毎日あと一歩の感覚が積もっていく日々
司法書士の仕事をしていて、気づけば「今日も終わらなかったな」と思うことが、日課のようになっている。書類はあと1通、電話はあと1件、登記はあと1ステップ。どれも「あと一歩」で終わるはずなのに、なぜか終わらない。翌日には新たな依頼や修正が重なり、また「あと一歩」の山が積み上がっていく。そんな日々が続くと、達成感どころか自己嫌悪が溜まっていく一方で、心がすり減っていくのを感じる。
やるべきことは山積み終わらせられないジレンマ
朝から張り切って取り掛かっても、夕方には「これだけしか進んでないのか」と肩を落とす。やる気がないわけじゃない。むしろ、ちゃんとやろうという気持ちが強すぎて、確認や調整に時間をかけすぎてしまう。メール一通にしても、言い回しひとつで相手の印象が変わると考えると、何度も読み返してしまう。結果、時間ばかりが過ぎていく。たとえるなら、バッターボックスに立ったまま何球も見逃しているような感覚だ。
「もうちょっとで終わる」から始まる地獄ループ
「これはすぐ終わるだろう」と思って手をつけた仕事に限って、見直すたびに細かい修正が必要だったり、関係者とのやり取りが発生したりする。結果、30分のはずが2時間になり、他の仕事が後ろ倒しになる。終わらないから残業し、疲れが取れないまま翌朝を迎え、さらに効率が落ちる。完全に負のスパイラルだ。「あと一歩」は、実際には三歩も五歩も遠い。いつからか「あと一歩」が恐怖の呪文に感じられるようになってしまった。
ひとり事務所の限界と、優先順位の迷子
事務所には事務員さんが一人。だからこそ、自分が動かないと何も始まらないし、終わらない。急ぎの案件、後回しにしたくない業務、クレーム対応、電話対応……一日に全部はこなせない。でも、どれも「自分がやらなきゃ」と思ってしまう。気がつけば、朝に立てた予定表は昼には無意味な紙切れになっている。元野球部で「やるしかない」と育ってきた性格が、ここではむしろ足かせになっている。
あえて休む勇気が持てない司法書士の性
「休めば?」と言われても、正直、休んでる場合じゃないと思ってしまう。依頼者の信頼に応えるには、早く、正確に、そして柔軟に対応する必要がある。でもその結果、自分の生活はどんどんすり減っていく。誰かが代わりにやってくれる仕事ではないし、何かあれば責任を負うのは自分ひとり。気楽な休息なんて、もう何年も味わっていない。
休みの日ほど頭の中で案件がちらつく
せっかくの休みでも、頭から案件が離れない。あの書類、提出間に合うかな? 依頼主に伝えるべきこと、漏れてないかな? そんな不安がずっと脳内でループしている。公園を歩いていても、コンビニでコーヒーを飲んでいても、ふと浮かぶのは仕事の段取り。もう完全に職業病だと思う。リラックスとは程遠い、脳内残業の休暇。これでは心が休まるはずもない。
野球部時代の根性論が足を引っ張る
「つらくてもやりきれ」「倒れるまでやれ」と言われて育った世代。野球部では水を飲むのも我慢させられた時代だ。そんな価値観が染みついているから、「休む=甘え」にどこかでなってしまっている。だが現実の業務は、筋トレのようにやればやるほど成果が出るわけではない。むしろ、疲労がたまれば判断力も精度も落ちる。頭ではわかっているのに、心が許さないのが厄介だ。
「あと一歩」をどうにかするために必要な視点
「あと一歩」の連続から脱出するには、まず「終わらないのが普通」と受け入れることからだと思う。司法書士の仕事は、相手あってのもの。自分だけで完結しない以上、すべてを一日で終えるのは無理がある。だからこそ、自分で自分にOKを出すタイミングを作らないと、永遠に心が休まらない。
事務員一人の重みと限界の共有
優秀な事務員さんがいてくれるとはいえ、こちらがうまく指示を出せなければ、結局手間は倍になる。忙しい時ほど説明を端折ってしまい、結果的にこちらにやり直しが返ってくる。それを「なんでわかってくれないんだ」と思ってしまうのは、本当に申し訳ない話だ。期待と現実のズレがストレスになり、また「あと一歩」地獄に戻る。
