見た目と実態はまるで違う
「忙しそうだね、儲かってるんじゃない?」と笑いながら言われるたびに、内心ではため息が出ます。確かに、毎日バタバタしてますよ。電話は鳴りっぱなし、書類は山積み、外回りの予定もびっしり。だけど、忙しいからって儲かってるわけじゃない。むしろ、時間と神経をすり減らして、それに見合うリターンが得られているかといえば…正直、微妙です。特に地方の司法書士なんて、都会と違って仕事量にムラがあるし、価格競争も激しい。見た目と実態のギャップに、疲れてしまうんです。
「忙しそう=儲かってる」はただの幻想
人は「忙しそうにしている人」を勝手に「成功している人」だと決めつけます。これが本当にやっかいです。うちの事務所は、見た目はそこそこ整っているし、僕自身も出入りが多いからそう見えるのかもしれません。でも、忙しいのは、やらなきゃいけないことが多すぎるだけ。利益が出ているかどうかは別問題。実際のところ、経費や報酬単価、未収リスクを考えると、利益率は低めです。それでも「儲かってる風」に見えてしまう現実。疲れるのは、誤解され続けることなんです。
時間に追われるだけの毎日
朝から晩まで、気づいたらずっと時間に追われてます。登記の書類チェック、相談対応、役所まわり、電話連絡…気づけば昼ごはんの時間もとっくに過ぎてる。昼抜きなんて、もはや日常。コンビニで買ったパンをかじりながら、メールを返す。トイレも我慢することがあるくらいです。時間が足りないというより、気持ちの余裕がない。時計を見ても、もう17時。「今日、何したっけ?」って思う日もある。こんな日々が“儲かってる”ように見えるって、皮肉ですよね。
昼飯も立ったまま流し込む日々
少し前の話ですが、お昼に事務員さんが「所長、今日は何か食べました?」って心配そうに聞いてくれたことがありました。そう言われて初めて、「あ、まだ何も口にしてなかったな」と気づく始末。しかたなくコンビニのカレーパンをかじって、冷めたコーヒーで流し込む。その間も、次の相談者の対応準備で頭の中はフル回転。そういう“自分を削る系の働き方”をしてると、儲かってるなんて言葉、冗談にしか聞こえません。
数字を見てがっかりする夜
夜遅く、事務所の帳簿を開いて、今月の収支を見たときの絶望感は言葉にしづらいものがあります。入ってくるはずだった報酬が延期になってる。思わぬ経費がかさんでる。売上はある程度あっても、利益が全然残らない。これで「調子いいじゃん」と言われると、やるせない気持ちになります。「もう少し楽になれたらな」と思うけど、現実は甘くない。むしろ、どんどん忙しくなって、追い込まれていく感覚すらあるんです。
「あれ…?今月も赤字すれすれ?」
以前、ちょっと気が緩んで月末に外食したら、月の利益が吹っ飛んだことがありました。事務所運営って、ほんとに綱渡りなんです。どこかで気を抜けば、すぐに赤字スレスレ。飲みに行く余裕なんてない。けど周囲は「儲かってるから贅沢できるんでしょ?」って言ってくる。いやいや、実際は“贅沢”じゃなくて“気晴らし”なんです。そういう現実を知らないままの言葉が、いちばん心に刺さるんですよね。
誤解されることでさらに疲れる
儲かってるように見られるだけならまだしも、それを前提にした無神経な言葉や態度に、心が削られていきます。特に田舎では、近所づきあいや親戚づきあいもあるから、外向けのイメージが一人歩きしやすい。ほんとのところは誰も見ていないのに、「うまくやってるね」なんて言われてしまう。そのたびに、「そう見えてるのか…」と逆に自己嫌悪になることもあるんです。
周囲の「いいねえ」は皮肉にしか聞こえない
たとえば、お盆に帰省したときのこと。親戚のおじさんに「稼いでるだろ?ほら、司法書士なんて国家資格なんだから」と笑いながら言われました。でも実際、地元で開業してみたらわかるんです。資格があっても、商売は別の話。人間関係、価格競争、広告、全部自分でやらなきゃならない。おじさんの笑顔が、なぜか少し憎たらしく感じてしまって、自分でも情けなくなりました。
親戚の言葉にモヤモヤ
「立派になったね」と言われるのがしんどいんです。それって、見た目だけで判断されてるから。どれだけ神経すり減らしてるかも、寝る時間削って書類作ってるかも知らずに「立派」と言われても、それはただの表面。僕はもっと普通に、「大変だろうけど頑張ってるね」と言われたい。中身を見てくれる人って、意外といないんです。
「今度奢ってよ」が心に刺さる
高校時代の同級生から飲みの誘いがあったとき、「稼いでるだろ?今度は所長が全部奢ってよ」って軽く言われました。その場では笑ってごまかしたけど、内心では「はあ?」ってなりましたよ。生活ギリギリでどうにかやりくりしてるのに、なんで僕がみんなの分まで払わなきゃいけないんだって。結局、その日は行かずに断ったけど、なんとも言えない気持ちだけが残りました。
司法書士という仕事のリアル
華やかに見える部分もありますが、実際には地味で、責任が重く、そして孤独な仕事です。相手の人生や財産に関わる分、一つの判断ミスが大きなトラブルを招く。だから常に緊張感を持っていないといけない。それなのに、それが「お金に換算できる価値」として認識されづらい現実もあります。司法書士という肩書だけで見られるのが、いちばんきついんです。
稼ぎより責任のほうが重い
どれだけ慎重にやっていても、ミスは起きます。でもそのたびに、胃がキリキリするくらい責任を感じる。誰にも相談できずに、自分でなんとか処理する。たとえば、登記で日付を一日間違えただけでも、取引が滞ることもある。依頼者からすれば大事な契約。こちらはプレッシャーと責任感でつぶれそうです。それでいて、報酬はそこまで高くない。バランスが取れてないと感じること、正直、何度もあります。
一つのミスが全体を壊す怖さ
ある日、委任状の書式を間違えてしまったことがありました。すぐに気づいて訂正はしたけど、依頼者の信頼を少し失ったように感じました。たった一枚の紙の、たった一行のミスが、関係性すら壊しかねない。それがこの仕事の怖さです。そんな緊張感のなかで働いていること、あまり知られていないんだと思います。
眠っていても手続きの不備が夢に出る
最近よく見る夢は、なぜかいつも登記の期日に間に合わない夢か、印鑑を忘れる夢。疲れて寝てるはずなのに、頭の中ではまだ仕事してるんです。寝ても覚めても気が休まらない。それなのに「儲かってるでしょ?」と言われると、心がポキっと折れそうになります。仕事の重みと外からのイメージの乖離。それが、僕の一番のストレスなのかもしれません。