境界線の遺言
夏の陽射しが照りつける午後、古びた測量図と一緒に送られてきた封筒を見た瞬間、僕は胸の奥にざらりとした感覚を覚えた。 それは、まるで時間が止まってしまったかのような、過去の埃を被った何かが再び動き出す予感だった。 差出人は、先月亡くなった土地家屋調査士・飯塚泰造。その名を見ただけで、すでに事件の匂いがしていた。
古びた測量図
A3サイズに折りたたまれた測量図は、手垢で黄ばみ、数カ所に赤鉛筆の走り書きがあった。 筆界、境界点、隣接地との測量データ――普通の図面に見えるが、線の一部が消しゴムで消されたように薄い。 「この線……誰かが意図的に修正してる」サトウさんの目が鋭く光った。
土地家屋調査士の死
飯塚調査士は、仕事に厳しく実直で通っていたが、ここ数年は体調を崩し、現場に出ることはなかったと聞く。 だが、この図面の日付は亡くなるわずか一週間前のもの。なぜ今になってこんなものが? 彼が最後に関わっていたのは、農村部にある旧家の敷地境界だったという。
一通の奇妙な封筒
封筒には、「シンドウ先生に託します」とだけ書かれたメモが入っていた。 この手のやつはだいたいロクなことにならないのが相場だが、断るのも後味が悪い。 「やれやれ、、、こういうのは名探偵コナンの領分だろうが」僕は溜息まじりに書類を机に広げた。
相続人の名乗り出
やがて四人の相続人が事務所に集まり、誰もが「境界の確認」を強く主張してきた。 それぞれが飯塚の測量を「自分の正当性を証明する証拠」だと信じている。 だが、相続登記はまだ一つも進んでいない。みな、確信のないまま戦っている印象だった。
四人兄弟に割れた主張
長男は母屋の土地はすべて自分のものだと言い張り、次男は南側の畑部分は自分の名義だと主張。 三男と長女は「父が口頭でそれぞれに分けると言っていた」と曖昧な話を繰り返す。 まるでサザエさん一家が遺産争いを始めたかのようで、僕は再び溜息をついた。
測量日誌に残された謎の線
飯塚の助手だった青年が提出した測量日誌には、測点と境界標が一致しない奇妙な記録があった。 とくに問題の東境界については、「確認困難」としか書かれていない。 だが、補助線のような薄い鉛筆線が、旧図面の裏面にわずかに残されていた。
依頼された登記
依頼者と名乗るのは長男だったが、同時に次男からも「土地全体の名義変更を頼みたい」と連絡があった。 同じ土地に対して、正反対の主張をする依頼人が二人。おかしい。 これは、測量図だけでは解けない問題だ。
なぜか依頼人が二人いた
長男は「親父が俺に全部渡すとメモを残していた」と言い、次男は「図面が証拠だ」と主張。 しかし、その図面は訂正の跡が多く、正式な登記簿とは内容が一致していなかった。 「つまり、どちらも“真実っぽい”が、決定打がないというわけですね」とサトウさん。
図面に見覚えがあった
僕はふと、10年前に筆界特定を扱った案件を思い出した。あのとき提出された仮測量図と、今回のものが酷似していたのだ。 もしや飯塚は、当時の資料を流用していたのか?それとも何かを伝えたかったのか。 どちらにせよ、遺言の中に何か隠されている可能性がある。
サトウさんの冷たい視線
「先生、境界の話って何度目でしたっけ?また沼にハマってますね」 ああ、まただ。過去の登記、測量の不整合、相続人同士の争い。終わりの見えない迷路。 でも、これを解かないと誰も前に進めない。
どこかで見た記載ミス
手元の図面を眺めていたサトウさんが、不意に言った。「この筆界点、文字が逆なんです」 見れば、数字の「3」が裏返しに書かれている。まるで鏡に映したように。 飯塚が最後に伝えたかった“線”は、実は逆から見ないと読めなかったのだ。
法務局の記録に潜む齟齬
登記簿の備考欄に、10年前の筆界確認の記録が残っていた。 ただし、その境界は「仮確認」に過ぎず、正式な筆界ではなかったのだ。 つまり、それを元に登記を進めていたら、全員が誤解したままだったということになる。
杭の狂いと過去の争い
現地に足を運んでみると、杭の位置が少しずれていた。地盤沈下か、意図的なものかは不明。 だが、そのわずかなズレが、相続人たちの言い分を大きく変えてしまったのだ。 飯塚は、そのことを図面に“わざと”残していたのだろう。
10年前の筆界特定の記録
その記録には、「筆界確定を望まず、現況優先とする旨の同意あり」との記載があった。 つまり当時の兄弟たちは、争わないことを選び、仮の境界で折り合いをつけたのだ。 しかし、それがいまになって“遺産”として火種になった。
亡き調査士の真意
飯塚の残した線は、誰か一人に有利なものではなかった。 むしろ、境界があいまいなままであることを示し、「いま一度、話し合え」というメッセージだった。 土地は線で区切れても、人の心までは測れないのだ。
遺言に託された境界の意味
僕は、飯塚の測量図を元に、相続人全員に話し合いの場を設けるよう提案した。 争うのではなく、調和のための筆界確認。ようやく、兄妹たちも納得しはじめた。 静かな午後、封筒の中にあったもう一枚の紙にはこう書かれていた。「真の境界は、信頼の上に引かれる線である」――
やれやれ、、、俺の出番か
相続の相談は終わったが、事務所に戻るとサトウさんが書類を机に積み上げていた。 「次はこちら。筆界未確定案件があと三件」 ……やれやれ、、、俺の夏は、まだまだ終わらない。