書類の山に埋もれるという日常
司法書士という仕事をやっていると、書類という存在と切っても切り離せない。登記簿謄本、委任状、住民票、そして印鑑証明書。日々、さまざまな書類が私の机の上を占拠していく。朝出勤して、まず目にするのが前日確認しきれなかったファイルの束だ。その順番がバラバラだったとき、ほんの少し心がざわつく。書類の順序が整っているだけで、なぜか一日がうまくいくような錯覚すら覚える。逆に順序が乱れていると、それだけで今日は嫌な予感がする、とネガティブな妄想に引きずられる。
目の前のファイルに気持ちが左右される
ほんの些細なことなのに、順番が狂っていると一気に集中力が削がれてしまう。登記書類が、委任状→登記申請書→住民票→印鑑証明書と並んでいれば気持ちが良い。でもこれが、たとえば印鑑証明書が一番上に来ていると、あれ?ってなる。別に大した意味はない。でも、自分の中の「整っている安心感」が崩れる瞬間がそこにある。まるで野球部のとき、ベンチに並べたグローブの一つが斜めになっていたときのあの気持ちに似ている。
順番通りに並んでいないだけで不安になる
思い返せば、高校時代の野球部では「並べ方」が何よりも重要だった。グローブ、スパイク、水筒、すべて同じ向きで、同じ感覚で並べることが当たり前だった。その名残なのか、いまでも書類が揃っていないと落ち着かない。ちょっとでもズレていると、「ミスしてるんじゃないか」「誰かに怒られるんじゃないか」と不安になる。依頼者に見せる前に、自分の気持ちを整えるために、私は無意識に並べ替えを始めている。
完璧主義と焦燥感のせめぎ合い
全てを完璧にしようとするのは良くないと頭ではわかっている。でも、それができない。順番が違うだけで、心の中で小さな警報が鳴り続ける。これが焦燥感につながって、必要以上に時間をかけてしまう。そしてその分、他の仕事が遅れる。「何やってんだ俺…」というセルフツッコミが頭の中をぐるぐる回る。完璧を求めて余裕をなくす自分が、本当に面倒くさい。
今日も事務員さんがそっと揃えてくれた
ありがたいことに、うちの事務員さんは私の性格をよくわかってくれている。出勤すると、机の上の書類が見事に整理されていることが多い。それだけで「今日もやっていけるかもしれない」と思えるのだから、単純なものだ。私は「順番にこだわる面倒な人」なのに、それを黙って受け入れてくれる彼女には本当に感謝している。
誰かが整えてくれるありがたさ
自分では気づかないうちに、周囲の支えがあることに気づかされる瞬間がある。順番に並んだ書類ひとつで、精神的にどれだけ助けられているか。事務員さんが黙って整えてくれるその行動に、実は支えられている。感謝の言葉すら口に出せないまま日々が過ぎていくが、たまには缶コーヒーでも渡そうかと思う。
頼ることへの申し訳なさと孤独感
でも、そんな彼女に頼ってばかりいると、「自分は一人じゃ何もできないのか」と思ってしまう。頼れる存在がいるのは嬉しい。でも、自分が頼られる側にはなれていないようで、少し寂しい。それが独身のままでいる理由の一端かもしれない。強くなりたいと思いながら、書類の順番ひとつに心を振り回されている自分が、少し情けなく思える。
順番ひとつで自分の評価が変わる気がする
仕事をしていると、ふとしたときに依頼者の視線が気になることがある。書類の束を出して「こちらが今回の内容です」と差し出したとき、その順番が少しでも意図と違っていたら、「あ、この人雑かも」と思われるんじゃないか。そんな不安がよぎる。たかが順番、されど順番。自分にとっては、信頼を左右するほどの意味を持っている。
依頼者の視線が怖い瞬間
一度、委任状を最後にして書類を出したとき、「あれ?これ先じゃないんですか?」と依頼者に言われたことがある。それが悪気のない一言でも、私はその場で心が凍った。「この人は順番すら考えていない」と思われたんじゃないか。焦って順番を直しながら、顔は笑っていたけど、内心は落ち込みまくっていた。
「あれ?これ先じゃないんですか?」の破壊力
そのときの一言は、今でも忘れられない。こっちは必死で仕事を回していて、ちょっとした順番なんてどうでもいい…と言いたいけれど、それが「信頼」の尺度になってしまうのが現実だ。書類の順番に、こちらの誠実さや丁寧さが表れてしまう。それがわかっているからこそ、余計に神経を尖らせてしまう。
冷や汗と赤面と自分への怒り
その日は一日中、自分に腹が立っていた。「なんでちゃんと確認しなかったんだ」「なんであの順番で出したんだ」。たかが書類の順番、なのに。それで信頼を損なったように感じてしまう。相手は何も気にしていないかもしれない。でもこちらは勝手に自己嫌悪のループに入ってしまう。独り相撲もいいところだ。
ちょっとした順序ミスが信頼を揺らがせる
書類の順番は、小さなことでありながら、大きな意味を持つ。「整っている」という印象だけで、プロとして見られる。逆に、少しでも乱れていると、どこか信用できないという印象を与えてしまう。そんな怖さが、この仕事にはある。
「この人に任せて大丈夫?」の空気
依頼者が口に出さなくても、「あれ?」という表情を見ると、すべてを悟ってしまう。これは、完全に自分の被害妄想かもしれない。でも、そうやって空気を読んで動くことが、この仕事の一部でもあると思っている。気を抜ける瞬間が、なかなかない。
本当は他に気を遣うところが山ほどあるのに
書類の順番なんかに気を取られて、本質的な確認がおろそかになるのは本末転倒だ。でも現実には、見た目の整いに安心して、内容確認を後回しにしてしまいそうになる。そんなときほど、トラブルが起きる。だからやっぱり、順番だけで安心してはいけないのだ。
一喜一憂するのも悪くないときもある
結局のところ、私は書類の順番で気持ちが上下するような小さな人間だ。でも、そうやって一喜一憂できることが、まだ感情を持って仕事をしている証かもしれない。無感情で淡々とこなすよりは、まだましだと思いたい。
ちょっとした達成感がモチベーションになる
すべての書類がきれいに並んで、ぴったりホチキスでとじられたとき、思わず「よし」と呟く。それだけで小さな達成感が得られる。そんなことでしか自分を励ませない日もあるけれど、それでも続けていける力になるのだから、まあいいかと思う。
完璧に揃った瞬間の快感
誰にも気づかれないところで、書類が美しく揃っている瞬間がある。それを見て「ふふ」となる自分がいる。その快感のために、今日も私は書類を揃える。小さなことでも、それが支えになるのだ。
無意味に見える「こだわり」が支えになっている
他人から見れば無駄に思えることでも、自分にとっては意味のある「こだわり」がある。書類の順番、それもまたひとつの誇りであり、軸であり、支えなのだと思う。だから今日も、ちょっとだけ一喜一憂しながら机に向かう。それでいい。