はじまりは郵便物の差し戻しだった
その朝、僕の机の上に戻ってきた一通の封筒があった。表書きの住所は間違っていない。だが「あて所に尋ねあたりません」の朱文字が踊っている。
「またこれですか」とサトウさんの声が冷たく響く。まるでサザエさんのカツオがまた何かやらかした時のフネの声のようだ。
この時はまだ、それが10年の謎の扉を開ける鍵になるとは思っていなかった。
地番と住所の食い違い
原因を探るべく登記簿謄本を取り寄せたところ、記載された地番が実際の住所と異なっていた。だがそれだけなら、よくある話だ。
問題は、その地番が存在しない地番だったこと。正確には、十年前に抹消された古い地番だった。
やれやれ、、、まるで幽霊屋敷を追いかける探偵漫画みたいだ。
十年前の分筆登記
謄本を遡ると、十年前に分筆された履歴が見つかった。だが、それに伴う所有権の移転がなぜか完了していない。
つまり、不完全な登記のまま放置されていたわけだ。しかもそのミスが、ずっと誰にも気づかれなかった。
十年とは、役所も人も忘れるにはちょうどいい長さだ。
謎の依頼人が現れる
翌日、事務所に一人の老女が訪れた。「うちの土地、いつのまにか人のものになっているんです」
それはまるで、怪盗ルパンが盗まれた宝石の在処を予告する手紙のようだった。
名前を聞いた瞬間、僕はゾクリとした。十年前の登記の申請人と同じ名字だったのだ。
地番ミスに潜む意図
偶然か?いや、違う。サトウさんが静かに資料を差し出す。「この人、当時の依頼人の妹です。しかも土地の共有者になってます」
つまり、誰かが地番のミスを“利用した”可能性が出てきた。
それが人為的な錯誤であるなら、登記の世界では立派な“罠”だ。
町役場の記録室へ
僕は役場へ向かった。古い登記図面と地番変更台帳を照らし合わせていく。書き込みだらけの台帳に、かすれた字で「保留」と記された一行が目に留まった。
その日以降、何も更新されていない。まるで時間が止まっていたかのようだ。
登記簿に残る地番、役所の記録、そして現地の実態。この三つが見事に食い違っていた。
地図にない区画
現地を訪れると、そこには古いアパートの基礎だけが残っていた。廃墟のような敷地。その敷地こそが、抹消されたはずの地番だった。
「ここ、誰か使ってましたね」とサトウさんがつぶやいた。確かに最近の足跡がある。
不動産屋にも管理台帳にも載っていない“誰かの土地”——まるでこの世に存在しないかのような空間。
錯誤に隠された売買契約
古い書類をさらに漁ると、一通の私文書が出てきた。十年前の売買契約書。それには売主と買主、そして現地の地番が明記されていた。
だがその地番が、登記簿上の“誤った”地番と一致していた。
つまり、地番の誤記は偶然ではなく、その契約を無効にするための工作だった可能性がある。
真犯人は司法書士だった
さらに調べると、その登記を申請したのは当時別の町で開業していた司法書士。現在は廃業済み。
僕と同じ資格を持つ者が、地番の錯誤を放置し、あるいは意図的に仕組んだ可能性が浮上した。
やれやれ、、、同業者の尻拭いか。気が重い。
十年越しの訂正申請
結果的に、当時の申請に瑕疵があることを役所と共有し、登記の訂正手続きを行うことになった。
時間はかかったが、地番は修正され、土地の所有関係も正常に戻った。老女の不安も晴れた。
ただ、その十年という時間が奪ったものはあまりに大きい。
サトウさんの一言で締めくくる
事務所に戻ると、サトウさんがぽつり。「結局、ミスのせいで誰かが損をするってことですね」
「ま、俺も人生で十年くらい損してるしな」と冗談めかして返すと、彼女は苦笑いだけ残して奥へ引っ込んでいった。
登記ミスの謎も、人間関係の謎も、すぐには解けない。それが司法書士という生き物の業なのかもしれない。