「善意」ってなんなんだろう、と考える日々
思いやりって、本来はありがたいものであるはずなんですよね。でも、最近はその「善意」に少し疲れてしまう自分がいます。誰かが「良かれと思って」してくれることが、どうにもこうにも重たく感じてしまうことが増えてきました。ありがたいと思う反面、心のどこかで「そこまでしなくても…」と感じてしまう。そんな自分が嫌で、また自己嫌悪のループに陥るのです。善意に応えられない自分が悪いのか、それともそれを受け取る側にも自由があっていいのか。独立して司法書士としてやっていると、そういう「気遣い」や「厚意」にどう向き合うかが、地味にしんどくなる瞬間があります。
ありがとう、って言わなきゃいけない空気に疲れる
何かをしてもらったら、「ありがとう」と返す。それは当然のマナーだし、普段は自然とできているつもりです。でも、相手の思いやりが過剰だったり、こちらが望んでいないのに「してあげた感」が強すぎると、感謝すら強制されているような気持ちになることがあります。たとえば、取引先の人に「時間ないでしょ? 代わりにやっておいたから!」と善意で手続きをされたとき、正直、こっちはその書類をまだ確認してないのに…と焦る。でも言えるわけないから、とりあえず笑顔で「ありがとうございます」と言う。こういうやりとりが積み重なると、心がすり減っていくんですよね。
「助けてあげたのに」がプレッシャーになる
一番きついのは、「こんなにやってあげたのに」と匂わせてくるタイプの善意です。助けてくれたのはありがたい。でも、その後に「だから、感謝してくれるよね?」という雰囲気を出されると、それって本当に善意なのかと疑ってしまいます。以前、ある方に業務で手伝ってもらったとき、翌日からその人の態度が微妙に変わりました。「昨日、私がやったんですけど…」と、いちいち強調してくる。感謝の気持ちを伝えたつもりでも、どうやらその人の「満足するライン」には届かなかったらしい。善意がいつの間にか見返りを求めるものになると、それはもうただの負担です。
善意に応えられない自分を責めてしまう
それでも、「せっかくやってくれたんだから」と、自分の中で無理に納得しようとする癖があるんです。ありがとうと言いながら、心の中ではモヤモヤしていて、でもそんな自分を「器が小さいのかな」と責める。こういう葛藤が一番つらい。本当は断りたかった。自分でやりたかった。でも、相手の厚意を踏みにじりたくない、そんな気持ちの間で揺れ動く日々。地方で一人事務所を構えていると、助けてもらう場面も確かに多い。でも、その分「頼られる=感謝しなきゃいけない」が重くのしかかるんです。
見返りを求めない人ほど、本当にありがたい
一方で、何も期待せずにそっと手を差し伸べてくれる人もいます。そういう人の思いやりって、本当に心に染みるんですよね。昔、急に風邪をこじらせて事務所を休んだとき、近所の八百屋のご夫婦が何も言わずに果物とスポーツドリンクを玄関に置いてくれてたんです。あとで気づいて電話したら、「気にしないでね」と一言。あのときのやさしさは、押し付けじゃないからこそ、ずっと記憶に残っています。やっぱり思いやりって、相手がどう受け取るかまで想像してくれてこそ、なんだと思います。
感謝を強要しない関係のありがたさ
思いやりがしんどくならない関係って、実はそういう「余白」があるんだと思うんです。「ありがとう」を言わなくても関係が壊れない、言いそびれてもお互い気にしない。そんな信頼関係がある人とのやり取りは、疲れないし、逆にこちらも自然と返したくなる。仕事柄、たくさんの人と関わりますが、本音を言えば「気を使わないでいられる相手」との関係が一番ありがたいです。そういう人とのご縁を、大切にしていきたいなとつくづく思います。
事務所にもある「思いやり」という名の押し付け
小さな事務所で、事務員さんと二人きりという環境では、思いやりと気遣いが交錯する場面が多々あります。相手が気を利かせてくれたことが、逆にプレッシャーになることもあるんです。こちらが忙しそうにしていると、「お昼ごはん、買ってきましたよ」と差し入れてくれる。その優しさに感謝しつつも、「自分のペースで食べたかったな…」と感じることも。わがままに聞こえるかもしれませんが、そういう感情が積み重なると、「ありがたさ」が「しんどさ」に変わってしまうのです。
事務員さんの気遣いに、申し訳なさを感じる
事務員さんはとてもよく気が利く人で、本当に助かっています。でも、その気遣いに応えようと無理をしてしまう自分がいます。例えば、仕事が立て込んでいるときに「これ、代わりにやっておきました」と言われると、感謝の気持ちと同時に「申し訳ない」がこみあげてくる。やってもらって嬉しいけど、自分が抱えるべき仕事を任せてしまったことへの罪悪感が強いんです。結果的に、その分別の仕事を増やして返そうとしてしまう。そういう負のループって、意外とどこにでもある気がします。
気遣いが積み重なると、逆に気まずくなる
小さな「気遣い」の積み重ねが、ある日ふと重たく感じることがあります。最初はありがたいと思っていたのに、次第に「またやってくれた…」と感じるようになる。そんな自分に嫌気がさすし、相手にも悪いなと思う。お互い気を使い合う関係って、最初はうまくいっても、少しずつギクシャクしてくるんですよね。気遣いが当たり前になると、やらなかった時に「何かあったのかな?」と気になってしまうし、やる側も「やらなきゃ」という義務感に変わってくる。そうなると、もうそれは優しさじゃなくて、ただのプレッシャーです。
「気を使わせてしまっている自分」への反省
一番つらいのは、「相手に気を使わせてしまっている自分」を自覚する瞬間です。頼ったつもりはなくても、結果的に相手が気をまわしてくれている。そのことに気づいたとき、申し訳なさでいっぱいになります。もっと自分がしっかりしていれば…と反省する。でも、完璧にはなれないし、甘えたいときもある。結局のところ、押し付けでも見返りでもない、素直な気遣いだけが、心に優しく残るんだと思います。そんなやり取りが、もっと自然にできたらいいのに…そう思いながら今日も仕事をしています。