「登記完了」の一言がくれた、静かな救いの時間

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「登記完了」の一言がくれた、静かな救いの時間

「登記完了」と言う瞬間に感じる、何とも言えない安堵

書類の山に埋もれ、電話に追われ、気づけば昼食も取らずに夕方を迎える日々。「登記完了です」と声に出したその瞬間だけ、ほんの数秒だけれど、心がふっと軽くなる。あれは不思議なもので、終わりを告げる言葉であると同時に、自分の存在を肯定してくれるような響きを持っている。淡々とした業務の中にも、この「完了」という言葉があるからこそ、今日もやってこれたと感じられるのだ。

忙しさの中で、この一言が心に沁みる理由

一件一件が小さな積み重ねでしかないこの仕事。だが「登記完了」という通知を送る瞬間には、小さな達成感と、「なんとか間に合った」という安心がある。それは、他人から見ればなんてことのない瞬間かもしれない。でも、こちらとしては、ギリギリまで気を張り詰め、何度も確認し、ようやく辿り着いたゴールなのだ。

誰のための「登記完了」なのか、自分のためなのか

本来はお客様のための登記なのに、「登記完了」と書きながら、まるで自分自身に言い聞かせているようなときがある。今日もひとつ、責任を果たせた。間違えずに済んだ。無事に終われた。司法書士という職業の根底にあるのは、誰かの安心を裏側で支えることだけど、実はその言葉に一番救われているのは自分自身なのかもしれない。

終わったはずなのに、次の不安がすぐにやってくる

「終わった」と思った瞬間に、次の依頼や問い合わせが舞い込んでくるのがこの仕事。メールの着信音や、着信履歴のランプが「待ったなし」なのを思い出させてくれる。「登記完了」と安心しても、その余韻を味わう暇もなく、また次の対応へと走り出さなければならない。

完了通知を出した直後に鳴る電話

ある日、完了通知をメールで送信した直後に鳴った電話。「あの、急ぎで追加の登記をお願いしたいんですが…」という言葉に、思わず笑ってしまった。笑っているけれど、心の中では「少しくらい余韻を味わわせてくれ」と叫んでいた。そういう毎日の繰り返しだ。

「もう一件お願いしたいんですけど…」という現実

仕事があるのはありがたい、そう頭では分かっている。それでも「もう一件お願いしたい」と言われるたび、「今のが終わったばかりなのに」と、思わず内心でぐったりしてしまう。事務員も私もフル回転。時間も心もギリギリのところで回している。そんな中での追加依頼には、正直少しだけ、泣きたくなる。

事務員のひと言に救われた日もある

私は基本的に一人事務所。事務員さんが一人いてくれるだけで、どれほど助かっているか分からない。そんな彼女の何気ないひと言に、思いがけず救われたことがある。業務が立て込み、イライラしていた日。「今日も無事に終わりましたね」と言われたとき、思わず涙が出そうになった。

「今日も無事に終わってよかったですね」

このひと言、当たり前のように聞こえるかもしれない。でも、戦い終えた仲間にしか分からない共感の一言なのだ。無事に終わるというのは、何も起きなかったということ。問題もミスもなく、平穏に終われたということ。たったそれだけが、どれほどの安心をくれるか、やったことのある人にしか分からない。

仕事をこなすだけじゃない、感情の共有の大切さ

事務員との関係は、単なる雇用主と従業員ではない。お互いの疲れや達成感、緊張や失敗を共有する「戦友」に近い。そういう相手が一人でもいるだけで、どれほど孤独が和らぐか。日々の些細なひと言が、気づかぬうちに心の支えになっている。人の存在が、何よりの救いになる。

実は「登記完了」はゴールではなくスタート

一般の方には「登記が完了しました」と言えば、それで一件落着だと思われている。でも実際には、そこからが本番とも言える。納品書を作り、請求書を出し、資料を整理し、返却し…終わったようで終わっていないのが現実。書類の山は、完了と同時にまた積み上がる。