どこまで任せるかの線引きが心の負担になる
「ここまでお願いして大丈夫だろうか」「これは自分がやるべきか」――その判断に時間がかかる。結局、自分で抱えてしまって余計に時間が足りなくなる。信頼して任せたい。でも、間違いが起きたときに責任を取るのは自分。だからこそ、つい手を出してしまう。その結果、事務所の業務全体が回らなくなるという本末転倒。頭ではわかっていても、怖さが先に立つ。
伝え方が難しくて逆に仕事が増える paradox
指示を出すのも仕事のうちとはいえ、的確に伝えるには時間がかかる。ましてや、こちらも余裕がないときに冷静に説明するのは難しい。短く伝えたつもりが誤解を生み、結局フォローに時間がかかる。自分が言葉足らずだったせいだと反省しても、その時にはすでに業務が滞っている。伝えることの難しさを痛感するたび、「自分でやった方が早い」と思ってしまう。
自分が動かないと回らない構造の危うさ
個人事務所ゆえの構造的問題。自分が倒れたらすべてが止まるという状況が常に頭にある。そのプレッシャーが日々の判断や体調にも影響している気がする。責任感だけでは乗り越えられない限界が、年々身体にも心にも現れてきた。仕事をまわすだけで精一杯な今、自分自身のことはつい後回しになっている。
最終確認は全部自分でやらなきゃという思い込み
信頼していないわけじゃない。でも、細かなミスが後々のトラブルにつながることを何度も経験してきたからこそ、どうしても最終チェックは自分でやってしまう。すると時間もかかるし、疲れもたまる。無限ループだ。何より「ミスしたくない」気持ちが強すぎて、自分にばかり負荷をかけてしまっている。
「信じて任せる」の不安と闘う日々
仕事を回すには分担が必要。それは分かっている。でも、「任せて失敗したら…」という不安が常につきまとう。結局、その不安を引き受けて、また自分がやってしまう。そしてまた時間が足りなくなる。信じるって、簡単じゃない。仕事の性質上、責任が重すぎるからこそ、人を信じることすらも一種の修行のようになっている。
司法書士としての「終わらない仕事」との向き合い方
終わらない仕事に囲まれていると、自分の存在価値さえ見失いそうになる。でも、そんな中で支えになるのは、やっぱり「ありがとう」と言われた瞬間だ。毎日が「あと一歩」でも、その一歩を繰り返すことで、確かに前に進んでいる。それだけは信じたい。
永遠に終わらないと思った瞬間の話
ある日、完了間近だった登記申請で、オンライン送信の直前にブラウザが落ちた。保存してなかった……。何時間もかけたデータが一瞬で消えたあの時の絶望感は今でも忘れない。「もう今日は帰ろう」と思ったが、結局夜までかけてやり直した。なんでこうなるんだろう、と思いながら、でもやるしかなかった。
登記完了直前で送信ミス その日がまるごと無駄に
ネット接続不安定な田舎事務所あるある。申請ボタンを押した瞬間に接続エラーで落ちた。しかも時間外になっていたから、翌日に回すしかない。たった1分の差で、その日一日の苦労が水の泡に。机に突っ伏して「なにやってんだろ」とつぶやいた。その夜のコンビニ弁当がやたらしょっぱく感じた。
達成感より疲労感が勝ってしまう自分に気づいた
達成しても、素直に喜べない。「どうせ明日もまた同じような仕事がある」と思ってしまう。でも、それでも一歩ずつ終えていくことが、結局は依頼者のためにも、自分の安心のためにもなっているんだろうなと、ふと思う時がある。
ちょっとした「できた」で自分を褒める訓練
「今日はメール3通返せた」「電話をかけられた」「1件登記が終わった」――そんな些細なことでも、自分を褒めるようにしている。でないと、この仕事は心が持たない。誰も褒めてくれないなら、自分くらいは自分に優しくしてやらなきゃ。たまには自販機のコーヒーを飲みながら、「俺、ようやっとる」とつぶやいてもいいじゃないか。