あの日、録音されていたと知った――信頼と記録のすれ違い

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あの日、録音されていたと知った――信頼と記録のすれ違い

あの日、録音されていたと知った瞬間の衝撃

司法書士をしていると、依頼人との会話は日常茶飯事だが、そのひとつひとつが実は後から「記録」として残っていたとなると、話はまったく違ってくる。あの日、ある依頼人から電話が入り、「念のため録音しておいた内容を確認したのですが」と言われた瞬間、心臓がヒュッと縮むのを感じた。録音された内容にやましいことはなかったとはいえ、無防備だった自分に腹が立ったのと同時に、信頼関係にヒビが入ったような感覚に襲われた。

何気ない一報がもたらした事実

その日は、遺産分割協議書の内容について問い合わせの電話があり、特段問題のない確認作業だった。だが、「先日の会話を録音していたので、それを聞き直した上で確認しています」と言われた瞬間、空気が変わった気がした。まるで、自分が無意識のうちに裁判の証人に立たされたような、不思議な感覚。事務所の静けさが、さらにその言葉の重さを際立たせた。

「え、録音してたんですか?」という絶句

思わず「え、録音してたんですか?」と聞き返してしまった。相手に悪意はなかったのかもしれない。トラブルを避けるため、という理由も理解できなくはない。ただ、事前に一言あれば、こんなに動揺しなかっただろう。録音された内容よりも、「知らずに話していた」という事実に、心がざわついた。

信頼関係って何だろうと考えてしまう

司法書士という職業は、依頼人との信頼がなければ成り立たない。しかし、その信頼というのは、どこまでが前提で、どこからが疑念になるのだろうか。この出来事は、信頼の定義について改めて考えさせられるきっかけになった。私たちは、信用されているようで、実は慎重に観察されているのかもしれない。

契約時の空気感はたしかに和やかだった

依頼人との初回面談では、冗談も交えて和やかに話していた記憶がある。お互いに笑顔も見られ、印象としては悪くなかったはずだ。だからこそ、その「和やかさ」が表面だけのものだったと知ったとき、少し心が冷えた。会話の裏に「録音ボタン」があったとは思いもよらなかった。

疑いがなかった自分の甘さ

私が甘かったのかもしれない。どんなに関係が良好に見えても、万が一に備えて備えるべきだったのだろう。だが、それをすべての依頼人に対して行うとしたら、それはもう信頼ではなく、警戒だ。信じることと警戒することのバランスは、本当に難しい。

録音の是非と現実――法律のグレーゾーン

録音されたことに怒りを覚えたわけではない。むしろ、冷静に考えるとそれは合法的な手段であり、私も何も咎めることはできない。ただ、それでも、やっぱりどこか釈然としない気持ちが残る。「記録」の裏に潜む信頼関係の崩壊リスクは、軽くないのだ。

録音自体は違法ではない。でも…

日本の法律では、会話の一方が当事者であれば、許可なしの録音は違法ではない。つまり、今回のケースも完全に合法だ。だが、法律上OKだからといって、心情的に受け入れられるかはまた別の話。依頼人は「備え」で録音したのだろうが、こちらにとっては「不意打ち」に等しかった。

「証拠」としての意味と重み

最近は、LINEのやり取りや録音データが証拠として提出されることも多く、そうした文化が一般にも浸透してきている。ただ、事務所の現場では「人と人との信頼」が何よりも大事で、証拠が必要になる状況自体が、本来はあってほしくない。だからこそ、録音の事実に重みを感じてしまう。

録音された側の精神的な負担

録音されていたと知ってからというもの、他の依頼人とのやり取りでも妙に気を張るようになってしまった。「この人も録ってるのかな…」と疑心暗鬼になりそうになる。これでは、本来の自分の柔らかさや誠実さを出せない。精神的な負担は、じわじわと心を蝕んでいく。