お客様には完了でも、こちらには片付けることが山積み

完了したら安心…と言いたいところだが、司法書士にとっては「片付けタイム」の始まりでもある。紙ベースの資料もまだ多い。紛失は絶対に許されない。そこまで終えて初めて「本当の完了」と呼べるのだが、そこには報酬が発生しない。少しだけ、報われない時間でもある。

請求処理、納品書、資料返却…地味にしんどい

登記申請のような“本番”の作業が終わっても、裏方の業務は山のように残っている。納品書一枚、返却封筒一通にも気を抜けない。相手の名前を間違えれば信用を失うし、書類の一部を入れ忘れたら信頼に傷がつく。派手さはないが、しんどさは確実にある部分だ。

間違いが許されない緊張感は続いている

業務が終わったからといって気が抜けるわけではない。送付物の誤送信や請求ミス、領収書の記載ミスなど、どれも致命傷になりかねない。「完了」は、常に「不備のリスク」と隣り合わせ。それを乗り越えた先にようやく、真の意味での「一息」がある。

ミスをした日の「登記完了」は、ただの皮肉になる

登記完了の通知を出した後にミスに気づいたときの、あの冷や汗と自己嫌悪といったら…。ほんの些細な入力ミス、チェック漏れ、確認忘れ。それだけで一日が台無しになることもある。そんな日は、「登記完了です」という言葉が、かえって痛く感じるのだ。

ミスに気づいたときの冷や汗と自己嫌悪

「なんで、あの時もう一度見直さなかったんだ」と自分を責める。寝ても覚めてもそのことが頭から離れず、食事ものどを通らない。たとえ誰も責めなくても、自分自身が一番厳しい。登記の世界に「まあ、いいか」はない。だからこそ、プレッシャーに押し潰されそうになる。

誰にも言えない「ごめんなさい」が心を重くする

お客様に正直に謝罪し、修正登記を出す。そのプロセスの中で、一番苦しいのは「自分が許せない」ことだ。誰かを怒らせたわけじゃなくても、信頼を裏切った気がしてならない。そんなとき、登記完了の通知がただの義務にしか感じられなくなるのだ。

「救い」の正体は、業務の達成感ではない

「救い」とは、必ずしも結果のことではない。「今日もなんとかやれた」「大きな問題がなかった」「誰にも迷惑をかけなかった」——それだけで十分救われている。何かをやり遂げた実感ではなく、日常を無事に終えられたという安堵。その小さな感覚の積み重ねが、自分を支えてくれている。

自分がまだ踏ん張れているという実感

どんなにしんどくても、「今日も逃げずにやった」という感覚があれば、まだやっていける。それが司法書士という仕事の「救い」の源なのだろう。誰かに褒められることは少なくても、自分で自分を評価してやることが、日々の継続には欠かせない。

誰かの役に立てたかもしれないという小さな手応え

登記を終えても、感謝の言葉をもらえることは少ない。でも、ごく稀に「本当に助かりました」と言われるときがある。その瞬間だけで、数週間分の疲れが報われた気がする。小さな手応えが、次の一歩を支える。司法書士という仕事は、そういうものだ。

司法書士という仕事に向き合い続けるということ

やめたいと思う日もある。もう限界だと思う日もある。でも、それでも続けている。たぶん、それは「登記完了」というあの一言に、毎日ほんの少しだけ報われているからだ。小さな達成と、静かな安堵。その積み重ねが、司法書士という仕事を続ける原動力になっている。

逃げたくなる夜もある

「なんでこの仕事を選んだんだろう」と、何度思ったか分からない。夜遅くまで残業し、書類に囲まれていると、心が折れそうになる。それでも、翌朝また机に向かってしまう自分がいる。これはきっと、好きだからじゃない。逃げずに向き合うと決めたからだ。

でも、また明日も「登記完了」を迎えるために

疲れていても、ため息が出ても、明日もまた「登記完了」と言えるように、今日をやりきる。それだけを目標にしている。それが今の自分にできる、最も現実的で、最も誠実な選択だ。司法書士の仕事とは、そういう日々の積み重ねでできている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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