもしれません。本音を出せる場所、それがこの文章でありたい。そう願って、今日も書いています。
同じ立場の誰かとつながりたい
もし、これを読んで「自分もそうだよ」と思った方がいたら、嬉しいです。司法書士という職業に限らず、どこかで同じように感じている人はいるはずです。自分だけが取り残されているわけじゃないと、少しでも思えたら。そのきっかけになれたら本望です。
それでも、前に進むしかない日々
SNSの中の幸せな家族に心が揺れる日もある。でも、それが全てじゃないし、自分がダメなわけでもない。日々目の前の仕事に向き合い、誰かの役に立っている。それだけで、きっと十分すぎるほど頑張っているはず。今日もまた、静かな部屋で、明日の登記の準備を始めます。
SNSの幸せ家族より、自分の仕事
一瞬の投稿より、積み重ねた信頼。一枚の笑顔より、何度も交わした感謝の言葉。SNSには映らないけれど、自分の仕事には意味がある。そう信じて、また明日も一歩ずつ。
地味だけど、誰かの役に立っている
司法書士としての仕事は派手ではありません。でも、誰かの人生の節目にそっと寄り添っている。目立たなくても、必要とされる場所がある。その価値を、自分自身が忘れないようにしたいと思っています。
「自分だけが不幸」と思わないで
SNSに映る世界がすべてではありません。誰もがそれぞれに、悩みや寂しさを抱えているはず。だから、今日少しでもしんどかったら、心の中で「それでも、生きてる」とつぶやいてみてください。それで十分。あなたも、わたしも、よくやってます。
見えないだけで、みんな悩んでる
「幸せそうに見えるあの人」も、もしかしたら同じようにスマホの画面を見つめながら、不安や孤独を感じているかもしれません。見えないだけで、みんな何かを抱えている。それを知るだけでも、少しは心が軽くなります。あなたは、ひとりじゃない。