トラブル防止か、関係性の破壊か

録音は「トラブルを避けるため」とよく言われる。確かに、それも一理ある。だが、それが原因で関係性にヒビが入るのであれば、本末転倒だ。記録を取ることよりも、記録しないで済むような信頼関係を築くことの方が、私は価値があると思ってしまうのだ。

同業者に聞いた「あるある」と違和感

この件について、同業の司法書士仲間に話してみた。すると、驚くことに「自分もあるよ」と返ってくるケースが意外と多かった。ああ、自分だけじゃなかったのか、と少しだけ安心したが、同時にこの業界の信頼構造の変化も感じた。

意外と多い「録音されてた」経験

登記ミスや費用トラブルなど、思わぬ場面で「実は録音されてた」と気づくことがあるという話をいくつか聞いた。なかには、「録音を聞かせてくれた」ケースもあり、逆に依頼人の誠実さに救われたと話す人もいた。だが、大半は知らぬ間に録音されており、モヤモヤが残ったようだ。

ベテランでも防げない無防備な瞬間

長年この仕事をしている人でも、電話での何気ない会話や、雑談のなかに重要な要素が含まれていたということもある。録音という行為は、そうした「無防備な瞬間」をそのまま切り取る。だからこそ怖いのだ。プロとしての自覚を問われるような、鋭い刃のような記録だ。

「念のため」が生む不信の連鎖

「念のため録音しました」と言われれば、それ以上追及はできない。だが、その“念のため”が相手への疑念に繋がるのであれば、それは信頼関係の入り口を壊してしまっている可能性がある。防御のための手段が、結果として相手に警戒心を植えつける…まさに皮肉な構造だ。

これからの対応策――備えるしかない現実

こういった経験を通じて、私たち司法書士ができることは限られている。でも、だからといって何もしないわけにはいかない。備えるべきところには備え、自分を守ることも、依頼人との関係を守ることに繋がるのだと、今では思っている。

事前の説明と「録音の可否」確認

最近では、「この会話は録音されていますか?」と、さりげなく聞くようにしている。あからさまに警戒するのではなく、柔らかく確認することで、相手の姿勢も少し変わることがある。これは自分を守るためだけではなく、お互いが安心してやりとりするための最低限の礼儀だと考えるようになった。

書面化だけでは足りないかもしれない

契約内容を明文化するのは当然だが、細かいやり取りや「言った・言わない」の部分は、どうしても口頭に頼るしかない。だからこそ、そこにも記録性が求められる時代なのだろう。けれど、文書だけでは伝わらない「空気」や「温度感」を、どうやって担保するかが、今後の課題だと感じている。

「空気」まで記録できない現場の難しさ

録音データには、声のトーンや言葉の強弱は残っても、表情や間の取り方、ちょっとした気遣いまでは記録されない。そこが人間同士のやり取りの難しいところであり、やっぱりアナログな信頼が一番大事だと感じる瞬間でもある。

事務員との連携とチェック体制の強化

今では事務員とも「会話の記録」について共有し、できるだけ記録を取るようにしている。例えば、依頼人とのやり取りを日報に残すなど、簡単でも“見える化”することで、トラブル時の備えになる。小さな工夫の積み重ねが、大きな安心につながるのだと思う。

最後に――信頼を築くということの難しさ

今回の出来事は、私にとって小さなショックではあったが、学びの大きなきっかけにもなった。信頼を築くということは、疑わないことではない。信じながらも、お互いが安心できるような配慮を持つこと――そういうバランスの上に成り立っているのだと、あらためて感じた。

善意と悪意のあいだで揺れる日々

依頼人の中には、まったく悪気なく録音している人もいれば、こちらを試すような意図を持っている人もいる。私たちは、そうした“グラデーションのある人間関係”の中で仕事をしている。その現実を忘れてはいけないのだと思う。

それでもこの仕事を続けたい理由

たとえ信頼がすれ違っても、録音に戸惑っても、私はこの仕事をやめたいとは思わない。人と人とのやり取りに難しさがあるからこそ、そこに誠意を尽くす意味がある。今日も、次の依頼人との面談に向けて、心を整えている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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